農業ジャーナリスト 青山 浩子
平成27年10月、ついに環太平洋連携協定(TPP)が大筋合意に至った。政府の予測では畜産物などへの影響が大きいとみており、鮮度が重視される野菜への影響は比較的少ないとの見方だ。
農産物の自由化率が高く「ミニTPP」ともいわれる韓米自由貿易協定(FTA)(平成24年3月発効)でも、畜産物や果物への影響が大きく、野菜への被害は少ないといわれていた。
今のところ予測にほぼ沿った結果が出ている。輸入が増えているのはさくらんぼをはじめとする果物。さくらんぼは国内生産がほとんどなく、関税(発効前は24%)が即時撤廃となったため消費者の関心を引いた。さくらんぼを含む果物の輸入量(26年)はFTA発効前から約4割増えた。
韓国政府は国産農畜産物の価格が下がった場合、FTAがどの程度影響したかを計算した上で、一定の基準価格の90%を補てんする直接被害補てんを行っており、25年5月に初めて韓牛で発動した。
野菜への影響が懸念されたのはむしろ中国とのFTAだった。そもそも野菜や加工品の輸入が多く、距離も近い。関税撤廃となれば打撃は大きい。その韓中FTAも27年12月に発効した。ただ、米以外はすべて自由化した韓米FTAと異なり、韓国の農畜産物の3分の1に当たる548品目が関税撤廃対象から除外され、生産者は一息つく結果となった。
政府系シンクタンクの報告書(27年5月発行)によると、「重要品目の関税は維持された上、韓国農業に影響の大きい畜産物をはじめ、ばれいしょ、でんぷんなどはすべて関税撤廃対象の除外となったため、農業への影響は限定的」と報告書は分析している。一方、FTAに反対する農民団体の意見を拾うと「農畜産物の関税が守られても、キムチなど加工品の関税が下がるため、国内農業への影響は避けられない」と危機感を緩めていない。
韓国での動きを日本に置き換えてみると、TPPによる野菜への影響が限定的であるとしても、現在検討が進んでいる日韓中FTAが締結され、中国や韓国が野菜を含む自由化を要求してくれば影響は否定できない。
ただ現時点では、TPPやFTAなど外部環境の変化以上に、消費者の食の簡便化志向、異常気象への対応、資材費や人件費の値上がりなど内部環境の変化への対応が迫られている野菜産地が多いのではないだろうか。
食の簡便化志向は今に始まった話ではないが、本誌の「フリーズドライ食品の生産および商品開発状況」(27年9月号掲載)の調査に関わり、みそ汁に代表されるフリーズドライ食品が急速に市場拡大していることを目の当たりにした。主たる顧客層がそれまで手作り料理をしてきた消費者層であることも衝撃だった。今後高齢化が進めば、簡便化志向はますます進む。国産材料を重視する企業を選別した上での加工業務対応は重要度を増していくだろう。
異常気象が常態化する中、いかに安定供給するかという課題も重い。27年は全国的な天候不順で長期間高値が続いたが、年末は晴天続きで生育が過剰に進み、安値にふれるなど不安定な相場が続いた。激しい市況変動に辛酸をなめた生産者も多いはずだ。
懸念されるのは相場乱高下が収入の不安定を招き、離農に拍車がかかる点だ。離農者が増え産地の生産量が減少すると、実需者は安定供給のために輸入野菜に目を向ける。そうなるとTPPやFTAの関税削減は国内産地に追い打ちとなる。市場で求められる量と質の安定をいかに獲得するか、古くて新しい課題である。
岩手県のある大規模野菜生産者と会った折、「うちの農場は幸いにも計画通りの量を出荷できた」という話を聞いた。「リーダー核のスタッフが複数人育ち、適期作業ができたことが幸いした」と分析していた。
異常気象が常態化している今こそ、確かな技術力と管理を任せられる人材の存在がカギを握る。適期作業を確実に行い計画的な作業ができれば、経営体の収益確保につながるだけでなく、人手がほしい時にパートやアルバイトの確保もできる。
かつて都市の課題だった人件費の高騰が農村地域にも波及し、農業経営者や農産物直売所の運営者はパートやアルバイトの確保に苦労している。経営体に余裕があれば、人件費の上昇もカバーできる。それによって生産拡大、収益性向上という好循環が生まれる。
確かな技術力を持つ農場長クラスの育成が経営体の安定、野菜の安定供給につながり、結果的に輸入増加の抑制にもつながる。
生産現場の努力のみならず、安定供給には消費者の参画も必要だ。昨年末のように市場に野菜があふれる時、産地だけが泣き寝入りをするようでは持続的な野菜生産は期待できない。野菜農家と会って話をすると「豊作時の対処方法はないだろうか」と必ず話題にのぼる。
以前取材した農産物直売所は、豊作になると急きょ女性の出荷農家が中心となって希望する消費者を集めて漬物教室を開き、販売拡大につながったという。岩手県岩手町はキャベツが特産だが、ふだんから食べる習慣をつけてもらおうと、同町と生産者、岩手県内の醤油メーカーがキャベツ専用ドレッシングを共同開発。農家が取引先のスーパーで試食販売をする際、ドレッシングも一緒に持ち込むと売れ行きが伸びるという。食べ方を提案すれば消費者は応えてくれる証拠だ。
こうした取り組みがどれほど効果をあげるか数字的にはつかみにくいが、食べ方次第で需給調整に多少なりとも貢献できることを、消費者に対して粘り強く発信し続ける必要がある。不足時の輸入は不可避だとしても、過剰な時に消費者が支える体制が構築できれば生産者は生産意欲を持ち続ける。それが生産力の維持につながり、貿易自由化時代においても一定の防波堤になる。
【略歴】
昭和38年愛知県生まれ。61年京都外国語大学卒業。平成11年より農業関係のジャーナリストとして活動中。1年の半分を農村での取材にあて、奮闘する農家の姿を紹介している。農業関連の月刊誌、新聞などに連載している。