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〔特集〕野菜農業における担い手の育成・確保に向けた取り組み(野菜情報 2016年12月号)


新規参入者によるピーマン産地の再興
~そお鹿児島農業協同組合ピーマン専門部会における取り組み~

東北大学大学院農学研究科
教授 盛田 清秀

要約

 そお鹿児島農業協同組合管内の志布志市は、昭和43(1968)年よりピーマンの栽培に取り組み指定産地となったが、50年代後半(1970年代)から価格低迷などにより作付面積が減少し、一時は産地衰退の危機を迎えた。そこで、平成8(1996)年に行政とJAが連携して新規就農者の育成を開始し、現在は部会員89人のうち分のターンが占め、産地の活性化につながっている。

 はじめに

まず、わが国の農業経営をめぐる基本的数値を確認しておこう。平成27(2015)年の農業経営体数は137万経営体であるが、これは平成22(2010)年の167万経営体から18.0の減少である(表)。データがもっとさかのぼれる販売農家数の推移で見ると、同時期の減少率は18.5で、昭和60(1985)年以降の30年間では最も大きな減少率であり、また年ごとでは最近になればなるほど減少率は大きくなる。つまり近年、農業経営体数の減少は加速する傾向にあり、高齢化、農業経済の停滞を背景に、経営体数は減少テンポを速めている。

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このように、農業経営体ないし販売農家といういわば経営主体の減少が加速していると同時に、農業労働力も減少している。農業労働力を示す統計指標はいくつかあるが、農業専従者のイメージにもっとも近い「基幹的農業従事者」の動向を見ると、平成27(2015)年に175万千人を数え、22(2010)年からの減少率は14.5である。平成12(2000)年以降はこちらも減少率が増大する傾向にある(表2)

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ところで、農林業センサスは年ごとの全数調査であるが、その間を埋めるために毎年農業構造動態調査がサンプル調査に基づき実施されている。その最新統計である平成28(2016)年調査は少し気になる結果を示しているのであえてここで紹介しておきたい。それは、基幹的農業従事者が27(2015)年から28(2016)年にかけて9.6も減少して158万千人になったことである。この減少率がそのまま続くと、次の農林業センサスまでの年間で約40の減少率となる。これはたいへんなスピードであり、担い手確保を並行して手当てしないと農業の労働力不足はこれまでにないほど深刻なものになるかもしれない。構造変革と結び付けばよいのだが、たいへん気になるデータなので紹介した次第である。

以上のような全体の状況を踏まえると、農業の担い手確保は喫緊の課題であることははっきりしている。新規就農者は平成27(2015)年に全国で万5030人、うち「新規参入者」とされる農業経営を始めた非農家出身者は3570人と5.5を占めている。大多数を占めるのは農家の子弟(万1020人、78.5)だが、法人などの社員になるなどの「新規雇用就農者」も万430人、16.0と一定の割合を占めている。このうち、44歳以下(青年就農給付金の対象年齢)に限ると、新規参入者は2320人で11.7とやや割合を高める。農業に新しい人材を確保する上で、非農家出身者を受け入れることはとても大切なことといえる。

本報告では、鹿児島県の東部に位置するそお鹿児島農業協同組合(以下「JAそお鹿児島」という)におけるピーマン専門部会と公益財団法人志布志市農業公社(以下「志布志市農業公社」という)の新規就農者支援対策を中心に28(2016)年8月末に行った現地調査に基づき紹介する。

 報告の限定

最初に、新規就農者確保・育成の取り組みに関する本報告での対象を限定しておきたい。今回取り上げる事例は、産地衰退の危機に直面したピーマン産地が、新規就農者の確保によって復活したケースである。

しかし、その取り組みの全体像はいささか複雑である。JAそお鹿児島管内の新規就農者支援対策は、志布志市農業公社、鹿児島県大隅地域振興局曽於畑地かんがい農業推進センター(以下「畑かんセンター」という)、志布志市役所など市町村との連携によって取り組まれている。また新規就農者支援はもともとピーマンという品目に限定せずに実施されてきた。その中で、新規就農者に適した栽培品目としてピーマンが選ばれ、生産に適した立地条件もあってピーマン栽培に特化する形で新規就農者が確保されてきたという経緯がある。

すなわち新規就農者支援の枠組みは、第一に農業関係機関の連携によって実施されてきたが、各組織の管轄する地域が一致していないことに留意する必要がある。JAそお鹿児島の管内は、曽於市と大崎町の全域、旧有明町を除く志布志市(旧有明町を管内とするJAあおぞらが存続)、鹿屋市の一部地区(輝北地区)である。JAそお鹿児島はこの管内において新規就農者の確保・育成に取り組んでいる。一方で、JA管内の市町村はそれぞれ独自の新規就農支援を行っており、支援の内容も水準も異なっている。新規就農者は住所によって支援内容が異なるのである。

第二に、支援品目が異なっている。志布志市の旧志布志町と旧松山町では支援品目を当初はピーマンといちごに限定し、現在はピーマンのみとなっている。これに対して曽於市や大崎町の新規就農者支援は品目を限定していない。また鹿屋市輝北地区では鹿屋市農業公社が施設を対象品目として研修事業を実施している。

このように、新規就農者支援においては支援組織の連携と品目が入り組んだ関係にある。そこで、本報告では、新規就農者が主力となっているJAそお鹿児島ピーマン専門部会、ならびに新規就農支援対策に歴史と実績を有する志布志市農業公社に焦点を当てることとしたい。なお、現状ではほとんどのピーマン生産者は志布志市内の旧志布志町と旧松山町に居住している(図1)。このため、ピーマン専門部会の活動にかかわって新規就農者支援の問題を考察する場合、JAそお鹿児島と志布志市農業公社の連携関係を見ていけば問題はないと考えられる。ただし、ピーマンの高収益が知られるにつれ、それ以外の地区でもピーマン生産への取り組みが広がり始めており、新規就農者支援が居住市町村により異なることへの対処が課題となりつつある。

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 JAそお鹿児島および志布志市農業公社について

JAそお鹿児島は鹿児島県東部、大隅半島の付け根辺りに位置し、前述のように町にまたがる地域を管内としている。正組合員は9036人、准組合員4779人で、平成27(2015)年度(事業年度平成27(2015)28(2016)月29日)の販売額合計は287億円である。主な品目としては子牛108億円(販売額合計に占める割合37.6)、肉牛62億円(同21.6)、野菜37億円(同12.9)、肉豚30億円(同10.5)、茶11億円(同3.8)となっていて、畜産が中心である。

野菜の中ではピーマンが15億円(5.2)と単品では最も大きな金額である(写真1)。特筆すべきは営農指導体制の充実で、営農指導員58人、生活指導員人を擁しており、全職員343人に占める割合は19である。

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志布志市農業公社は、農地流動化、農作業受委託、農業機械貸付などを事業目的に、志布志市が設立した第セクターであり、新規就農者育成(研修事業)も主要な活動の柱である。志布志市は、18(2006)月に志布志町、松山町、有明町の町が合併して成立したが、農業公社は8(1996)年にまず旧志布志町で設立され、旧有明町が11(1999)年、旧松山町が13(2001)年にそれぞれ設立していたものである。この公社ともに母体は合併前JAの農業管理センターである。地域ごとの農業事情の違いを背景として、旧志布志町ではピーマン、旧有明町ではいちご、旧松山町ではピーマンといちごの新規就農者育成が目指され(研修事業)、旧有明町では農作業受委託が主要な活動の柱であった。しかし研修事業の品目面では、組織化になじみやすく、栽培には特段に高度な技術がいらないとされるピーマンに品目が絞られていった。これら町の農業公社が、志布志市誕生を受けて19(2007)年に統合され現在の志布志市農業公社となっている。

志布志市農業公社は、3000万円の基本財産を持ち、志布志市(70)、JAそお鹿児島(20)および旧有明町を管内とするJAあおぞら(10)が出資している。また毎年の運営負担金(事業収入と支出の差額)は40005000万円程度で、市が80、2JAが20JAそお鹿児島とJAあおぞらの負担比率は)を分担して負担している。理事長は副市長で、職員は16名(正職員、准職員、オペレータ)、27(2015)年に研修係を新設し、係員名体制で志布志市農業公社所有の研修ハウス(10棟、計1.5ヘクタール)て研修事業を担当している。このほか、農地利用集積事業(利用権設定面積317ヘクタール)、農作業受委託事業(トラクター、コンバイン、無人ヘリなどを所有し、ロータリー耕、無人ヘリ防除、牧草刈取梱包、水稲関連作業など延べ2657ヘクタール)を実施している。

 新規就農者確保・支援活動

志布志市での新規就農者支援の特徴は、手厚い支援策もさることながら、関係機関の密接な連携と明確な役割分担による取り組みであろう。

新規就農に向けた研修希望者の審査は、志布志市農業公社、畑かんセンター、JAそお鹿児島、市が合同で行うが、研修事業の説明会開催や就農希望者への事前の農業体験機会の提供は志布志市農業公社が担当する。また就農希望者が審査をパスして研修に入ると、志布志市農業公社所有の研修ハウスでピーマン栽培の技術指導を担当する。研修期間は年で、年目は月15万円(夫婦では25万円)の支給を受けながら技術を学ぶ。そして年目は独立経営方式に移行してピーマン栽培からの収益で生計費を確保することとなる。年間の研修を終えると完全に独立するが、志布志市農業公社はその段階で農地をあっせんする。連携する他機関の役割として、畑かんセンターは農業技術や経営知識(簿記を含む)の講習、資金計画の作成やカウンセリングを担当する。またJAそお鹿児島も資金計画作成を支援するとともに、ピーマンに関する基礎講座、栽培講習会・現地検討会を開催して技術の底上げを図る。さらに、市は就農計画作成や補助事業申請の支援を行う。年間の研修期間を終えて就農した後は畑かんセンターとJAそお鹿児島が引き続き技術・経営指導を行うとともに、ピーマン専門部会のメンバーがさまざまなアドバイスを行うが、これは研修期間中から始まっている。

以上のような支援は、頻度と内容がきめ細かにプログラム化されていて、それぞれの機関が責任をもって担当し、実行することとなっている。

次に経済面の支援について紹介する。研修年目は前述のように、毎月15万円の手当が支給され、夫婦の場合は25万円に増額される。これは国の青年就農給付金制度(年間最高額150万円)が創設される前から行われており、現在は青年就農給付金支給額が控除されて支給される。すなわち年目で単身の場合は15万円×12カ月、計180万円となるが、青年就農給付金が150万円支給される場合、志布志市農業公社からの手当は差額の年間30万円となる。また、このほかに住宅助成があり、毎月の家賃が万円を超える場合は万円を限度に差額が支給される。

また、新規就農者だけの対策ではないが、市(35)、JA(35)、生産者(30)の者拠出による冬春ピーマンの野菜価格安定対策事業(注)、市単独事業の農業生産対策事業(たとえば暖房機、ハウス自動開閉装置、頭上潅水装置、耕地の傾斜緩和などへの助成)が行われている。

さらにJAそお鹿児島は平成9(1997)年以来、農業後継者育成対策事業を実施しており、正組合員年額戸200円の負担金を原資に、後継者支援とJA組織経営者としての育成・確保を図るため新規参入者・ターン者への就農祝金(年額万円)、パソコン研修(税務申告)などを実施している。

以上、関係機関の連携による濃密な指導・支援に加え、資金面での支援もまた手厚いものであることがよくわかる。

注:当地の冬春ピーマンは、農畜産業振興機構が実施している指定野菜価格安定対策事業に加入している。同事業は、販売した野菜の平均販売価額が平均価格の90%(保証基準額)を下回った場合、保証基準額と平均販売価額との差額を補てんする(補給金を交付する)事業であるが、当該事業で、同事業を補足している。

 ピーマン専門部会の推移と産地衰退の危機

ところで、以上のような新規就農支援はどのような背景において実施されてきたのであろうか。これまでのピーマン専門部会の組合員(部会員)数、栽培面積、生産量の実績と推移を示したものが図である。

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ピーマンの栽培は、昭和43(1968)年に旧志布志町安楽地区で12戸の農家が0.8ヘクタールを作付したことに始まる。その後栽培農家と面積は順調な伸びを示し、47(1972)年には旧志布志町が国の冬春ピーマンの指定産地となり、52(1977)年には栽培面積(22.5ヘクタール)、翌年には部会員(101戸)と生産量(1822トン)でそれぞれピークに達している。このように、栽培開始後10年ほどで飛躍的な伸びを示し、産地としての確立をみたのである。しかし、それをピークとして、部会員、栽培面積ともに減り続け、平成2(1990)年にはついに、部会員38戸、栽培面積7.5ヘクタールにまで落ち込む。この結果、指定産地要件(ピーマンの単独品目指定要件ヘクタール、なお複数品目指定の場合はヘクタール)を割り込み、指定産地解除の危機に直面する。この時期は生産量も毎年1000トンを下回る。その原因として、価格の低迷や価格変動の大きさが指摘されている。

実際、販売単価を示す図を見ると、昭和54(1979)年のキログラム当たり516円までは変動を伴いつつも価格の上昇傾向は顕著である。しかし、それ以降の10年間は、価格は停滞ないし低迷して推移している。この54(1979)年というのは第次オイルショックが始まった年であるが、燃料価格が高騰する中で販売単価が停滞的に推移すれば経営的に苦しいのは当然であろう。

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以上を踏まえて、これまでのピーマン専門部会の展開を時期別に見ると、期に分けて整理することができそうである。

期は昭和43(1968)年から53(1978)年までの11年間で、栽培開始以降、部会員、栽培面積、生産量がそろって急速に伸びを示す「拡大期」である。この時期はまた図にみられるように、戸当たりの栽培面積も当初のアールから22アールへと約倍に拡大し、販売単価もキログラム当たり160180円から同300500円へと倍以上に伸びている。生産拡大と価格上昇が好循環を生み出した時期であると言え、53年には総販売額も億円を超えている。しかし、図が示すように、単収は当初の10アール当たり10トン前後から同7~8トン程度へと低下傾向を示している。技術の習得が追い付かなかったことを示しているのかもしれない。

期は、昭和54(1979)年から平成2(1990)年までの12年間で、部会員、栽培面積、生産量がともに急減する「低迷期」である。部会員、栽培面積、生産量ともに分の程度に落ち込んでしまう。販売単価の変動は大きく、価格水準は停滞的に推移している(図)。部会員が減るもとで戸当たりの栽培面積も減少傾向を示し、栽培面積全体の減少が加速している。しかし、単収は10アール当たり8~10トンへと若干の伸びを示している。

期は、平成3(1991)年から現在に至る「回復・発展期」である。部会員、栽培面積、生産量ともに急速な回復と拡大を示している。この時期、販売単価は11(1999)年を底にそれ以降は回復傾向を示すものの、第期全体を通じて見ると価格条件は必ずしも改善したとは言えない。しかし、部会員1戸当たりの栽培面積は着実に増大し、20アールから28アールへと40拡大する。また単収も並行して伸び、10アール当たり13トン前後へと50程度増加している。この結果、生産量は3000トンを超え、販売額も14億円程度に伸び、戸当たりの販売額は1600万円前後に達している。

こうした産地復活は、関係機関によるさまざまな取り組みの結果であろうが、8(1996)年に旧志布志町で農業公社が設立され、新規就農者支援事業が始まったことは産地再活性化に大きな力になったことは間違いない。10(1998)年には最初の研修生(期生)が就農し、その後、現在に至るまで21期127人の研修生を受け入れている。25(2013)年時点は、部会員86人のうち研修修了者は58人(67)にも達している。前述の時期区分で言えば、第期の途中から研修事業は本格化したのであるが、こうした研修事業の取り組みがなかったなら産地としての回復・発展は望めなかったであろう(写真2)

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 新規就農者の受入れ実績研修事業のこれまでの取り組み

志布志市農業公社が実施している研修事業への受け入れには一定の条件が課され、資格審査を受けなければならない。現在の受入れ条件は、①農業に対する固い意志と意欲のある農業後継者もしくは新規就農希望者であること、②研修終了後は志布志市内に居住し就農できる者、③原則として夫婦での就農であること、④おおむね45歳未満であること、⑤自己資金を500万円以上有していること(残高証明があること)、⑥心身ともに健康であること(健康診断書提出)、である。こうした要件を満たしているかどうかが厳格に審査される。

また、審査前に志布志市農業公社が主催する農業体験への参加を応募条件とし、現地の農業の実態を理解した上での応募となるようしている。募集人員は夫婦組(名)で、審査をパスすると志布志市農業公社研修ハウスで人15アール(夫婦では30アール)のピーマン栽培を担当して技術習得を目指すこととなる。期間は年間で年目は人では月15万円、夫婦では月25万円の研修手当が支給される。年目には担当面積分について独立採算制での栽培に移行する。所得を自分で確保することとなり、研修手当は支給されない。期生(平成14(2002)年)までは年間研修手当が支給されていたのだが、期生から現在の方式に切り替わっている。現在の方式の方がピーマンの品質、経営成績ともに良好で、この方式は定着しているとのことである。

は、志布志市農業公社資料をもとに研修生の受け入れ状況を整理したものである。平成8(1996)年の研修事業開始以来、旧志布志町、旧松山町、旧有明町の各農業公社と統合後の志布志市農業公社の研修実績を集計して示している。受け入れた研修生は21年間(21期生)で127人、年によって人数は違うが、平均して毎年人受け入れてきたことになる。研修開始時の年齢が判明している121人では、20代が22人(18)、30代が61人(50)、40代が24人(20)、50代14人(12)となっていて、30代がおよそ半数を占めている。出身地域では、県外が93人(73)、県内34人(27)と県外が分のを占めている。

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現在研修期間中の人を除いて、研修修了者は110人で、人は研修期間中に辞退している。これまでの離農者は17人で初めの頃の研修生が多い。一方で、平成15(2003)年以降の離農がほとんどないことは注目に値する。関係機関による丁寧な支援体制と手厚い支援策がこうした定着率の高さをもたらしているのであろう(写真3)

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 新規就農者の紹介

松井啓祐さん(43歳)・かおりさん(43歳)夫妻

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平成22(2010)年に研修生となり、独立して年目の松井さん夫妻(写真4)は現在、13棟のハウスでピーマンを31アール栽培している。お子さんは人で、啓祐さんは出身地の東京で金属加工会社に勤めていたが、かおりさんの出身地である鹿児島県(鹿児島市)に移住して農業を仕事に選んだものである。東京でも市民農園を始めていて農業に興味を持っていたところ、ネットで就農者の記事が載っていて、手厚いサポートがあることを知った。家族で移る以上、経済的に自立していけるかどうかがポイントになるが、年目に手当が支給され、年目は独立採算だが就農時に農地があっせんされることは大きいことだった。病院や学校、商店など生活面での不安もあったが、回の農業体験に参加して事情も分かり、新規就農の先輩人からもいろいろ話が聞けたので不安は解消された。ただし、体験時の定植作業はたいへんで「死にそう」だった。

ほかの地域での就農も検討したが、関東では農地の仲介もなく、かおりさんは田舎暮らしを希望していたので最終的にここを選んだ。不安はあったが、新規就農の先輩がいたことが決め手だった。

栽培面積は、品質を確保するためには現状が限界である。営農面での不安としては、台風被害、病害虫発生などはあるが、冬春ピーマンという立地を生かした作型は他産地との競合も少ないというメリットがある。指定野菜価格安定対策事業もあり、価格の低落時には、補給金も受けられるので、頑張っていけば生活はしていける。

年間の作業としては、月20日ごろにしゅし、下旬から定植が始まって月下旬にピークを迎える。収穫は月下旬から始まり、10月中旬から本格化して、月まで続く。割は自家育苗だが、一部はJAそお鹿児島が生産委託している苗を購入する。後片付けが月に終わると月から月は余裕ができる。新規就農者はいろいろな人がいて、パソコンやICT技術に詳しい人もいる。天敵の導入も早く、天敵のチームで研究した成果を伝えてくれ、それにトライして農薬散布回数も減った。コスト的にも助かるし、省力化でき、農薬被爆の不安も軽減できる。現在の単収は10アール当たり14トン弱というところだが、これをできるだけ引き上げていくことが目標だという。また借地は15年契約だが購入の意思もある。

生活面ではピーマン関係、近所や集落での温かい人づきあいがあったし、子供を通じた付き合いもあってなじめた。現在、自宅を建てているところだ。新規就農者が来ることで小学校も児童の数が増え、複式学級にならないですんでいる。

植松裕補さん(42歳)、奈緒さん(37歳)夫妻

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植松さん夫妻(写真5)は横浜出身で、現在12棟のハウスでピーマン30アールを栽培している。お子さんは人で、裕輔さんは看護師を経て建築関係の会社勤め、奈緒さんは介護士からの転職である。平成22(2010)年に研修に入り、やはり就農年目である。もともと自分の作ったものを食べることが体にも良いし、「生きる」上でも本来の在り方と考えていて、農業をやりたいと思っていた。いろいろ自分で情報も集め、もうかる農業ができるのではないかと考えたし、自給率向上にも貢献できるとも考えた。当初は地元の神奈川で就農したいと考え、就農支援センターに年ほど通ったりしたが、十分なあっせんがなかった。それで就農フェアなどに参加し、2~3カ所回った上で、奈緒さんが寒がりで暖かい南の方の地方がいいということでここを選んだ。

この地区の支援策で年目に15万円(夫婦では25万円)研修手当が支給されるのはとても大きい。他地域では農業大学校に入学することなどが条件になっているところもあり、むしろお金を払わなければならないのだから。初期投資額はかなり大きい。全事業費としては4000万円ほどで、補助があるので補助残の2000万円が自己資金ということになる。それについては制度資金の融資を受けている。また、これには当初年間は市からの利子助成があるという。

栽培面積としては人だと30アールが限界である。子供もいるので学校行事があり、それにも出席しなければならないこともある。農地は10年契約の借地だが、購入の意思はある。むしろ、どうせ購入するのであれば最初から買えれば借地料が節約できたとも思う。水田で自家用米くらいは作りたいと思っている。子供には農業(播種、収穫)を手伝わせている。すでに自宅も購入しているとのことである。

 終わりに

最後にお話をうかがった、松井さん、植松さん夫妻の表情は、明るく気負いのないものであった。就農年目ということもあるのだろうが、仕事と生活の両面で充実感を覚えているのだろうと筆者は勝手に解釈した。

おそらく新規就農者の方々のほとんどは、松井さん、植松さん夫妻のように感じているのではないかと想像するし、そのことは何よりも新規就農者の定着率の高さにも表れているのだと思う。

JAそお鹿児島と志布志市農業公社の新規就農受入対策は、すでに20年間の実績を持つが、その成果は極めて高く評価できる。むろん、ピーマンという適作物を見いだしたということは極めて重要な成功要因であったとはいえ、新規就農を支援する関係機関の連携体制、万全を期した役割分担、研修手当に代表される生活不安を取り除く手厚い支援策が相まっての成果であり、産地復興であろう。

農業振興や地域活性化の取り組みは、通常は何かのマニュアルを策定し、それを実行するだけでは絶対といってよいほどにうまくいかないものである。本報告で紹介した事例にも、紹介しきれないほどの関係者の苦労、熱意、試行錯誤があったのであろうと想像できる。しかしながら、適切な作物選択が前提であるが、それを軸に関係機関の連携と役割分担、生活不安を軽減する支援策については学べることも多く、また関係機関がなすべき課題・内容は明確に示されているように思う。もし、農業の担い手不足が地域の課題であるならば、すぐになすべき指針をこの事例は確かに示しているのではないだろうか。

最後になったが、お話をうかがった松井啓さん、かおりさん夫妻、植松裕さん、奈緒さん夫妻、ピーマン専門部会長の鎌田勝利さん、今回の調査をアレンジしていただき、お話をうかがったJAそお鹿児島の農産部営農指導販売課森満課長、東別府次長、徳留営農指導員、志布志市農政畜産課の今井課長、北野課長補佐、詳細な資料をご準備いただき、貴重なお話をうかがった志布志市農業公社の村中事務局長の皆様に心よりお礼申し上げます。


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