日本でポテトサラダが広がったルーツは諸説ありますが、中でもロシア料理の「オリヴィエ・サラダ説」が有力と考えられます。ロシアのレストラン「エルミタージュ」のシェフだったリュシアン・オリヴィエが考案した、ばれいしょに蒸した鶏肉、ゆで卵、にんじん、きゅうりを加えてマヨネーズであえたサラダで、ロシアでは名物料理の一つとなっています。この料理を起点として、ばれいしょを使ったサラダが世界に広まり、中東、ヨーロッパでは、現在でも「ロシア風サラダ」という名前でメニューに載っているようです。
ばれいしょが日本に食用として伝来したといわれるのは江戸時代ですが、当時のばれいしょの味は淡白で、和食に合いにくいという事情があったらしく、料理本に登場するのは1897(明治30)年以降です。その後、大正時代に入り、東京の帝国ホテルで現在の原型となったポテトサラダが考案されました。当時はハイカラで高級な料理だったと考えられますが、第二次世界大戦後に日本人の食生活が大きく変化する中で、一般的なメニューとして少しずつ認知され、学校給食にもキャベツ入りポテトサラダが提供されるようになりました。
外国で生まれたポテトサラダが、米食中心の日本でこれほど好まれたのはなぜか?その理由の一つが、マヨネーズの存在だと考えられます。卵黄タイプのコクの強さが、日本で長年親しまれてきた調味料のみそやしょうゆのように「ご飯に合う味付け」を作り出していると推測されます。1925(大正14)年に日本で初めて発売されたマヨネーズが日本人に受け入れられ、広く浸透したからこそ「おかずになるポテトサラダ」が生まれ、日本独自の味に進化したと考えられます。
ポテトサラダが家庭料理として広く浸透し始める中で、74(昭和49)年ごろから惣菜として販売されるようになりました(図1)。当時はばれいしょ、たまねぎ、にんじん、マヨネーズのみで構成され、パンに乗せて食べることを想定した商品でした。
その後、中食事業の伸長予測の下、キユーピー株式会社が75(昭和50)年に設立したデリア食品株式会社は、今日に至るまでの50年間、ポテトサラダをはじめとする惣菜をお客さまに提供し続けてきました。そして、さらなるポテトサラダの市場活性化に向け、2015年に、10月10日を「ポテトサラダの日」に制定し(図2)、日本の国民食とも言えるポテトサラダの普及に商品だけではない角度からも携わってきました。