日本農業経営大学校 校長 堀口 健治
2013年4月に開校された本校は、5年目となり2017年3月で3期生を卒業させ、持続的経営の担い手となる次世代の農業経営者を育成するという本校設立の趣旨が社会的に認知されてきたことを実感する。
しかし東京に2年間、経営を主に全寮制で勉強する本校に子息を送り出すかどうか、迷う農業者が多いことも事実である。農業高校や県立農業大学校などに通わせ、あとは早く家に戻って先ずは農作業に従事し、経営は収支が分かる確定申告で勉強してもらえばよいとの考えは強いからである。
だが専業農家、特に大規模農家や法人経営者は、家に戻る前の後継者に経営やマーケット論をじっくり学ぶことが必要との考えも多くなってきた。販売戦略や6次化など、経営者が自ら判断しなければならない課題が次々に増えているからである。また経営分析力も必要で、複式簿記が分かるだけでは不十分であり、資金繰りも理解し管理会計を学んできてもらいたいと考える経営者が多い。
法人経営者の何人からは、若い人を年間雇用する人事・労務政策を教授してほしいとの要望もきている。計画生産には常雇いの労働者が必要だが、そのための就業規則、また残業を依頼するための三六協定(注1)も必要だし、さらには外国人の技能実習生を雇用する場合の注意事項など、経営者が知らねばならないことが他の中小企業経営者と同じく次々と増えているからである。実質的な農業のMBA(経営管理学修士)教育のためには、このほかにも、事業承継、法人化や他の企業との連携を含む組織論、リスク対策など、さらに科目を充実させる必要を校長として感じている。
注1:時間外労働に関する労使協定。労働基準法36条に基づき、会社は法定労働時間を超える時間外労働を命じる場合、労組などと書面による協定を結び、労働基準監督署に届け出ることが義務付けられている。
今年の4月25日に農林中央金庫と本校を運営する一般社団法人アグリフューチャージャパン(以下「アグリフューチャージャパン」という)との共催で開催された「農林中金 食農ビジネスフォーラム2017」には、会場の帝国ホテルに会員の企業や団体・個人の方々が多く参加した。まず、第一部で260を超える会員が応援している日本農業経営大学校の最近の活動内容を私が講演し、第二部でアグリフューチャージャパンの理事を務める山城経営研究所社長の鈴木豊氏(元キューピー社長)の講演、「より良き経営の道筋を~ロマンとそろばん~」に耳を傾ける会合になった。特に第一部の最後では、毎年開かれるこの会合に、今回は初めて卒業生の話を聞く機会を設けていただき、1期の卒業生3人のビデオメッセージがあり好評だった。
偶然だったが、3人とも野菜作経営の卒業生だった。本稿で改めて紹介すると、1人目の古庄君は、熊本県のかんしょ農家で、すでに両親から事業を継承しているが、2016年4月の熊本地震で貯蔵庫が3カ所とも使用不能になったものの、新たに貯蔵庫を立ち上げさらなる展開を予定している。地元消防団にも加わり、復興に向けて地域活動にも参加する様子が分かる内容だった。2人目の大月君は、長野県のすいか中心の農家出身(すでに法人化済み)だが、地元地域に無いいちごを新たな経営として導入・独立させようと、就職して栃木県の法人で学んだ技術を今年持ち帰り、作付するハウスを準備している。観光農園の計画も視野に入れていることも分かる内容であった。3人目の鋤柄さんは、愛知県の露地野菜農家出身だが、自分の名義で農地を借り、地域の青年と組んで給食などの新たな販売先を模索する様子が分かる内容だった。
他方、本校の学生は農家出身者ばかりではなく、非農家出身もいて本校の半分弱を占めるが、実は彼らの多くが野菜、それも有機栽培を念頭に新規農業参入を考える学生である。野菜は比較的小面積でも早期に経営を開始できるし、直接販売を目指すことも可能だからと考えるからである。しかし実際はそう簡単なことでもないことはすぐに学ぶし、2年間、回収に時間のかかる果樹や茶などの経営出身や水田経営・稲作、畜産農家出身などの学生ともじっくり情報交換しながら、卒業に必須の自分の経営計画を練る。在学中に経営を始める場所を決めて地域に通い、農地を手当てして就農を準備しなければならない。
なお、本校の過半数を占める農家出身の学生は、我々の指導もあり、すぐに事業承継しない場合は、親元に戻り親の経営を助けるにしても、自分の名義で農地を借り新たな部門新設や新規独立就農を準備している。経営責任の経験を得ることで、その後の事業承継がスムーズに行くと考えられるからである。そしてその場合に取り組む作物は、野菜が多いという特徴がある。
校長としてうれしかった一つがこれである。卒業して3年目の中瀬健二君、家族で2016年に設立した株式会社「なかせ農園」に経営者として加わっているが、この事業展開が評価され、アグリシードファンドの大きな額の出資を得ることができた。議決権を要求しない出資であり、従来の融資とは異なる新たな農業経営サポートの方法である。
土中での長期貯蔵の「蔵出しベニーモ」は、焼き芋にすると糖度40度を超えるという(写真1)。直販を増やし、単価を上げ、さらに台湾への輸出も考えているときに熊本地震が起きた。土中の貯蔵庫はすべて崩れ大きな被害を受けたのは、上述した同じ地域出身の古庄君と同様である。
しかし新たな貯蔵庫の建設を含め経営展開を考えているときのアグリシードファンドからの出資であった。こうした経営展開に卒業生がその一員として貢献していることにうれしさを感じるのである。
注2:農業法人など向けに資本を供与する枠組みとして平成22年から創設され、アグリビジネス投資育成(株)・JAバンクアグリ・エコサポート基金と連携して、資本過小ながら技術力のある農業法人へ出資し、財務の安定化や事業の発展を支援する資金。
本校は全員就農するが、就農形態は、部門新設を含む親元就農、農業法人などへの雇用就農、新規独立就農、この三つである。その中で少ないのが最後の新規独立就農だが、本校としてはこの起業ルートも努力・工夫すれば成功することを強調している。
2015年3月の卒業式後に大阪都会育ちの彼が向かった先は、彼の祖父母が住む村である。祖父母の農地はすでに営農組織に貸し出されていたが、彼は隣接集落で借りることができた。祖父母の縁が起業の出発点なので広い意味の孫ターンである。
高校で「農業自給大国日本を志す」と宣言した彼は、社会人の後、設立間もない本校に入学してきた。非農家出身だが有機農業の思いは強く、埼玉県小川町の霜里農場をはじめ多くの農場で実習を重ねた。
2年時の春に、たつの市の親戚に相談したところ、自治会長が離村した人の空き家を取りまとめてくれた。賃貸契約を結んで1年後に農地と山も一緒に売却してくれる。集落は営農組織の借地が少なく、彼が認定農業者になれば農地拡大が可能な集落だった。
自宅周辺の水田(稲作1.2ヘクタール、露地野菜0.2ヘクタール)は期間3年だが、使用貸借なので地代を払わなくてよいからありがたい。住宅・農地0.27ヘクタール・山林2ヘクタールは、トラクターをはじめ農業機械が譲渡なので助かる。他の購入は中古の田植機、軽トラックなどで、乾燥調製機などは倉庫を含め借りることができた。
だが、彼いわく「とにかく失敗しまくった1年」だった。何事も適期を逃し、大雨では合鴨に逃げられ、除草用自作チェーンは失敗、野菜も鹿にやられ散々である。控えめに見ていた農産物売り上げは100万円どころか60万円である。農業関連費は売り上げと手持ち現金50万でまかない、生活費は青年就農給付金の150万円でしのいだ。
体制を整えた2年目は借地が2倍の2.6ヘクタールになり、所有地には農協のリースハウスが1棟、昨年3月に建てられた。7年リースで、暗渠は自力敷設だが生産は安定化するはずだった。しかし2年目の売り上げは110万円にとどまり、これで3月に青色申告した。全体に収量が低いのが最大の原因である。
彼から購入予定にしている同級生や友人が多く待っているだけでなく、仕入を予定している飲食店などもあり、加わっている大阪の常設販売先にもさらに出せる。3年目の今年はコメの単収を上げ、野菜も安定的な生産を期待したい(写真2)。
1年目(2015年)の4月に農地利用権を申請、認定新規就農者の青年等就農計画を出し6月にパスした。青年就農給付金も同じ時期に申請して8月パスし、9月から支給となった。申請は順調で早い。しかし青年就農給付金と水田活用の補助金などがあって現在は生活ができているので、農業の売り上げから所得をもっと得るために、3年目の今年は、農産物の売り上げ300万円に迫りたい。彼は土地利用改善組合や井堰(注3)の役員を依頼され、消防団員にも勧誘されている。地域に彼は受け止められており、地域の稲作組織の立ち上げの中核に期待されているのは頼もしい。これからの収入も期待できる。
注3:上流側の水位を上げることによって、用水路などへの取水を容易にするために、河川などをせき止めた所。
高校で人の健康に大きな影響力を持つ農業そのものの大事さに気づき、いろいろな農場で学んできた。その上で経営や販売を学ぶべく本校にきた。父が労働力として彼を助け、農地に通える両親とともに住む市街地の自宅は、起業に有利である。
卒業後に戻ったときに農地を貸してくれそうな農家に早くから交渉し、畦草刈りをそれまでは無償で行うと約束した。その結果、1.5ヘクタールで営農を開始でき、内0.8ヘクタールは複数の地主からだが1団地にまとまっている。使用貸借の5年契約で緑肥を入れ地力を高めている。1年目の終わりの3月に建てた雪対策用強化ハウス4棟20アールは10年借り入れで建てた。主力生産物はオクラ、にんにく、キャベツなどで、高品質の農産物作りを行っている。彼が自信を持つ丸オクラ、白スイートコーンは絶品でデパートとの直接取引が始まるようである。
しかしながら、最初は販売に苦労した。地域では丸オクラを知らず、おいしいからといっても市場では相手にされなかった。春の収穫期の最初の年の春は売れなかったので捨てざるを得ず、悔しい思いもした。しかし商品の良さを認めてくれた京都の若手グループに誘われ、直接取引が可能になったことが、大きかった(写真3)。
制度関係の申請は荒木君と同じく春に一斉に行い認定も順調だった。青年等就農資金750万円は倉庫、トラックなどの資金調達の夏に間に合い、ハウスは制度資金 を当てることができた。人・農地プランが無いこの地域では、農地中間管理機構から借りることで資格を得た。
1年目の売り上げは予定の3分の2だったから赤字で、青年就農給付金でしのいだ。2年目の今年は早くも黒字化を達成できそうで、この3月の確定申告の様子を聞くのが楽しみである。最初の3年間は生産の安定化を主とし、既存流通を使わず商品を顧客に直接届ける工夫をして、5年目には全体をそうさせたい。5年目には面積も増やして売り上げ2000万弱を見込んでいる。開業費は任意一括償却できるので、黒字になったときに充てるという。販売先を拡大しながらよく考えた経営で販売額は、着実に伸びている。
以上、特に野菜の生産に取り組む本校の卒業生を紹介した。今後の彼らの活躍に期待したい。
堀口 健治(ほりぐち けんじ)
【略歴】
1965年 早稲田大学第1政治経済学部政治学科卒業
1968年 東京大学大学院農学系研究科博士課程中退
1968年 鹿児島大学勤務
1976年 東京農業大学勤務
1991年 早稲田大学政治経済学部教授(~2013年)
1998年 早稲田大学政治経済学部 学部長(~2002年)
2002年 日本農業経済学会 会長(~2004年)
2002年 早稲田大学常任理事、副総長(~2010年)
2013年~ 早稲田大学政治経済学術院名誉教授
2015年~ 一般社団法人アグリフューチャージャパン校長理事、日本農業経営大学校校長