株式会社 農林中金総合研究所
特別理事 蔦谷 栄一
中国産野菜の安全性レベルは着実に向上している。これがこの5月下旬、2年ぶりに中国を訪問し、中国農業部や学者・研究者、有機農業等関係機関、生産者等と意見交換した中で得た感触である。中国製冷凍ギョーザ中毒事件に伴って、加工食品にとどまらず中国産野菜に対するわが国消費者の不安、不信感は増嵩しており、“国内回帰”現象が生じている。これまでも2002年の中国産冷凍ほうれんそうの残留農薬基準値オーバーの件をはじめとして事件等が起きるたびに、中国からの野菜等の輸入量は落ち込み、しばらく時間をおいて回復をみ、これまでのピークを超えてさらに増加するという波を繰り返しながら、大きな流れとしては増加傾向をたどってきた。今回の“国内回帰”現象はこれまでとは異なって「本物だ」とする見方もあり、大いに期待したいところではあるが、一方で中国の生産事情等の変化についても冷静・客観的に把握しておくことが欠かせない。
中国の有機農業への取組状況は激変している。2008年版のIFOAM(国際有機農業運動連盟)の資料によれば、有機農業実施面積は230万ヘクタールと豪州に次いで世界第2位となっている。中国側のデータでは200万ヘクタールを切った数値となってはいるものの、それでもやはり世界第2位か3位にあるとしている。ちなみにIFOAMのデータによる日本のそれはわずか6千ヘクタールにとどまっている。中国では穀物や牧草、山菜等の土地利用型作物における有機栽培が多く、また乾燥した地域が多く、病害虫や雑草の発生も少ないことから、面積増加が容易であるとはいえ、世界有数の有機大国にのしあがったという客観的事実については、改めてしっかり認識しておく必要がある。しかも近年の有機栽培面積の増加は急であると同時に、有機農産品の国内向けが主流となりつつあり、輸出比率は低下している。すなわち、これまで多かった外貨獲得のための有機農産品から、国内の消費者ニーズに対応した有機栽培へと変わってきている。
また中国における環境保全型農業は、無農薬・無化学肥料による「有機栽培」、わが国の特別栽培に相当する農薬・化学肥料の使用を半分に抑制した「緑色食品」、そして国の定めた各種基準をクリアしていることを認証された「無公害食品」の三つを柱としてきたが、基本は無公害食品にあり、全体のレベルを底上げする役割を担っている。2001年から無公害食品行動計画として北京、天津、上海、深圳の四つをモデル都市としてスタートしており、中国で生産し消費される食品は、8~10年以内には無公害食品以上のレベルにしていくことを目標に推進されてきた。量販店に足を運ぶと、これまでは無公害食品のマークのついたものが散見され、量販店によっては無公害食品のコーナーを設けているところもあった。しかしながら今回、上海の量販店を見る限りでは無公害食品のマークがついたものはほとんど見かけることがなく、温家宝首相(運動発足当時は副首相)の肝入りで無公害食品行動計画が展開されてきたとはいえ、途中で頓挫してしまったように推察したのであった。ところが人によって見方に開きはあるものの、無公害食品はすでにかなりの程度に一般化し、無公害食品でなくしては市場出荷ができない状況になってきているというのが真相に近いようである。もはや無公害食品であることは当たり前と化し、これによる差別化は図れないところまできているのが実態という。
こうした状況の背景にあるのが中国国民の安全性についての意識の変化である。これまで一部の生産者・消費者を除けば安全・安心についての認識は乏しく、自らの問題として捉えられることは少なかった。これがこの2、3年で大きく変わったわけで、経済成長にともなっての所得向上もさりながら、国民の健康志向が急速に高まってきたことの影響が大きいとしている。数年前までは「有機」そのものが消費者にはあまり知られていなかったが、今では有機レストランや有機食品の専門店が各地に作られるようになり、テレビのコマーシャルにもよく登場するようになるとともに、インターネットを通じての通信販売も増加しているという。
中国政府は食品の安全性をめぐる事件等の発生に対応して、2006年に農産物質量安全法を成立させて安全基準や包装基準を明確にするとともに、食の安全にかかる監督・検査体制の強化を図ってきた。さらに本年4月には食品安全法を成立させて、品質にとどまらず安全性の強化と、生産者や行政管理者の責任を明確にするなどの手当てを講じ、体系的な安全性をめぐる法・制度を確立してきたところである。
こうした中で特に注目しておきたいのが、このような法的整備による規制強化ばかりでなく、今回の世界同時不況にともなう帰農者の増加と付加価値造成による農業所得の増加を狙いに、政府が新たに有機農業の支援策を打ち出していることである。たんなる雇用対策としてだけでなく、消費者の健康志向、安全・安心ニーズに対応できる新たな農業を育成していくことを、不況対策の一環として打ち出している。予算的にはわずかと思われ、技術的にもハードルは高いとはいえ、こうした時代の転換点に、将来をにらんで新しい芽出しをするその戦略性には感服させられたのである。
たまたまわが国では国内志向の機運が盛り上がっているとはいえ、しっかりとした担い手対策と合わせて、環境保全型農業の本格的な展開、さらには地域性を重視した生産・流通等を強化していくことなくしては、消費者にいずれそっぽを向かれ、国内回帰現象も長くは続かないことが懸念される。一方的に中国に日本の経験を伝える時代は終わり、お互いに学び合い切磋琢磨しながら安定的な相互補完関係を確立・持続していくべき時代へと、確実に情勢は変化してきていることを肝に銘じなければならないことを痛感する。