島根県邑南町役場 商工観光課 課長 寺本 英仁
「今は、都会より田舎のほうが、暮らしに誇りを実感できる世の中だ」
これを僕は「地域の誇り=ビレッジプライド」といつの日か呼ぶようになった。ただ、その当時、僕自身はこの「ビレッジプライド」と言う言葉を、自分を奮い立たせるために叫び続けていたのかもしれない。しかし、2020年を迎えた今は、自分は自信を持ってこの「ビレッジプライド」と言う言葉を世の中に語ることができると思う。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)予防のため、政府は企業にテレワークや時間差通勤を推奨したり、学校の休校や大規模イベントの自粛を促すなど感染対策を行っている。もちろん、人命が大優先であるためそれを否定するつもりは毛頭ないが、経済は落ち込み、今朝の新聞を読むとリーマンショック時以上の経済対策を考えていると言う。
そんな全世界が驚愕している中、僕が暮らしている島根県邑南町も小中学校は休校となり、町で開催を計画していたイベントなども中止になっているが、どこか、普段と変わらない時間の流れが続いているような気持ちになるのは僕だけなのだろうか。
ここで簡単に邑南町の紹介をすることにする。邑南町は島根県中南部、標高100~600メートルに位置する中山間地。いわゆる山里である。広島県と接しており、高速道路を使うと広島駅や広島空港まで1時間半~2時間ほどでいける(図1)。
だから、田舎でありながら住んでいる僕自身、どこか自分のことを田舎者と思っていない。もう少し、邑南町の歴史を掘り下げて見ると、今から15年前の2004年(平成16年)10月、いわゆる「平成の大合併」で、羽須美村、瑞穂町、石見町の三町村が合併して発足した。合併時の人口は約1万3千人だったが、現在は1万1千人を切り、数年後は人口1万人さえも切ろうとしている。高齢化率は年々上昇していき、今では43%超というよくある「過疎の町」である。ただ、合併が少しずつ町にも変化をもたらしてきた。今、邑南町では人口減少の右肩下がりが穏やかになり、子供が増えてきているからだ。
特殊合計出生率は2.46(2015年、5年間の平均でも約2を越えている)3年連続社会増(転入と転出の差によって生じる人口の増加のこと)という実績になって表れている。前述したように、若い人のUターン、Iターンにより、少しずつではあるけれど子供たちが増えてきているのである。数字で見るとUターン、Iターンしてきた人は、2015年度でちょうど100名。島根県内の町村では突出して多い。そのうち20代から30代の女性は26名いる。田舎は老人ばかりで、若い人(特に女性)などいないだろう、と思われがちだが、邑南町は事情がまったく違う。
子育て世代にあたる30代女性の割合を少し細かく町内の12地区で見ると、2011年から2016年の間に8地区で増加しているのだ。維持が1地区、減少は3地区だが、減少数は5人以下と小さい。これは、少子化・高齢化が進む日本の中で驚くべきことなのだ。
何がすごいのか、一見、人口が多くて繁栄しているような都会と比較してみるとよく理解できる。
一極集中で人口が増え、一人勝ちのように思われている首都圏では、2013年から2017年で人口は2%増えた。しかし年齢別に見ると0~4歳人口も、5~64歳人口もどちらも1%減っている。増えているのは65歳以上の人口で12%増、そのうち75歳以上に限れば17%も増えているのである。つまり首都圏で増えているのは、退職世帯にあたる高齢者なのだ。若い世代にあたる実数は多いものの、出生率が低すぎて子供の数は減少している。さらに保育所の不足や地域コミュニティーがないことなどが子育ての環境を厳しくし、出生率は減り上がらないという悪循環が続いている。一方、邑南町は同じ期間に総人口は5%減ったが、0歳~4歳人口が3%増えた。5~64歳人口は9%減だが、65歳以上は増減なし、そのうち75歳以上は7%減だった。
この少子化時代に邑南町は乳幼児が増えている。これは、30代の夫婦のUターン、Iターンが増えているからだ。もちろん、安泰とまではいかないけれども、希望の光が見えてきた。それを数字が示しているのである。
そんな邑南町が平成23年から進めている定住プロジェクトの2本柱を説明する。
一つ目は「日本一の子育て村構想」である。中学卒業まで医療費の無料、第二子から保育料は完全無料という施策を中心に「地域で子育て」をする町を目指している。
そして、もう一つの施策が、私が平成23年から担当したA級グルメ構想だ。このA級グルメ構想は逆転の発想から生まれた。合併直後から人口減少・少子高齢化に悩まされていた邑南町は、町の農産物を武器に東京に販路を求めた。
その当時、宮崎県の東国原知事がテレビで宮崎県のマンゴーや宮崎牛の宣伝をしているのを目の当たりにして、私は「まさにこれだ」と思い、意気込んで平成19年に東京進出を実行した。しかし、いきなり壁にぶち当たった。それは、ある有名ホテルのバイヤーに町のブランド牛である石見和牛肉を売り込みに行った時のことだ。石見和牛肉は年間200頭の未経産牛を売りにしていたが、バイヤーは2週間で年間生産量分の200頭の牛肉の希少部位にあたるヒレ肉とサーロインを発注してきたのだ。生産量が追いつくはずもなく、私は東京の数の力に圧倒された。
その時、ブランド化はある程度まとまった生産力がないとできないと思った。邑南町のような地方の中山間地で少量でも、手間暇かけて生産する食材は、都会が求めているブランドはできない。むしろ、その町に住み、地道に農産物を生産する誇りを大事にしたいと思った。
先の経験から僕はブランドよりプライドをつくっていくことが、地方創生の鍵だと思った。
東京できらびやかに賑わっている一流のレストランを、この邑南町に作りたいと思ったのだ。
当時、地方に一流のレストランを作っても客は来ないという考え方が通説だった。その意見は、町の人や役場とも一致していた。しかし、ヨーロッパを考えるとミシュランの星付きレストランはミラノやパリなどの大都市だけにあるのではなく、むしろ地方に存在するということに注目した。
なぜ、ヨーロッパの地方にはミシュランの星付きレストランが沢山存在するのか。それは、地方には少量ではあるが、生産者がプライドをもって作った農産物や加工品が存在して、その一流の食材を、料理人がその現地で使いたいと思う自然な発想があるからである。まさに、「本当においしいものは地方にあって、本当においしいものを知っているのは地方の人間である」と言うA級グルメ構想の概念が詰まっているのである。
僕は周囲の反応に反して、よい農産物を地方で生産し、全て大都市に販路を求める日本の一般的な構図を崩していかないと、弱小の地方は絶対に勝てないと思った。そこで、日本の地方の農業の取り組みが変わると信じ、平成23年5月に素材房 ajikura(現在の里山イタリアン AJIKURA)を町直営で立ち上げ、邑南町の農産物を都会に出すのではなく、地元にわざわざ食べに来てもらう仕組みを作った。
オープン当初は「東京の銀座よりも高いランチ」と言う触れ込みが話題となり、多くのお客さんに来ていただいた。ランチの客単価が3500~1万円と破格の金額設定をしているのに、予約はまったく途絶えなかった。
当初、レストランの看板食材は石見和牛肉だと思い込んでいたが、それは本当に思い込みに過ぎなかった。確かに、石見和牛肉は人気があった。しかし、サラダや前菜に使われる邑南町の野菜を口にした方から「こんな味がしっかりした野菜を食べたのは初めてだ」とか「食べた歯触りが全然違う」といった、私たちにとって当たり前のことに感動してもらえることに驚いたのだ(写真1)。
邑南町で野菜は、主に高齢者が家庭菜園で生産するため、ほとんど市場に出回っていない。だから、僕もこの野菜に商品価値を意識することはなかった。しかし、お客様の声を聞くうちに、「なぜ、レストランのお客はこの野菜に感動するのか?」ということがわかってきた。
ある時、私は野菜の生産者である主婦がレストランを訪れた場面に出くわした。いつものようにシェフがテーブルにメイン料理である石見和牛肉のステーキについて説明していたのだが、そこに自分が作ったラディッシュが使われていることを目にした途端、喜びを隠しきれずに「わー、私の作ったラディッシュ!」と思わず声が漏れた。さらにシェフの手によって魔法をかけられたラディッシュを口にした生産者の「自分の作った野菜がこんなにおいしくなるなんて」と語った言葉を聞き、これが邑南町の野菜のおいしさなのだと確信したのだ。
正直それまでは野菜の味なんてどれも一緒ではないかと思っていたけど、それは大きな間違いであった。
邑南町で野菜作りに携わる人の多くは高齢者であるため、都会に大量に出荷できる生産量はない。しかし、だからこそわが子のように丹精込めて作っているのである。いわば、野菜は分身であり、生産者自身の誇りなのである。また、イキイキと楽しく稼ぐ高齢者の姿は、明るい未来を描けない若者にとっては憧れの存在になる。
多くの産地で行政は農産物のブランド化を目指しているが、ブランド化のためには、ある程度の数量が必要となってくる。しかし、地方はどんどん高齢化し、もはや求められる生産量には応えられなくなってきている。
では、地方はもうダメなのか?
いやそうではない。邑南町のような地方には、自分の命と同じように大事に野菜を作る生産者が存在するのである。
私はこの彼らの誇り高き生き方を「ビレッジプライド」と賞賛したい。
寺本 英仁(てらもと えいじ)
【略歴】
1994年 東京農業大学卒
島根県石見町役場(現邑南町役場)入庁。
邑南町が目指す「A級グルメ」 の仕掛け人として、道の駅、イタリアンレストラン、食の学校、耕すシェフの研修制度等を手掛ける。
小泉内閣時に発足した「地域産業おこしに燃える人」の第3期メンバー に選出。
NHKプロフェショナル仕事の流儀でスーパー公務員として紹介される。
総務省地域力創造アドバイザー
2020年4月~ 現職