一般財団法人いも類振興会 理事長 狩谷 昭男
中南米原産のかんしょが1605年に琉球(沖縄)へ伝来し、今年で410年を迎えた。この間、江戸時代中期から1950年までの間には、
焼きいも文化は、日本を中心とする東アジア独特のものだ。日本における焼きいも商いの歴史は300年間で、この間4回の焼きいもブームが起こった。
第1次ブーム:文化・文政期(1804年)~明治維新(1868年)
江戸時代後期は砂糖が貴重品で、甘くて安い焼きいもは老若男女、貧富を問わず大人気を博した。その繁盛ぶりは、歌川国貞(三世豊国)の浮世絵からもうかがえる。
第2次ブーム:明治時代~関東大震災(1923年)
明治維新以降、東京の人口急増と安い値段によって、焼きいもの需要が増大した。それに応えるために焼きいも専門店が現れる。この時代の焼きいも屋は冬期間のみの商いで、夏場はかき氷屋なども兼ねていた。
第3次ブーム:1951年~大阪万博(1970年)
焼きいもの消費は、関東大震災を境に洋菓子の普及もあって減退していった。食糧統制が1941年から始まり1950年に終わるまでの間、焼きいもの流通も停止に追い込まれる。
1951年には、
第4次ブーム:2003年~現在
2003年から始まった「平成の焼きいもブーム」は、現在も進行中だ。
それではなぜ、平成の焼きいもブームが到来したのであろうか。それには次のような時代背景があり、そのきっかけとなった各要因が周到に研究されかつ有機的に結びついた結果、ブームを呼んだといえる。
遠赤外線利用の「焼きいもオーブン(電気式自動焼きいも機)」は、焼き温度と焼きあがり時間などをセットすれば、おいしく焼ける優れものだ。このオーブン開発者は、栃木県の株式会社群商である。同社では1998年から焼きいもオーブンの開発に着手し、2003年に特許を取得した。このオーブンの開発・普及が、焼きいもブームの起爆剤となった。焼きいものおいしさは、品種、貯蔵期間、大きさ、オーブン内部の焼き位置、焼き温度、焼きあがり時間によって異なる。そこで、均一においしく焼く技術は、茨城県の
第3次焼きいもブームの主役は、石焼きいもであった。その販売方法は、軽トラックに引き売り屋台を乗せての移動販売方式であった。焼きいもオーブンの登場によって、店内での固定販売方式に転換し、その普及によって安い値段で何時でも購入が可能となった。スーパーマーケットでの焼きいもオーブンによる販売の先駆けは、静岡県のマックスバリュ東海株式会社で、2003年のことであった。
2004年に入ると白ハト食品工業株式会社は、東京・銀座三越に焼きいも専門店を出店させた。当初、焼きいも1本1200円の高値で販売されたが、スイーツのようにおいしく、カラフルな包装袋もお客を魅了した。焼きいものマイナスイメージをプラスに一変させる見事な商法であった。同社のもう一つの功績は、焼きいもの
焼きいも用品種を食感・肉質で分類すると、ほくほく系(粉質)、しっとり系(中間質)、ねっとり系(粘質)に区分できる。2002年以前までは、「ベニアズマ」などのほくほく系が主流であった。2003年以降からは、しっとり・ねっとり系の安納いもにも注目が集まった。2007年にしっとり・ねっとり系の甘い「べにはるか」が育成され、2015年には人気品種のトップに躍り出た。
焼きいもにおける食味のバラツキは、生いものでん粉含量と相関がある。また、生いものでん粉含量は、ほ場間で差はあるが同一ほ場内では場所による差は小さい。JAなめがたではこの知見を基に、生いものでん粉含量に応じてかんしょの出荷時期を調整している。さらに、かんしょの各品種は、貯蔵期間中を含めてさまざまな食味特性を示す。その特性を生かすため、キュアリング処理(注)し定温貯蔵された各品種を、出荷する周年供給体制が確立された。
注:収穫直後のかんしょを、高温多湿の環境条件下におくことで、いも表皮下の直下にある層を増加させ貯蔵性を高める処理。
近年、国民の健康志向の高まりは顕著だ。多くの消費者から、焼きいもが添加物のない安全で自然な健康食品の一つとして支持されている。そのことも強い追い風となり、平成の焼きいもブームが続いている。
現在も進行中の焼きいもブームは、今後もかなり長期間にわたって静かに続いていくとみている。その根拠は、おいしく安いので老若男女を問わず焼きいも愛好者が増えていること、自然・健康食品の一つとして焼きいもを食べている人が多いこと、冬期間限定の商品ではなくなり「夏でも焼きいもの時代」を迎えつつあることなどだ。
【略歴】
富山県出身。茨城大学農学部卒。1966年農林水産省入省。普及教育課長、東北農政局次長、種苗管理センター所長を経て1997年退職。2005年から(一財)いも類振興会理事長。
編著書にサツマイモの近代現代史、サツマイモ事典、焼きいも事典など。