野菜需給部需給推進課
【要約】
農畜産業振興機構は、平成29年8月31日(木)、「やさいの日」にちなんで、野菜需給協議会(野菜に関係する生産者団体や流通団体、消費者団体等で構成)との共催で、イイノカンファレンスセンター(東京都千代田区内幸町)において、関係者による消費拡大を促す観点から、「美味しい野菜は活力源」というテーマで野菜シンポジウムを開催した。
当日は、当機構の宮坂理事長のあいさつで始まり、170名を超える方々にご参加いただいた(写真1、2)。
杉本青果店代表の杉本晃章氏は、「あなたは本当に美味しい野菜を食べていますか?」、また、日本料理「分とく山」総料理長の野崎洋光氏は、「食の原点は家庭料理にあり」というテーマで、それぞれ講演を行った。
また、全国農業協同組合連合会の協力により、参加者に生鮮野菜をお持ち帰りいただいた。講演の概要は、以下の通りである(敬称省略)。
杉本青果店の先代代表である親父と52年前に卸売市場に通っていたときと比べて、野菜の品物数、消費者の嗜好などが変わった。一番変わったのは品物数が変わったこと。当時の品物数は現在の3分の1であり、当時はこんなに変わろうとは夢にも思わなかった。特に周年栽培の物がなかったから、冬は、はくさい、だいこんをひたすら食べ、トマトなどの果菜類は夏場に食べた。現在の自分の店ではトマトは10品種以上売っている。昔はトマトの品種は2品種しかなく、そのような少品種・大量販売の時代が長く続いた。お客さんに今日はこの野菜がいいと売り込んだ品目は大量に売れた。今は、きゅうりが安いと話しても購入してくれない。
消費者の嗜好も変化した。当時のはくさいは、漬物文化が食生活で定着していたことや、1世帯当たりの人数も4~5名だったこともあり、販売単位は2束売りが主流で何十束も売れた時代だった。今は1世帯当たりの人数も減少して、お客さんの購入単位も減って、2分の1にカットしたものが売れる時代になってしまった。
このはくさいの歴史は浅く、明治8年に清国が東京博覧会に持ってきたのが始まり。当時のはくさいの種子はF1種(異なる形質を持つ両親のうち優性だけが現れる種)ではないから、海外から日本に持ち帰って栽培してもなかなか巻かないので、それを改良したのが仙台の松島はくさい、愛知のはくさいだった。その後、産地は福島県、栃木県、茨城県に広がっていった。
八百屋は30年前に6万5000店あった。今は8000店。実際に商売しているのは6000店だという。北千住の私の店がある商店街350メートルの範囲に30年前に八百屋は8店あった。その当時は各店が競争しながらどんどん売れていた。それが今では八百屋はうち1店だけ。外から来た通りすがりの人は、八百屋があったといってびっくりした顔をしている。
今のお客さんは対面販売のメリットを知らなくなってしまった。店員と口をきかないまま野菜を買って帰ってしまう。
私が二代目になったのは37年前(昭和60年)だった。当時はバブルの絶頂期にあり、毎日の売り上げは50万円程度。年間1億5000万円だった。これが実力だと思っていた。
バブルがはじけて、八百屋さんのことを知っているお客さんの年齢層は上がり徐々に来なくなってしまったことも重なって、毎日の売り上げはバブル時代の半分以下の20万円程度まで下がった。ここで初めて、それまでの「安いよ、甘いよ、新鮮だよ」だけでは商売にならないことに気づいた。何でこれが安いのか、何でこれが甘いと言えるのか、それをお客さんに説明できないといけない時代に入った。
故・江澤正平先生(東印東京青果株式会社(現:東京青果)の役員)は、定年後、70歳で西武グループの堤清二氏に引っ張られて、株式会社西武生鮮食品(現・西友)社長になり、そこから本格的に野菜の勉強をしたそうだ。
私は先生が80歳をすぎたころに出会ったが、先生から、「西武生鮮食品で野菜の勉強をしているが、野菜を売るのは量販店などでは駄目で、八百屋の方が適している」という話を伺ったのを契機に、東京都青果物商業協同組合の顧問になってもらい、平成14年に同組合に八百屋塾を作ってもらった。
先生は、「対面販売を生かせる八百屋だからこそ、産地のこと、伝統品種であれば地方から聞いてきた食べ方、栄養価、それらを一緒に乗せて売れるんだ」と言われた。先生は「野菜は刻々と味が変わるんだ。売ってる物は片っ端から食べろ」と言われた。春の3~4月のキャベツは月に3~4回食べないと全部食べたと言えない。3月の始めのころのキャベツは寒い時期に育ってるから甘みが強い。雨が多い時期には水っぽくなってしまう。スーパーの店員は店頭の商品をつまんではいけないルールになっているが、八百屋は店頭の物を食べて味を感じなければ、味を伝えられないという考え方。
江澤正平先生とは長年一緒にやってきた。先生の奥さんは千住の出身で、私の近所の方だったこともあって私のことをかわいがってくれた。先生には地方の種屋さんなどいろいろ連れて行っていただいて感謝している。
読売カルチャーセンターが北千住で野菜の催し物をするということで、江澤正平先生に言われて対応したことがある。先生の指示で荷物を集めたが、集まった品物は札幌大球(日本一大きなキャベツ)で、1個は展示用、残りの5個は東京の消費者に普及させろと言われた。8等分して洗ってラップして、みそ、塩を付けて販売した。先生は珍しい野菜が好きで、そのような物を絶やしてはいけないとの考えを持っていた。
先生は、「伝統品種をいきなり東京に持ってきても売れないから、地元に行って作り方、食べ方を聞いて帰ってこい」と言われた。東京では味を伝えられなければ買い手が付かず二束三文になってしまい、それ以降は荷物が東京に来なくなってしまう。東京では売れなかった伝統野菜であっても、地方でしっかりと根付いて売れている。良い例が新潟の伝統なす。
平成18年にトレーサビリティーが導入されて、小規模産地から出てくる小口荷物はトレーサビリティーがしっかりしていないということで、量販店では取り扱わなくなった。そこで北足立の市場で売れということになった。北足立の消費者が新潟産十全なす、梨茄子(黒十全)の味を知ったから、これらの野菜は北足立に定着した。東京の消費者は、新潟においしいなすがあるのに、わざわざ高知から持ってきたなすを食べている。
F1種のなすは、皮が硬くて中が軟らかい。軟らかいからおいしくない。伝統のなすは皮が軟らかく身が締まっている。だから漬物にしても焼いてもおいしい。フライパンに油をひいてF1種のなすを焼くと、なすがスポンジのように油を吸い取ってしまいヘルシーではない。十全なす、梨茄子を焼いても油は全然吸わない。日本には良いなすがたくさんあるのに、F1種のなすが売場で優先されている状況。十全なす、梨茄子の方が味が良い。品種改良によって、なすの鮮度の目印になっていたガクについたトゲまで取ってしまったが、本来の野菜の味が薄れてきたのは残念だ。現代は大量流通・大量消費の時代だから、規格がそろうF1種が適しているのは分かるが、種屋さんにはぜひ、おいしい品種は残してほしいと思う。おいしい伝統野菜を食べられなくなったのも、おいしいことを伝えられないわれわれ流通の責任かもしれない。
北足立市場で東京の伝統野菜である江戸東京野菜を売ろうという話があって、私は大変な取り組みになるから乗り気ではなかった。ところが北足立市場の場長さんがねじを巻くので、取り組まなければならなくなり、東京都の城北地域(北区、豊島区、板橋区、足立区など)にあったこまつな、えだまめで生産者に作ってもらえそうな品種に絞って取り組むことになった。
私が若いころは「しんとり菜」というのがあった。ちんげんさいのような形で葉っぱは白く透き通るような色で、2~3月にお浸しにすると甘みが出る。種を探せばまだ作れるかもしれない。われわれが責任を持って売り、生産者が意欲的になる価格とすることが必要だ。
昨年、金沢にある中央卸売市場の50周年記念式典に行ったが、加賀の伝統品種(越前いも、大野いもであり、高級いも)が1ケース5000~8000円で山のように並んでいた。東京に持ってきても、買い手は値段だけ見て驚いてしまい売れない。東京の消費地では埼玉の入間いもがうまいという一般的な評価があるが、越前いもや大野いものねっとり感と比べれば物足りない。その特性をわれわれは伝えられなかったから、東京で買い手が付かず荷物が来なくなってしまった。金沢は煮炊きする文化が家庭で残っていたから、伝統品種が継承され生き残った。
消費者が今晩の献立を考えなくても、あそこの八百屋に行けば面白いことがあると思われるようになりたい。今の若い人は料理教室に通っていないから、提案すれば家庭でやってくれる。
先般もこんなことがあり、私の店でれんこん8本をパックして売っていたところ、横浜から若者4人がテレビを見たと言って店に買いに来た。その4人の若者に、「大人が食べるのであれば唐辛子を入れてきんぴらに、子供だったらちょっと甘く味付ければいいのではないか」と提案したら、後日その若者から、「めちゃくちゃおいしかった」と電話があった。
れんこんは芽先がでたころがおいしいが、旬の時期になる一月前に買うと1本2000円するが、旬の時期になれば1パック200円で買える。食べ頃と買い時も八百屋が教えてあげないといけない。
学校給食は年間の予算が決まっていて、最初から高い食材を買っていると、最後の方は予算が少なくなってキャベツ1対もやし3.5の割合の料理になり、もやしをかき分けないとキャベツが出てこないような状態になってしまう。予算がなくなると気の毒な給食になってしまう。逆に、最初のうちは予算を抑えた食材にすれば、3月はいちごが給食に出てくるようになる。いちごは単価が高いので、予算消化に一番良い。給食の献立で代替できる野菜の提案をしたり、グリンピースのように代替できない物は、献立の入れ替えを提案するのも八百屋の仕事ではないか。
八百屋も高齢化が進んでいるが、八百屋の良いところは小回りがきくことだ。近くの事業所から注文があればすぐに納品できる。これが納品業者だったら2時間はかかる。2時間かかったらもう間に合わなくなってしまうことも多いのではないか。
野菜は安くて栄養価も高くこんなに良いことはない。ただ、下ごしらえが大変だ。面倒くさいかもしれないが作ると楽しいものだ。関係者がそのような楽しみをアピールすることが必要。
お客さんに、「梨を5個も買ったら3個以降は軟らかくなって食べられない」ことを話している。それを話しておかないと、後日お客さんから、「お宅の梨は駄目になった」と恨み言が出てくるので、「梨は2個にして、桃を1個にしなよ」と話している。梨はおいしいけれど、実を大きくしたり早めに収穫できるように、産地によっては促進剤を使用しているから非常に日持ちが悪い。
見た目が良くないえだまめの紫ずきんは、卸売市場であまり売れないが、八百屋で「普通の豆は4~5分ゆでるけど、紫ずきんは倍以上ゆでてください。そうするとほっくりした豆になる」とお客さんに話すと売れるようになる。卸売市場で売れないのは説明ができないからだ。
卸売市場では、みかんはL・2LサイズよりもM・Sサイズの方が売れるから、最近は市場が売れるものを優先して荷受けして御都合主義になってきているが、八百屋は大きいなら大きいなりに売ってしまう。
一般の人は中間段階が入らなければ商品は安くなると思っている。ところが野菜と果実は中間段階が入らなければ消費者の手元に入らない。卸売市場のように需給調整する場がないと、豊作でとれすぎると荷物の行き場がなくなって腐ってしまうし、逆に不作の場合はいつまでたっても消費者の手元に入らない。市場の機能があるから回っているが、それがなかったら回らない。
野菜のように多品種・多規格になっているものに、それぞれ価格を付けて順調に動かしているのは市場機能があるからだ。みかんはM・Sサイズに限定して生産できるわけではないから、L・2Lも荷受けしてくれる場所が必要だ。
最近では、野菜もブランド名で販売しているので、消費者がブランド名を覚えていれば、インターネットで検索して簡単に購入することができるし、自宅まで送ってくれるすばらしい時代だ。消費者にとっては良い時代になった。
われわれ八百屋もインターネット通販を始めた。けっこう注文が入る。特にテレビに出演した後が多い。
お客さんが、再来店した際に、「この前すすめてくれたものがおいしかった」と褒めてくれることがあるが、私は「私を褒めなくてもいいから、ほかのお客さんに話してよ」とお願いしている。また、お客さんから写真を撮らせてくれと依頼されたら気軽に応じてもいる。この依頼をしたお客さんが、SNSで写真と一緒に「テレビで放映された八百屋に買いに来た」と書いて発信してくれる。それを見た友達が買いに来てくれるので好循環だ。なによりもCM料が一銭もかからないのがいい。
今年の暮れには70代の曲がり角を迎える。あと何年八百屋業を続けられるかという歳まで来た。
バブルの崩壊後、野菜の勉強をしていろいろな取り組みをしていたら、一昨年にNHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」が取り上げてくれた。この効果が大きかった。国内は山口県から、国外は米国からも買いに来てくれた。遠距離で簡単に来られない人には宅配便で送っている。野菜は温度が上がらなければ品質的にもつので、発泡スチロールに氷を入れて送っている。お客さんの掘り起こしを行った結果、売り上げはやっと9500万円まで盛り返してきた。今年は1億円の大台に乗りそうだ。福岡から9年前に戻って来た次男坊が後継者になっている。売り上げを大台に戻せたら息子に譲りたい。そんな願望を今は持っている。
Q:今の時期、おいしい野菜は何があるか。
A:夏場のトマトは東北の露地栽培が主力だから酸味が出る。秋の抑制になると酸味がなくなる。旬のものはおいしい野菜。
Q:江戸東京野菜を持続させて、発展させるためにはどのようなことに注意すればよいか。
A:伝統野菜は、種の確保から生育が大変。大変な思いをして作ったのだから、再生産費と利益がとれるようにわれわれ小売業者が売っていくことが必要であり、卸売業者や仲卸業者もそのような取り組みに協力するというスタンスでいてくれると持続する。
明治期に「洋食」という言葉がでてきてから、その後に「和食」という言葉が使われるようになった。
和食では、食事をする際に必ず使うものといえばお箸があるが、平安時代からおわんを手で持って箸で食べる文化があり、750年以上の歴史がある。1600年ごろに日本に来た外国人宣教師が本国に送った手紙には、「日本人は箸を使って食べており、清潔な食べ方をしている」と評価している。
一方、フランスでナイフ、フォークで食べるようになったのは、1763年産業革命ごろからであり250年しかたっていない。それ以前は手づかみ文化だ。
みそやしょうゆを使うから和食になるのではなくて、和食を作る上で基本となるのは二つあり、一つ目は、陰陽師の花鳥風月。これは美しい自然の風景や、それを重んじる風流を意味し、季節を食卓に取り入れて楽しむということであり、二つ目は、陰陽五行。これは一方がなければもう一方も存在し得ないということであり、陰と陽の二つが調和して初めて自然の秩序が保たれるということを意味し、和食においては、主役と脇役のバランス、肉と野菜、魚と野菜の献立を作り栄養のバランスを取ることが大切であるということ。
和食では、和風ステーキのドミグラスソースが合わなかったら、柴漬けを食べて口内調味(例えば、味のないごはんを口の中で、おかずの味で味付けしながら食べていくという独特の食べ方)を行ったりしている。一方、フランス料理では魚を肉で巻いて食べているが、口の中に魚と肉を一緒に入れるのはエサだと思う。
ワインを、湯飲みとワイングラスで飲み分けると、ワイングラスで飲むとおいしいが、湯飲みで飲むと香りがしないからおいしくない。和食には湯飲みにも、おわんにもふたがある。ふたがあるということは、淡味であるということ。濃い味で食べるのではなく、物に優しい味で食べる文化であった。近年は濃い味に油を使うから味覚がまひしている。ドレッシングに何で油が入っているかというと、調味料にすると垂れるから、まとわりをしつこくするために油が入っている。和食が基本的に油を使わなかった理由は、湿度が高かったから(日本は66~67%、EUは33%)であり、油を使うとベトベトするから使わない。この湿度が高い日本で生きていかなければならないところから生み出されてきたのが和食。
1985年以降、日本人に生活習慣病が増えてきた。動物性脂肪の摂取が過多で3人に1人はガンで亡くなる時代。1975年の時の食事が一番体にいいという結果がデータでは出ており、当時は昔ながらの和食に少しお肉を食べていた。現在は肉の消費量が増えている上に甘みをつけて食べるようになった。例えば、すき焼きの肉は霜降りを使わないのが常識であり、肉に旨味がないから甘くしたり、または辛く味付けしたりする。だしの代わりで甘いがおいしいになった。
1955~1965年ごろまで結婚式の引き出物は砂糖だった。昭和初期の佃煮には砂糖は入っていないし、戦前の一般家庭の和食には砂糖は使用していない。
一汁三菜は、平安時代の食事風景を描いた絵巻物にはあるものの、書物に一汁三菜という言葉が正確に出てくるのは学校給食法ができた昭和29年のこと。そこに主菜、副菜、副副菜という言葉が出てくる。
江戸時代の食生活は、つるべ式の井戸は240軒に1個しかなく、長屋にかまどが1個しかない。当時は、まきを確保できない中で長屋のかまどで何を作っていたかといえばみそ汁だ。貝類(しじみ、あさり、はまぐり)、野菜などの具材に、みそを入れて沸騰させてきた。江戸時代の一般庶民の食事は、一汁一菜が正確だと思ってもらいたい。また、一菜については、焼き物か漬物を食べてきた。漬物はたくあんが代表的だが、たくあんはただの漬物ではない。酵母をもってぬか・こうじを使う酵素を生かしながら消化を助けて栄養分が摂れる。だから一菜でも長生きできた。
江戸時代は、かまどが足りないから料理はたくさんは作れない。ご飯は1回しか炊けない。朝はご飯を炊いて、昼はおひつのご飯を食べて、夜は冷やご飯かふかしご飯だった。1960年代に電気炊飯器が普及してから3食で温かいご飯が食べられるようになったが、日本人1人当たりのコメの消費量は、1964年の年間120キログラムから現在は60キログラムまで減少してしまった。
私たちの先人たちは、具だくさんのみそ汁を作ってきた。皆さんはだしはかつお節しかないと決めつけている方が多いが、戦前の一般家庭ではまきを燃やしていたので手間ひまをかけてかつお節を削ってだしをとっていない。それではだしに何を使っていたかというと、だいこん、キャベツ、トマトなどを入れてだしにしていた。一般家庭でかつお節などからだしを取るようになったのは戦後のこと。
世界に引けを取らない最高のスタミナ食はみそ汁だ。みそは大豆で作っている。そこに豆腐、油揚げ、おふ、野菜などが入っている。これに餅を食べるのが日本のマラソン界の選手。
日本人に適した食はコメだ。日本人はコメの糖質を摂って野菜でバランスをとってきた民族。
おコメのでん粉は、良質のでん粉であるため消化吸収率が98%と高く、すぐ力が出て持続するといわれている。玄米はビタミンB群を多く含むため明治期は脚気に効果があるとされてきた。また、わらは屋根、わら半紙、履き物、畑の肥料、飼料にも使い、ぬかはワックスに使ったり、もみ殻は枕にしたり、燻炭にして消毒用に使ってきた歴史がある。これだけ長い期間コメを大切にしてきたのに、コメのありがたさを忘れてしまった現代人のわれわれは情けないと思う。
一方、日本で残飯などとして捨てられる食べ物は年間2000万トン。いらない物を輸入して捨てている。
コメは酸性食品であるから、こんにゃく、ごぼう、ノリ、梅などのアルカリ性を食べて中和してきたために、日本は世界最高の長寿国になれた。近年は、中和せずに、肉の摂取が増加して食べすぎたがために生活習慣病が出てきた。米国の食生活に憧れて脂肪を食べすぎている。病気になる前に、栄養のバランスを取って野菜などのアルカリ性を体内に取り込んでいけば、お腹の周りの脂肪もなくなる。
現代人の食生活で日常食べられているアスパラガスやレタスは、西洋野菜として認識されているが、江戸時代に和蘭雉隠(アスパラガス)、苣(レタス)という名で存在した。トマトも八代将軍徳川吉宗の時代の1720年代にはあったが、いずれも食用ではなく観賞用だった。
日本の伝統的な風習の一つになっている七草がゆの材料となっている春の七草(せり、なずな、ははこぐさ、はこべら、たびらこ、すずな(かぶ)、すずしろ(だいこん))は、太古の昔から、栽培する物と、栽培しない物があって、かぶとだいこんは栽培したが、それ以外は栽培していない。はこべらは、たんぱく質が17%もあるので大豆と一緒。大豆が畑のお肉といわれるのは、お肉と同じでたんぱく質が17%あるから。
また、日本原産の香味野菜は、わさび、みつば、せり、ふきなどであり、これ以外に知名度のあるものはほとんど外来種。古来より日本人は、採れたての野菜の素材の味を食べてきた歴史がある。
家庭料理であれば、添加物が入っていないし費用はとても安い。サプリメントとしてコメと野菜を考えればかなり安いと感じる。
また、家庭料理の最大の強みは、作りたての風合いが一番おいしいということ。ゆでたばれいしょに塩を振っただけでもおいしいが、これは料理屋では食べられない味。料理屋ではゆでてから時間がたってしまうので、おいしくなくなってしまうからスパイスをかけたものをお客さんに出している。
ゆでたての野菜はおいしいが、これは家庭料理でしか食べられない。ゆで野菜は縮むけれど、よくかんでたくさん食べることができるが、近年は生野菜でドレッシングをかけて、おしゃれそうに食べる人が多くなっている。ドレッシングをかける理由は、「生野菜は苦くてまずいから」と聞くが、まずい野菜を食べるからそうなる。肥料過多で根っこが腐っているからマグネシウムの苦みを食べることになる。
明日、私の著書「1回に1キログラム食べてダイエットしよう」という本が出版される。皆さんの中にはダイエットを試みられてリバウンドを経験した方がおられると思うが、食べないでダイエットをしようと思うからリバウンドする。
私の提案は、まずはお吸い物250CCを作り、そこにキャベツ100グラム、豆腐50グラム、油揚げを少し入れると、これで400グラム。トマト、きゅうり、セルリーを300グラム刻んでお皿に盛る。これで合わせて700グラム。そして、ご飯を茶椀150グラム、主菜に魚・肉100グラム、副菜に豆腐・漬物50グラム、これで1キログラム。この1キログラムはフランスのフルコースと一緒だ。この量を食べても痩せられるとしたらどう思うか。食べないで痩せようとするからリバウンドする。
なぜ1キログラムなのか。理由は、キャベツ、トマト、きゅうり、セルリーなどの野菜を毎日500グラム食べたら大半の方は嫌になるはずであり、これがみそだ。
Q:子供が苦手とするきのこ、なす、ピーマンをおいしく食べさせる方法は。
A:細かく刻んだり、炒めて混ぜたり、形を変えて食べさせればいいのではないか。
Q: 家庭で作るもやしの味のように、集団給食でも、もやしの旨味を引き出す調理方法を教えてもらいたい。
A:もやしのゆで方は熱湯で10秒。その後ざるに上げて10秒だが、集団給食の場合は余熱で中まで火が通ってしまうので難しい。