財団法人 東京都農林水産振興財団
食育アドバイザー 大竹 道茂
平成九年にJA東京グループが記念事業の一環として、かつての野菜産地五十カ所に「江戸東京の農業」の説明板を設置したことから、地域レベルで多くの住民が「江戸東京野菜」の存在を知ることとなり、今日の地域興しにつながった。
江東区亀戸では、香取神社に設置された「江戸東京の農業」の説明板を見た商店街の住民による復活への取り組みが始まった。平成十年に地元小中学校では伝統野菜の栽培が始まり、JRの協力を得て亀戸駅のホームから見える線路脇に「亀戸大根」の畑も出現した。同神社では、毎年三月の第二日曜日に子ども達が栽培した大根が奉納され、併せて葛飾の農家が栽培した千本の「亀戸大根」を参拝者に配布している。大根をもらった善男善女は、大根を浅漬けや味噌汁に入れて食べるようだ。この祭りは今年で十年目を迎え、早春の食文化として地元に定着している。また、新小岩の香取神社では、徳川八代将軍吉宗がタカ狩りに来た折に、地元小松川の青菜を「小松菜」と名付けたと記した説明板を設置したことをきっかけに、その後、大晦日から正月にかけて訪れる参拝者に地元で栽培された「小松菜」の小束を授けることが習慣となったという。ここでも神社でいただいた「小松菜」を雑煮に入れて食べるという食習慣・食文化が新住民の中にも定着してきているという。
徳川四代将軍家綱の時代の明暦三年(一六五七年)、幕府は浅草の北東、隅田川の東岸の
享保二十年(一七五三年)の「
江戸で生まれ、「江戸なす」とも言われたナスといえば「
昨年、第一寺島小学校(愛称・一寺小)が平成二十一年に創立百三十周年を迎えることを知り、一寺小を訪ねた。白鬚神社に「寺島ナス」の説明板が設置されてから地域の皆さんに知られるようになり、タネ探しが始まっていた。郷土愛に燃える卒業生の皆さんの思いが強いことから、一寺小の創立記念事業として、復活の話は地元に広がり、期待は高まっていった。栽培指導は三鷹市でナスを栽培する星野直治氏の協力も得られ、一寺小では兄弟校の二寺小、三寺小、そして寺島中にも苗を分けた。
一寺小の裏の子ども広場では、一年生と地域のお年寄りが一緒に水やりをするなど微笑ましい交流も生まれ、収穫したナスは給食で食べられた。高橋英三一寺小校長は「子供たちによるナスの栽培の復活は、郷土の歴史を学び、学年に応じた観察や栽培体験ができる初めての試みだ」としている。今後、生徒には採種にも挑戦してもらい、タネを来年度に引き継ぎ、一寺小発信でさらなる地域興しの第二幕が期待されている。
全国で栽培されているナスには、巾着ナス、まるナス、長ナス、水ナスなどそれぞれに特色があるが、寺島ナスは小振りだから他産地と差別化できる品種だ。栽培指導のため試作している星野氏によれば卵大で収穫するのが良いそうで、ナス本来の匂いが残り緻密な果実は焼きナスやてんぷらにはうってつけだという。すでに日本料理の板前さん、フレンチのシェフ、居酒屋のオヤジさんなどが試作の様子を見守っている。
伝統野菜は地域で伝統の食文化を育んできた。それは地産地消であり、伝統野菜の江戸東京野菜は地場産野菜の象徴だ。フードマイレージの小さい江戸東京野菜は、ローカーボンで地球に優しい野菜だと、これからも食育の場で伝えていく。