元東京都学校栄養職員 関 はる子
私が学校給食の栄養士として就職した頃、その使命感は漠然としたもので、日々の業務を無事にこなしていくことで精一杯でした。そんな中、私が子どもたちの学校給食の意義について考えさせられる体験が、その後の39年間学校栄養士の仕事を続けるきっかけとなりました。
就職して2年目のこと、校舎の改築で給食が作れなくなり、弁当持参になりました。給食は中断しても、子どもたちの弁当が気になり、昼食時間になると子どもたちの弁当をさりげなく見に行きました。そんなある日、3年生のクラスで数人の子どもたちが私を呼び、1人の子どもを指して口々に言いました。「この子のうちはパン屋だから毎日パンなんだよ」。その子はパンを袋から出さずに紙袋に口をつけ、うつむいて食べていました。朝忙しいパン屋の家庭では、子どもの弁当を作る時間がなく、毎日パンを持たせていたのです。恥ずかしそうに黙々とパンを食べているその姿を見たとき、同じ物をみんなで食べる学校給食は、体に必要な栄養を取るだけでなく、心を育てる面でも必要なのだと思いました。そして、給食時間を楽しく安らげる場にプロデユースするのも、栄養士としての役割だと実感しました。
その後数年が経ち、学校栄養士の仕事にもだいぶ慣れ、日々の献立も手作り品を始め、添加物を使わない方針で試行錯誤をしながらも、成果が上がってきました。しかし、料理面では安心できる内容でも、素材そのものの安全性についての疑問がいつもありました。そんな折、全国有機農業研究会の役員の農家の方(大平博四氏)が偶然勤務校のそばにいることを知り、学校給食に有機農法の作物を納入してもらえることになりました。当時(昭和51年頃)は、自然食品を扱う業者は少なく、値段も高いので学校給食では到底扱いきれないものでしたが、私が事務局になり、産地直送、年間契約システムで数校の学校給食に取り入れることができました。
長野県松川町のりんごから始めた産直品は、大平氏の紹介で、野菜をはじめ、かんきつ類、さくらんぼ、キウイ、メロンなどの果物、ジュース、マーマレード、国産大豆のみそ、納豆きなこ、山菜、つぼ漬けなどを日本各地から季節ごとに取り入れられるようになりました。その後、学校を異動してもそのつながりは消えることなく、定年退職するまで約35年間使用しました。これらの食べ物を使用して良かったのは、子どもたちに安心できるものを提供できたのはもとより、本物のおいしさを伝え、経験してもらえたことです。例えば、にんじん、こまつな、だいこん、キャベツなどは野菜本来の歯応えや甘みがあり、それらを給食の料理で味わい続けているうちに、子どもたちにもそのおいしさがわかり、特におひたし、あえ物などはほとんど残菜がなくなり、家庭でも話題にするようになりました。
献立や、使用する食材の充実を図りながら、さらに栄養士としての仕事を広げたのは、食べることの大切さを子どもたち、保護者、教職員などに知らせることでした。そのためには、日々の給食内容の充実が必要です。栄養面、使用食材が整っていても、肝心の給食が魅力あるものでなければ何にもなりません。行事や旬を取り入れ、食中毒防止など安全性を考えた料理を組み合わせます。
栄養士の立てた献立を実際に生かすのは調理員です。そのため調理員と綿密な打ち合わせを行い、私の思いを理解してもらい実行してもらいました。片方だけの車輪では動けず、お互いの協力理解のもとで、子どもたちのためにという目標に向かって二人三脚で仕事を進めました。そうして出来上がった給食を通して、いろいろな角度から食について知り、考えてもらう段取りをするのも栄養士の大きな仕事の一つです。
毎日給食時間にクラスに訪問して、子どもたちと触れ合うことが大切です。この時になるべく一人一人へ声がけをし、特に低学年の好き嫌いの多い子どもへの対応は欠かせません。その際心がけているのは、苦手な食べものを押し付けないこと。気長に見守るうちに食べるきっかけができることが多いです。クイズや実物を見せるなど興味、関心を持たせるのも効果があります。友だちの励ましも期待できるところです。調理員の紹介や調理の工夫、苦労など現場の様子や残菜の多かった時の気持ちなどを伝えたり、直接話をしてもらうと、作る側と食べる側の距離がぐっと近くなります。食と関連した授業への参加は、栄養士が食の専門家ということを知ってもらうのに欠かせません。また実際食べ物に触れることで、今まで食べられなかった物が食べられるようになることも多いです。
例として、1年生の生活科で豆シリーズの授業があります。豆が苦手な子どもが多く、給食でも敬遠されがちです。そこで、春野菜の旨煮で使うさやいんげんのすじとり、グリンピースごはんのさやむき、そら豆のさやむき、枝豆を枝からはずすなど、給食で使用する豆類の下ごしらえをすることにより、実物の豆に触れたり、全学年の材料を仕込む手伝いをしたという達成感により、今まで食べなかった豆を食べたということがよくあります。3年生の社会科などでみかんの生産者とふれあうことで、改めてみかんが給食に届くまでの苦労を知り、残さがなくなるなど、給食とリンクさせる授業は説得力があります。
子どもたちだけではなく保護者との関わりも、栄養士の仕事としてはずせません。毎月の給食だよりなどの情報提供だけでなく、試食会や講習会など求めに応じるとともに、こちらからも積極的に対応する機会を持ちました。
そんなとき、話題になる子どもの偏食の悩みについていつも話していたのは、食べ物をグループに分け、そのグループ単位で考えること。例えばにんじんが苦手でも、同じ緑黄色野菜の小松菜が食べられれば良しとすることです。これは子どもの指導にも言えることで、この段階ができたら、徐々に食べられる種類を増やしていきます。調理法次第で食べられるのなら、トマトが生はダメでもシチューならOK、というようにすると気分的に楽になります。楽しく食事をする気持ちを持つことが大切です。
日本の学校給食は、世界の中でもトップクラスです。栄養面、衛生面での管理が全国的に定められ、実行されています。しかし、内容を見ると各地で差があります。今、地産地消が大いに話題になり、学校給食でも奨励されていますが、実態を見ると日々の食材が地元産でまかなえる所は少なく、大都市においては年数回というのが現状です。また、農産物など学校給食に使用できる食材が豊富にあるのにそれを取り扱うシステムがない、現場も消極的、といった残念な地域も多いのです。そこで思うのは地産地消の捉え方です。地域に限った地産地消ではなく、日本全体で考えられないでしょうか。学校給食における食材の取り扱いは、自治体により異なります。流通コストの関係で国内の産地直送が難しく、輸入品を使用することも多いのです。安全で安心な食べ物を学校給食に提供するためにも、学校給食専用のルートが日本の中でできないものかと切に思います。
給食の調理面の民間委託も進んでいます。現在は人材のみの委託がほとんどですが、献立、材料、施設すべてを含んだ委託も将来的には大いに考えられます。その際危惧するのは、学校給食が利益を追求するものではあってはならないこと。そのためにも、学校給食は手軽な弁当の代わりではないことを、保護者の方にも認識していただきたいです。
学校給食の思い出は時代でさまざま、たかが学校給食、されど学校給食。問題は多くありますが、子どもたちの心と体が健やかに育つためにもこれからも進化し続けてほしいものです。
【略歴】
1970年から東京都学校栄養職員として39年間、小学校、共同調理場勤務
産直を導入した安全でおいしい学校給食作りをめざすとともに児童、保護者等に食育活動を取り組む。
退職後「月刊学校給食」に毎月コラム、イラストカット等執筆。食育に関連した講演会講師、地域の子ども料理教室開催等
【主な著書】
全国学校給食協会出版
「タローと作る給食レシピ」1~4
「新・栄養ってなあに」低・中・高・学年
2014年7月、自身をモデルにした児童向け図書「給食室のはるちゃん先生」を発行
(佼成出版、光丘真理著)