ここでは、上記事業を活用して、経営の安定化に向けて複合経営を開始した2人の若手生産者の取り組みを紹介する。
(1)神山勇太朗氏の取り組み
ア 経営概況
現在28歳の神山氏はさとうきび49.8アールとピーマン10アールの複合経営を行っている(写真2、3)。
もともと、祖父がさとうきびを栽培しており、「祖父の行うさとうきび栽培をこの先も続けたい」との思いから沖縄本島の農業大学校に進学した。その後、島に戻ってピーマンの栽培を開始し、ピーマンの生産体制が落ち着いたことから、徐々に祖父からさとうきびの
圃場を継承している。
就農に際し、前述の県事業や村事業をビニールハウスの防風・遮光ネットやパイプ、苗代などの初期投資に利用したとのことである。
伊是名村のピーマン生産者は神山氏1人だが、本島でピーマン栽培の盛んな
具志頭村
(注1)や
豊見城市のピーマン生産者と情報交換を行いながら、生産性の向上に努めているという。
注1:『野菜情報』2020年10月号「沖縄県島尻郡八重瀬町におけるピーマンの生産~地域ブランド「ぐしちゃんピーマン」の産地形成の取り組み~」をご参照ください。
〈
https://vegetable.alic.go.jp/yasaijoho/senmon/2010_chosa01.html〉
イ ピーマンとの複合経営
神山氏がピーマンの栽培を始めたのは、(1)農業大学校で扱った経験があったこと(2)果菜類に分類されるピーマンは、葉物野菜と比べて日持ちするため沖縄本島向けの海上輸送に耐えられること―などの理由からである。
神山氏が栽培している「ちぐさ」という品種は、大型ベル系ピーマンの一つで、具志頭地区における主流品種である(写真4)。ピーマン特有の青臭さや苦みが少なく、甘みがあり、果肉はやや肉厚で通常のピーマンよりも大ぶりという特長を有する。日本で最も多く出回っている中型ピーマンが1個当たり約30~40グラムなのに対し、ちぐさは約70グラムと約2倍の重量がある。小さいうちに収穫すると回転率が上がることから収量が伸びるほか、長期間にわたり収穫できることから、小さめの収穫を心掛けているとのことである。
神山氏のピーマン栽培は、8月後半から植え付け作業を開始している。植え付け後は、台風シーズンが終わる10月に誘引
(注2)を行い、11月にハウスにビニールを張り、12月に剪定作業を行っている。収穫作業は露地ものが始まる10月から翌年6月まで続く(図6)。
緑肥として、もみ殻や米ぬか、さとうきびの葉を圃場に散布しているほか、製糖工場で副産物として生産される糖蜜を薄めて散布することで、より良い土壌づくりに努めているという。
注2:ピーマンが風などにあおられても大きく揺れないよう、枝を支柱などに引っ張る作業。
神山氏のピーマンは、他の生産者との差別化を図るため「ゆーぴー」という商品名で販売している。大きくてみずみずしいほか、パプリカのような甘みがあり、ピーマンが苦手な子どもでも食べられるため、島内の売店や沖縄本島のファーマーズマーケット(直売所)で人気が高い(写真5)。
こうしたピーマンの栽培とともに、さとうきび栽培も行っており、春から初夏にかけてさとうきびの植え付けを行い、冬は午前中にピーマンの収穫、午後はさとうきびの手刈り収穫を行っている。さとうきびの植え付け後は、圃場ごとに設置された放水ポンプ(写真6)を用いて村内のため池の水を簡単に放水でき、収穫期には、村の農作業受託組織に収穫作業を委託することで省力化につなげている。
村ではゆいまーる(助け合い)の精神もあり、ピーマンとさとうきびの収穫が忙しいときは、村の若手生産者の他、製糖工場や役場の職員などに声を掛けて収穫を手伝ってもらうこともあるとのことである。
ウ 今後の見通し
神山氏は、収益性向上のため、ピーマンの経営面積をハウス6棟(20アール)まで拡大したことがあったが、管理作業が大変で休む間もなかったことから、現在はハウス3棟(10アール)を管理している。
その分、(1)単価の高いLサイズではなくS~Mサイズを多く出荷し、圃場回転率を上げること(2)自ら梱包作業を行うこと(3)直売所に卸して出荷コストを削減すること―で収益性の向上を目指している。将来的にはネット販売も検討しているとのことである。
今後は、祖父からさとうきび圃場を追加で継承する予定であり、収穫面積や単収の増加を見込んでいる。神山氏が農業を始めたきっかけである「祖父の行うさとうきび生産をこの先も続けたい」という思いは、ピーマン栽培とともに今後も引き継がれていくことだろう。
(2)伊禮(いれい)勇作氏の取り組み
ア 経営概況
伊禮氏は、令和5年5月時点で、さとうきび18アールの栽培とともに、母牛17頭、子牛11頭を飼養する複合経営を行っている(写真7、8)。
さとうきびは幼い頃から身近な存在であったが、父親が人工授精師として畜産業に従事していたことから畜産業への憧れがあったという。専門学校卒業後は本島で介護職に従事していたものの、40歳目前の元年に脱サラして農業大学校へ進学し、憧れであった肉用牛繁殖農家となった。同時に、親族からさとうきびの圃場を継承し、さとうきび生産を開始した。就農前には、農業大学校で畜産の勉強をしながら、
今帰仁村家畜市場で周辺の畜産農家から情報収集を行ったとのことである。
今帰仁村家畜市場に出荷される子牛は質が良いとの評価から、取引価格が高く、県外の購買者も多いため、同家畜市場に出荷している。9カ月齢で300キログラムになる子牛は増体が良く、高く売れるため、飼料の配合のほか、消化しやすいよう給餌する牧草の長さにもこだわっている。なお、母牛用の牧草は7割が自家生産で、子牛用には濃厚飼料をJAから購入しているとのことである(写真9)。
イ 肉用牛繁殖経営との複合経営
さとうきび生産は比較的手がかからず、複合経営に向いているのがメリットである。植え付け作業や防除作業を村の農作業受託組織に委託することで、空いた時間で、繁殖経営に従事することができる。
繁殖経営は、他の農作物に比べて初期費用がかかり、伊禮氏は経営開始前に牛舎の建設や母牛16頭の導入に2000万円を要したという。また、母牛を導入してから子牛を売るまでに一定期間を要するため、その間の収入を県事業や村事業、さとうきび甘味資源作物交付金で賄うことで生活の見通しを立てたとのことである。
他にも、村では繁殖雌牛の導入費用を半額助成(上限40万円)しており、生産者負担は実質6割ほどで済んでいる。
経営が軌道に乗り、現在では、収入全体の7割を繁殖経営が占めているという。
ウ 今後の見通し
令和5年産のさとうきびの作付面積は、親族からの継承もあり300アールを超えた。4年度には人工授精師の資格を取得し、今後は、和牛の受精卵移植に取り組みたいとのことである。今後2~3年のうちに牛舎を増設し、母牛を50頭まで増頭後は、従業員の雇用を検討しているとのことである。
伊禮氏の牛舎では、敷料に島内のライスセンターから出たもみ殻を用いており、今後は、牛ふん堆肥をさとうきび圃場に散布し、循環型農業による付加価値を高めたいと意欲的だ。牛ふん堆肥の散布は地力の向上にもつながり、さとうきびの単収増加も期待される。