徳島県のれんこん栽培は、吉野川下流域、特に旧吉野川の低湿地帯を有する鳴門市を中心とした県北東部地域に集中している(図1)。特に吉野川下流のデルタ地帯は全国有数の肥沃地帯であり、
灌がい施設も整備され、れんこん栽培に最も適した地域でもある
(注2)。
徳島県でれんこん栽培が本格的に始まったのは、1946(昭和21)年の昭和南海地震発生時にさかのぼる。この地震によって沿岸地域の水田が塩害に見舞われ、稲作が困難となった。れんこんは塩害にも比較的強いことから、転作する生産者が相次いだ。
1949(昭和24)年当時、124ヘクタールあった作付面積は、約20年後の71(昭和46)年には1,100ヘクタールまで増加したが、その後、宅地への転用、れんこんの腐敗病による品質低下、高齢化による担い手不足などを要因として面積は減少していった。
図2は、2000(平成12)年度以降の徳島県におけるれんこんの作付面積と出荷量の推移を示したものである。作付面積は2000年度の621ヘクタールから12(平成24)年度の527ヘクタールへ10年あまりの間に100ヘクタールも減少したが、それ以降は525ヘクタール前後と横ばいで推移している。出荷量は年度ごとの変動は見られるが、全体の傾向として2000年度の8,330トンから22(令和4)年度の4,050トンへ大幅に減少している。
図3は、こうした徳島県の出荷量の減少スピードを、徳島県を含む全国のれんこん生産上位3県の出荷量の増減率(2000年度=100)の推移から見たものである。全国で最も出荷量の多い茨城県は、2000年度以降100%~120%の間の増減率で推移しており、産地としての規模が維持されていることが確認できる。一方、徳島県と佐賀県の出荷量は、2003年度までほぼ同じペースで減少していたが、それ以降、佐賀県は増加に転じているのに対して、徳島県は減少が続いており、上位3県の中で、徳島県の出荷量だけが他県よりも減少スピードを速めている。
図4は、徳島県内の主要な産地である鳴門産地におけるれんこんの主な作型と品種を示したものである。節間が長く、すらりとした形状の「備中(晩生)」や「オオジロ(早生)」といった品種が多く栽培されており、それぞれ、1)ハウス促成(被覆栽培)、2)トンネル早熟(被覆栽培)、3)普通総掘り(畑の全てのれんこんを収穫する露地栽培)、4)普通条掘り(種れんこん用として収穫しない条を残す露地栽培)―などの作型で生産されている。また、出荷先は京阪神市場を中心に周年出荷されている。
図5の大阪中央卸売市場計の月別入荷実績によれば、徳島県産れんこんはおせち料理向けの需要が高まる12月には市場入荷量の6割を占め、その他の月も5~7割を占めている。出荷量の減少傾向が見られるものの、依然として京阪神市場での占有率は高く、れんこんといえば、甘くて、シャキシャキとした歯ごたえのある白い徳島県産れんこんを連想する関西の消費者は少なくない。
徳島産れんこんは、収穫する数週間前には葉を刈り取り、地下部への酸素の供給を絶つ。この工程を加えることによって、表皮が茶色に変色するのを防ぎ、れんこんの白さを保つことができるのである。また、れんこんの収穫には、水を張ったままでポンプの水圧により掘り出す「水掘り」と、水を抜いて行う「
鍬掘り」の二つの方法があるが、徳島県の場合、れんこん畑の粘土質が強いため、後者の鍬掘り方法が主流である。生産者は、れんこん掘取り機で表土を取り除いた後、柄の短い
熊手を使って、一つ一つ手掘りで傷を付けないよう掘り出すなど、手作業で丁寧に収穫した商品づくりも特筆すべき点である。重い粘土質の土で育ったれんこんは身がしまり、シャキシャキとした食感をもたらすだけでなく、口の中で咀嚼時間が長くなるため、甘みが感じられる特徴がある。