元農林水産省野菜試験場育種部
野菜と文化のフォーラム理事 芦澤 正和
1.遺伝資源としての伝統野菜
経済の発展にともない、都市に人口が集中し、そこに生鮮食料を安定的に供給することが必須となってきた。このため、生産に特殊な技術・技能・条件を必要とせず、大量生産の可能な野菜の種類・品種が求められてきた。大量安定供給にともなう野菜における種類・品種の単純化である。さらに、‘雑種第一代’いわゆるF1の普及により、古くから栽培・利用されてきた野菜の種類・品種の中からこれに適したものが選択され、単純化が急速に進んだ。
その中でも、特ににんじん、ほうれんそう、かぼちゃ、メロンは同じ種類の中でも、東洋種から西洋種への基本型の交替がみられた。
にんじんの東洋種(金時=京にんじんのみ)は、煮物専用である。西洋種は当初、三寸系と五寸系があったが、現在はほぼ五寸系のみとなっている。五寸系のなかでも、品質が良いとされる黒田五寸の仲間が中心となっているが、抽苔が早い欠点がある。
日本ほうれんそうは、おひたし(日本独特の料理)として品質は最高であったが、収量が少なく、抽苔しやすい欠点がある。ほうれんそうの料理がおひたしのみでなく多様化するのと同時に、東洋系の‘禹城’が一般化し、さらに西洋系とのF1へと汎用性のあるものに変化した。
かぼちゃは、かつては煮物専用の和種(Cucurbita moschata Duch. ex Poir.)から、洋種(C.maxima Duch.)へと変化した。
また、メロン類は東洋系(マクワウリ・胡瓜、シロウリ・越瓜)から西洋系(露地メロン)へと基本型が在来型から導入型へと交替し、より高級感のあるものへ移行した。
1976年頃より、野菜試験場育種部ではこれらの変化に対応して、地方品種の実情を把握し、その保存を図るため、各地で栽培されている地方(在来)品種の実情を調査した。この頃は、遺伝資源の重要性がほとんど認識されておらず、‘いまさら骨董趣味でもあるまいに’という酷評すらあった。
1970年代後半には、それでもなお1,000を超える地方(在来)品種が存在した。もちろん、この中には‘同名異種、異名同種’も含まれる。これらの中には、特産品としているので門外不出として保存用種子の提供を拒否されたものもあったが、提供を拒まれても、一応存在することは確実といえる。
その後各地で故郷の野菜、村興しの動きの一つとして地方品種が認識され、骨董ではなく貴重な宝物として取り扱われ始め、その保存・改良も行われるようになってきている。伝統野菜は、今や地域経済の担い手の一つとして見直され、直販、道の駅、ふるさとの店、市場流通等様々な形で振興が図られている。
そのため、品種としての斉一性を失っていたものも、原種改良・採種などが試みられ、各地で成功し始めている。とくに京野菜、加賀野菜、なにわの野菜、大和野菜、福井の野菜、信州の野菜、長岡野菜、会津野菜などは、そのよい例であるといえる。
2.伝統野菜の維持と改良
伝統野菜(品種)は一つの地域に根差し、そこの自然条件に適応し、栽培技術・技能もそれに対応して確立されており、風味・調理にも地域独特のものがみられる。しかし、需要の増大とともに生産量の増大が求められ、その栽培も本来の地域から、その周辺部へと拡大し、栽培技術・技能もそれにつれて一般化していく。需要層が広がれば、風味・調理も独特のものから一般化していかざるを得ない。それとともに品種としての特性にも改良が加えられ、一般化し、地域独特の特殊なものから、広域化した普通のものになっていく。経済活動であれば地域限定の少量生産から、広域化して大量生産にならざるを得ない。これは、地域特産といわれるものの共通の問題である。これをどこでどう折り合いをつけ、その伝統を守っていくかが伝統野菜の課題といえる。
一方、各地独特の伝統野菜は、人々の食生活を豊かにするとともに、食文化を多彩なものにすることができる。栽培技術の継承、生産者の確保などの課題をクリアし、各地の行政と民間がタイアップをして伝統野菜の生産や消費拡大の取り組みを行うことによって地元産地の活性化を図るとともに、野菜の需要拡大につながることを期待する。また、同時にこうした伝統野菜の取り組みにより、少しでも多くの植物の遺伝資源が残ることを期待したい。