味覚と食嗜好研究所代表
(前東京農業大学教授)
山口 静子
近年野菜は、品種改良や施設栽培の普及のおかげで、より食べやすく、年間を通じて種類も豊富に供給されるようになった反面、消費者の中には「昔の野菜はおいしかった」という感想をお持ちの方もいます。そこで、野菜の味に対する消費者の意識を調査し、その結果を今後の野菜の生産・消費に役立てるため、平成21年度「野菜のおいしさ検討部会」(事務局は、特定非営利活動法人野菜と文化のフォーラム内)の活動の一環として、都内および近郊にお住まいの方283名を対象に50の設問に対して、「全くそうだ」から「全然違う」までの7段階の尺度の回答により野菜の味の評価をしてもらいました。
その結果、「最近の野菜はおいしくなった」の設問については「どちらともいえない」と回答した人が最も多く、「そう思う」と「思わない」の回答者数はほぼ同数でしたが、高齢者と女性の方に「思わない」と回答した人が多い傾向にありました。しかし、「本来の野菜らしさがなくなった」「味は単調で深みがなくなった」「味や風味の個性がなくなった」「微量成分が薄くなっているものが多い気がする」「このままいくと野菜本来の味や香りや歯ごたえが失われていくことが心配だ」の設問については、一貫して「そう思う」と答えた人が多く、「思わない」と答えた人はほとんどいないほどでした。
ほかの設問については、本稿では省略しますが、上記の結果、特に味が単調で深みがなくなるということは、微量成分の希薄化とも関連して見過ごせない問題です。
野菜には甘いものや、苦いものもありますが、多くは弱くて曖昧な味のものです。また、どの野菜にも明瞭な味以外の曖昧で微弱な味があります。
甘味は一般に好まれる味ですが、苦味や酸味は生得的には好まれない味で、嗜好の形成には学習と経験が必要です。香りの嗜好についてはほとんどが後天的に形成されるとされています。従って、嗜好の未形成な人に合わせるためには甘味を強くし、苦味やクセのある香りを弱くすることが手っ取り早い方法ですが、それは味覚の発達を幼児段階に止まらせるばかりでなく、野菜の品質の低下にもつながります。
味が単調で深みがなくなったということは、特定の味を強調したり弱めたりすることではなく、重要なのは微弱な味の成分が醸し出す味が疎かにされていることです。野菜にはミネラル、アミノ酸、ビタミンをはじめ、無数の成分が含まれています。特にほとんどの野菜にはグルタミン酸やアスパラギン酸のようなうま味成分が含まれています。それは微量でも肉や魚、あるいは鰹だしなどと組み合わせて食することによって、イノシン酸との相乗作用を引き起こし、強いうま味が生じます。そのほかにも分析しきれない無数の未知成分や相互作用が存在するはずです。従って微妙な味の評価は単純ではありません。
では微妙な味とは具体的にどのような感覚をいうのでしょうか。その1例を示します。試料には同じ銘柄で、慣行栽培によるものと有機栽培によるものを選びました。生、蒸し煮したもの、クリームコンポートに調理したもの(たまねぎ250グラムに対しバター50グラム、生クリーム100ミリリットル)について食べ比べにより評価を行いました。評価者は野菜の食経験が豊富な方達です。
結果は、生と蒸し煮では評価に差はありませんでしたが、クリームコンポートでは大差で有機栽培ものが好まれました。下図はその特性のプロファイルです。甘味、苦味、辛味には差がありませんが、有機栽培ものの方が、こく、広がり、味の複雑さ、しっかり感、濃厚感、まろやかさ、微量成分や滋養の多い感じ、味の深みなどが一様に高く評価されました。一例をもって有機栽培の方が味がよいと結論することはできませんが、注目したいことは生や蒸し煮では差がなくても、調理したときに大差があることであり、また、甘味や苦味以外の微妙な味がいかに重要かということです。
ここで示した特性は、食品のおいしさの一般原理として米国のA.D.Littleフレーバー研究所が提唱した「どの味ともいえない無数の成分が融和して存在することが感じられ、口中一杯に広がること」にもつながっています。下図はそれを敷延しているといえます。
ちなみに試料を化学分析した結果では、糖、アミノ酸、ミネラルなどには大差はありませんでした。たまねぎにはそれ以外にも有効なコク味成分などが存在し、さらに未知な成分も無数に存在しますので、それらが有機栽培ものには多く含まれていたと思われます。
今後このような微妙で重要な味を扱うには名称を与える必要があります。そこで便宜のために仮に地味(ぢみ)と呼ぶことを提唱します。地味(ちみ)は地質の状態ですが、よい土壌を作る人は土を舐めてみます。また、野菜の味は本来地味なもので、どの食材とも適合し飽きにくいことも特徴です。さらに発音では滋味にも通じます。地味が合い言葉となって広がることで野菜が一層おいしくなることを期待します。
日本女子大学卒業。
農学博士(東京大学)。
味の素?食品総合研究所で30余年味覚の研究に従事。
平成9年より20年3月まで、東京農業大学栄養科学科教授。
20年4月より味覚と食嗜好研究所代表
主な著書「うま味の文化・Umamiの科学」、丸善(1999)