神奈川県農業技術センター 企画経営部 主任研究員 北畠 晶子
【要約】
都市農業におけるICT導入に向け、神奈川県の施設トマト栽培を対象に、生産者の意向と実需者ニーズ調査を基にした課題整理を行った。その結果、国が進めるような大規模タイプに加え、施設面積20~30アール規模の既存施設において、実需者が要望する品質の安定や長期出荷を可能とし生産性や収益性の向上を実現するICTの需要が明らかとなった。ICT導入を進めるためには、ICT機器の低コスト化と複数の点在する施設、いわゆる分散型施設への対応、経営目標別のICT活用方法の提示が必要である。また、行政や関係機関には、生産者のICTに対する意識段階に合わせた支援が求められる。
平成27年3月に策定された新たな「食料・農業・農村基本計画」では、担い手の一層の規模拡大、省力化や低コスト化を図るため、スマート農業の実現に向けた取り組みや次世代施設園芸拠点の整備を推進することとしている。
神奈川県のような都市農業における野菜や花きなどの施設園芸は、限られた農地を高度に利用した土地生産性の高い経営が行われ、地域農業を維持していく上で重要な位置を占めている。近年、担い手の高齢化や生産コストの上昇から生産性や収益性のさらなる向上が求められており、それを実現するためにICT(Information and Communication Technology)の導入が期待されている。
しかしながら、小規模経営が多く、都市化した中では農地の流動化も鈍く、国が進めるような施設の集約化や大規模化は困難な状況である。
そこで、都市農業におけるICT導入に向け、施設トマト栽培を対象に、生産者の意向と実需者ニーズ調査を基にした課題整理を行い、ICT機器、ICTの活用方法、必要な支援策など、当県の施設園芸におけるICT導入条件を検討した。
神奈川県における施設園芸経営体数は2109戸、施設面積は261ヘクタールとなっている。全国に占める割合は低いが、野菜栽培が202ヘクタールと全体の約8割を占め、品目ではトマトが多くなっている(表1)。
そこで、県内で施設トマト栽培を経営の主部門としている生産者を対象に、施設園芸経営の展開方向やICTに関する調査を行った(表2)。
調査項目は、今後の経営への意向や、光、温度、湿度などの植物の生育に関係する環境因子をICTを用いて統合的に制御する統合環境制御への関心、導入意向などである。
施設園芸経営の今後の意向として、「規模縮小」と回答したものは4%と低いものの、「施設更新」は13%、「規模拡大」は約11%にとどまり、「現状維持」が71%と大きな割合を占めた。
施設の築年数別に意向をみると、回答者の施設面積合計30.6ヘクタールのうち、築30年以上経過している施設が約15ヘクタールと5割を占め老朽化が進んでいる。うち「施設更新」や「規模拡大」の意向がある回答者の所有する施設は約4ヘクタールで、25%と低い割合である(図1)。
所有施設面積規模別に施設園芸経営の今後の意向割合をみると、「規模拡大」の回答者は20アール以上30アール未満層が最も低く、この層が底辺となり、30アール以上の層では「規模拡大」の回答者割合が増加していた(図2)。労働力の状況をみると、30アール以上の層では家族以外の労働力を導入している経営が半数を超えていたことから、生産者が目指している施設面積規模が労働力を鑑みて2段階、すなわち20~30アールと50アール以上にあると推測される。家族労働を中心とした経営は目標規模として20~30アール、雇用労力を活用する経営は50アール以上が目安になると思われる。
施設の統合環境制御に対して、「関心がある」回答者の割合は67%と高かった。施設園芸経営の今後の意向をみると、「規模拡大」の回答者は「関心がある」が100%、「施設更新」では88%と高く、「現状維持」の回答者でも58%と半数を上回っていた(表3)。統合環境制御の導入は、規模拡大などを目指す生産者に加え、施設面積や設備は現状維持の生産者も対象であり、「関心がある」回答者の所有施設面積の55%を占めた。
環境モニタリング機器は、近年導入が進み始めており、生産者意向調査(前述、表2)では8%の生産者が導入していると回答があり、機器の価格は10万円台から30万円台となっている(写真1)。
二酸化炭素発生装置は、灯油燃焼式が普及している(写真2)。機器の導入経費は10アール当たりで40万~50万円台であった。なお、二酸化炭素の施用にあたっては、導入経費に加え、運転に係る経費の検討が重要であるが、施設、目標濃度、施用期間などにより異なるので、本稿では検討していない。
統合環境制御装置は、生産者意向調査では9%の生産者が導入しているが、補足で行った聞き取り調査では、装置を換気管理のみに使用している事例が複数みられた(写真3)。機器の価格は、機能の差により30万円台から120万円台と幅が広かった。
機器の価格評価のため、表4に当県の施設トマトの主要な作型である促成トマト栽培の経済性を示した。施設面積30アール(10アールを3棟所有)、労働力は家族労働のみの経営を前提に試算した。前述のとおり、施設1棟当たりの面積は10アール程度であり、多くのICT機器が1棟に1台導入する必要があるため、10アール当たりの数値としている。標準的な収量は10アール当たり12トンで、農業所得は48万6000円である。収穫時期はそのままで収量が5%増加したとすると、粗収益は16万8000円増加し、収穫量の増加に伴い発生する肥料費などの物財費や出荷経費、収穫時期の雇用費などを差し引くと、農業所得は11万7000円増加する。同じように、収量の30%増加で70万4000円所得が増加すると試算された。
導入経費は機器の減価償却期間内に回収する考えに基づくと、機器類の多くが減価償却期間7年のため、年間の所得増加額の7倍を、導入経費および7年間の運転経費の合計が下回っていることが必要である。つまり機器導入経費は、収量が5%増加する場合は10アール当たり81万9000円以下、収量が30%増加する場合は10アール当たり492万8000円以下が目安と試算される。
表2の生産者に対する意向調査では、ICT導入により実現したいこと(選択肢より3つ以内複数回答)は、「病害の発生を減らしたい」がもっとも多く67%の生産者が選択しており、「収量を増やしたい」62%、「品質を向上したい」61%と続いた。ICT導入に対し、病害発生低減を期待する生産者が多いことから、病害リスク低減への活用方法を示す必要がある。
また、ICT導入により実現したい事項を所有施設面積別に整理すると、「収量を増やしたい」、「収穫時期・量を予測したい」、「栽培環境を数値で把握したい」は面積が大きいほど、「品質を上げたい」、「品質を一定に保ちたい」、「暖房費の節減」は面積が小さいほど割合が高い傾向がみられた(図3)。
さらに、同様の事項を主な出荷先別(市場出荷と直売)で比較すると、市場出荷は「収量を増やしたい」、「病害の発生を減らしたい」の割合が、直売は「品質を上げたい」の割合がそれぞれ高く、市場出荷は収量、直売は品質を重視する傾向がみられた(図4)。
ICTの活用により、今まで応えられなかった実需者ニーズに対応した所得向上策を検討する視点から実需者ニーズ調査を行った。
まず、当県産トマトを取り扱う量販店4店の青果担当バイヤーへの聞き取り調査を実施した(表5)。
トマトの品質について、もっとも多く指摘があったのは、バラツキの軽減など、品質の安定化であった(B、C、D社)。また複数店共通の意見として、果実の大きさは、A社はMサイズ、B社はMLサイズと中程度が販売しやすい、外観品質として色を重視している(A、C社)、糖度の目標は6度(A、C社)などがあった。
さらに、出荷時期については、5月から6月にかけ出荷過剰気味(A、B、C社)であること、長期安定出荷を望む意見(A、D社)があった。実際に生産現場では、夏期の高温による生育障害、病害のリスク回避、暖房費の負担軽減などを優先して、栽培しやすい作型へ移行している。横浜中央卸売市場での当県産トマト取扱量のピークは5月から6月で市場全体のピークとも一致している。
次に、量販店で当県産野菜の試食販売などの販促活動を行う野菜ソムリエを対象としたグループインタビューを表6に示した方法で実施した。
販売しやすいトマトの要因について、発言記録から出現回数の多い語句を需要アイテムとして整理しカテゴリー化した(表7)。外観は購入の判断基準として重要であり、大きすぎず、果色が良いもの、食味は甘く、皮が軟らかく、味が一定している、時期については年間を通してあるもの、栽培者の名前がブランドとして確立されているもの、が販売しやすいトマトの要因として抽出された。
以上、トマトに対する実需者ニーズ調査として、青果の仕入れに携わるバイヤーと店頭で消費者と会話し行動を観察する野菜ソムリエの結果を示したが、品質、時期についてトマトに求められる内容は一致していた。
実需者ニーズは、品質の向上、安定化、出荷時期の拡大にあり、その目的を達成するICTの活用が必要である。
ICT導入に向け、行政や関係機関が行う支援策を検討するため、施設の統合環境制御などのICTにやや関心はあるものの、積極的に導入は考えていない施設トマト栽培経営2戸(A経営:施設面積51アール、経営主50代、B経営:施設面積23アール、経営主30代)に環境モニタリング機器(モニタリング項目:温度、湿度、培地温度、二酸化炭素濃度、土壌水分、日射量、画像)を試験導入し、導入前後の意識の変化などを調査した(表8)。
参考になるモニタリング項目では、両経営ともに二酸化炭素濃度、画像、地温を挙げており、B経営ではさらに土壌水分を挙げている。これらを挙げた理由として「思っていた以上の変動」、「感覚ではわからない数値の確認」、「感覚と異なる数値の把握」を挙げており、モニタリングは感覚と実際の違いの気づきが大切な要素と考えられる(写真4)。試験導入による変化は、A経営は現在の技術の数値での確認にとどまったが、B経営ではかん水方法を変えるなどのデータに基づいた実践的な取り組みにつなげるとともに、遠隔での圃場確認によるリスク管理を評価している(写真5)。
試験導入前はICT導入に積極的ではなかった両経営であるが、今後の取り組みでは、二酸化炭素施用の実施や環境データに基づいた勉強会の実施など意識変化がみられる。機器の価格は、A経営は10万円を切れば購入を検討するが、B経営は本体価格約13万円については妥当だとしつつも、使用しない期間も月額使用料約2000円がかかることについて不満があった。ICT導入について望む支援として、両経営とも機器導入費用の補助を挙げており、さらにA経営は積極的な活用に向けて導入前の情報提供を、B経営は環境測定項目ごとの管理目標値の提示と測定したデータの活用方法を要望していた。
以上の結果をもとに、支援策について図5に整理した。左にE.M.ロジャーズの示したイノベーション決定過程を、右にそれに対応する支援策を示す。イノベーション決定過程とは、「個人が、イノベーションについての最初の知識を得てからイノベーションに対する態度を形成し、採用もしくは拒否の決定を行い、新しいアイデアを実行し、そして、その決定を確信するまでの心的過程」(注)である。この過程を進めるために必要な情報と照らし合わせ、ICT導入に向けた支援策を整理した。
まず、知識段階は、A経営の意見にあるICTそのものの周知が必要である。前述の生産者意向調査において統合環境制御に関心がない生産者は約3割であるが、これは関心を抱くに至る情報が不足している可能性がある。
次に、態度段階の生産者には、ICT導入による変化、効果のほか、今までの知識、経験の活用の可能性について情報が必要であり、導入経費やランニングコスト、導入による効果など経済性や現状からの違いを経営モデルで示す必要がある。
続く決定段階では、導入に当たっての不安を軽減する必要がある。今回試験導入での意識、行動変化から、展示圃の設置は有効な支援である。また、両経営から要望があった、機器導入経費への補助も不安を低減する有効な支援である。このような声を受け、JAグループ神奈川では平成29年4月から「かながわスマート農業応援事業」を実施し、環境モニタリング装置や環境制御装置、統合環境制御システム購入費用の半額助成を行いICT導入を支援している。
そして最後の実行段階では、具体的な導入、使用、栽培管理への活用方法についての情報で、B経営から要望のあった栽培管理の指標値とその活用方法の提示が支援策として必要である。
注:引用文献(1)
意向調査の結果から、神奈川県では国が進めるような大規模タイプに加え、施設面積20~30アール規模の既存施設において、生産性や収益性の向上を実現するICTの需要が明らかとなった。
当県におけるICT導入条件として、ICT機器、ICTの活用方法、導入に必要な支援策の3点について整理する。
まず、ICT機器であるが、当県では1経営体の所有する施設1棟当たりの面積は10アール程度と小規模なため、大規模経営においても設備投資のスケールメリットが得られにくい。よって、機器の低コスト化、もしくは複数棟を1台で制御する機器など、分散型施設経営においてスケールメリットが得られる機器が必要である。
次に、活用方法であるが、経営目標別に示す必要がある。
施設経営規模や出荷先などにより、生産者がICT導入に期待する事項は異なっていた。ICT活用の効果で多く取り上げられる「収量の増加」は、小規模経営では実現を目指す割合は低い傾向だった。これは、家族労働を中心とした経営は、収量の増加に伴う収穫調製作業の労力を確保することが難しいためと推測される。また、直売を主な販売先とする生産者は、品質の向上や安定に関して期待する割合が高い傾向があった。
一方、収量の増加を期待する市場出荷者も、出荷先である実需者からは現在の作型の出荷ピーク時における出荷量増加は望まれておらず、出荷時期の分散や新たな販売先の開拓が必要となる。
これらのことから、既存施設を活用した家族労働を中心とした経営では、限られた面積、労働を活用し所得を向上させるための「品質向上」や「経費削減」を目的とした技術を、規模の大きい雇用労働を活用した経営では投資や雇用労賃を回収する「収量増」と「管理作業の省力化」、販路拡大につながる「作型拡大」と収穫予測に対応するICTの活用方法の提示が必要である。
また市場出荷では、所得向上を目指し、実需者から求められる「品質の安定」と高単価を確保できる「作型変更・拡大」を考慮した「収量増加」の実現、直売では、「品質の向上と安定」、「作型の拡大」などを実現するICTの活用方法の提示が必要である。
最後に、支援策については、生産者の意識段階に合わせた支援が求められる。まず、生産者がICT導入の可否を判断できる経営モデルなど情報の提供が第一段階、次に、導入への不安を軽減させる展示圃の設置、この段階では機器導入経費への補助も有効な支援と思われる。そして、導入に当たっては、管理の目安となる指標値や環境制御下の栽培マニュアル提供などが必要である。
以上、ICT機器、ICTの活用方法、必要な支援策について当県におけるICT導入条件を整理した。今後は、ICTが生産者の目標としている経営を実現する有効なツールとして導入、普及されるよう具体的な支援に取り組みたい。
なお、今回報告した「施設園芸におけるICT導入条件の解明」の詳細な調査結果については、農畜産業振興機構のホームページ(https://www.alic.go.jp/content/000140868.pdf)に掲載してあるので、ご参照願いたい。
引用文献
(1)E.M.ロジャーズ著、青池愼一・宇野善康監訳「イノベーション普及学」p237