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アグリブランドと政府の政策
─野菜の需要拡大策の一環として─

明治大学大学院
教授 上原 征彦


 本稿では、野菜の需要拡大を目指すマーケティング戦略を意識しつつ、ブランドの本質に触れた上で、そこに政府がどう介在すべきかを明らかにし、農産物ブランド(アグリブランド)における政府の政策についての議論を展開していく。


1.市場に関係性を貫き通すマーケティング
 マーケティングの概念化が始まったのは20世紀初頭(1910年代)であるが、実際には既に19世紀後半のアメリカにおいて有力メーカーがマーケティング行為を積極的に展開していたとみられる(注1)。それは、メーカーが、市場を通じて流通業者と激烈な交渉を展開しつつ自社の製品を販売していくという方式に全面的に依存するのではなく、広告、店頭管理、直販などを動員して消費者(注2)の愛顧を勝ち取ろうとする行為であった。

 マーケティングは、上述からも推察されるように、企業が、市場メカニズムに埋もれることを避けるために、顧客との関係性を築こうとするものである。たとえば、広告によって顧客のロイヤルティを得ようとするマーケティング行為は、顧客との関係性を築こうとする行為そのものであると同時に、それは、市場メカニズムからの影響を極小化し、独自の意思を顧客に受け入れてもらうことを予定しているのである。それ故に、マーケティングは、市場に関係性を貫き通そうとするものであり、これがマーケティングの本質的性格の1つをなす、と考えることができる。


2.公共財としてのコミュニケーション投資
 市場に関係性を貫き通す行為は、一方で、コミュニケーション行為そのものである。マーケティングは、こうしたコミュニケーションを展開するために、独特の投資を行なう(あるいは費用を負担する)。これがマーケティングのいま1つの本質的性格だといえる。

 企業が市場に関係性を貫き通そうとする意図は、市場で動き回る人々をできる限り多く顧客として関係性に取り込み、ひとたびそこに取り込んだ顧客を手放したくない、ということにある。この意図を実現するための必要条件は、誰もが容易に(できる限り低いコストで)関係性に入り込み、その関係性を体験してもらう、ということである。この必要条件を満たすためには、マーケティングでは公共財としての性格をもつコミュニケーション手段が使われ、しかも、それは、一般に、企業がその費用を負担することになる。これを「公共財としてのコミュニケーション投資」と呼ぶことにする(注3)。ここでいう公共財とは、非競合性(複数の人々が同時に利用できる)、非排除性(金を払わない人々を排除できない)という2つの性格を兼ね備えた財を指す。

 ブランドとその広告による訴求は典型的な「公共財としてのコミュニケーション投資」である。ブランドは、誰もが無料で認知し想うことができる、という意味で非競合性・非排除性という公共財的性格をもち、それは、個別企業が私的に所有し、その維持・管理に相応のコストをかけているのである。ブランドを訴求するための広告展開も「公共財としてのコミュニケーション投資」である。広告は誰もが無料で見ることができるので、明らかに公共財としての性格を保有している。しかも、広告は企業がそのコストを負担し、これを私的に操作できるのである。


3.マーケティング戦略とブランド
 以上を踏まえると、ブランドとマーケティング戦略とのかかわりについて、次の2つのことを確認しておかねばならない。

 第1に、ブランドは公共財としての機能を有するため、誰もが対価を払わずに、企業との関係性に入り込むことができるし、また、そうした関係性に入り込まなくてもこれを市場から見つめ、評価し、態度を決めることができる。すなわち、ブランドは、マーケティング戦略上、顕在顧客と潜在顧客の双方を拡大する効果(顧客数拡大効果)をもつといえる。ここで、このような顧客数拡大効果は企業規模の拡大に大きく作用する、という点に注目しておきたい。まさに、中小零細企業と大企業との差は、多くの場合、ブランド力の差による、といって過言ではないのである。

 いま1つは、ブランドは、目的変数であると同時に手段変数であるため、これを企業は成長をスピード化する戦略として利用することができる。ブランド力を確立する(目的変数としてブランドの価値を高める)までには長い時間がかかることも少なくないが、それがひとたび確立されるとこれを利用(ブランド価値を手段変数として利用)して次の戦略を有利に展開できる、というよりも有利な戦略を展開できる場が既にブランド力によって構築されているのである。ブランド力という場を利用した戦略のこのような展開が成功すると、よりいっそうそのブランド力は高まり、新たな戦略を有利に展開する次の場をつくり出すというように、成長の連鎖が仕組まれることになる。


4.ブランドに要請される2つの社会的了解

 ブランドは、企業と顧客とがいかなる関係性をもつかということを事前に人々に知らせる目的で、企業によって展開されるものであり、その機能は情報提供そのものにある。このような情報提供には、それが公共財であるが故に、社会的にみて次のごとき了解が要請されているといえる。

 1つは、売り手と買い手との間に築かれる関係性の品質(具体的には提供される物財やサービス財にかかわる品質)について、ブランドによる買い手の認知と彼の消費体験による評価とが大きく乖離してはならない、という社会的了解である。

 いま1つは、ブランドは関係性の差別化を志向し、どこが他に対して優位かを明らかにしようとしている、という社会的了解が要請される。この了解があるからこそ、買い手は、たとえばシャネルとフェラガモとは違うはずだ、という認識を容易に(極小化された情報収集コストで)することができ、購買行動を効率的に展開できるのである。


5.企業のブランド戦略への政府の介在
 以上述べてきたように、ブランドは、公共財としての性格をもつものの、個別企業がそのコストを負担し、顧客との関係性を築くことによって市場メカニズムからの圧力を緩和して独自の成長を達成するための武器として位置づけられる。したがって、企業のブランド戦略に政府が介在する余地は少ないといって過言ではない。しかし、企業のブランド戦略の展開が社会的な害を及ぼすとき、また、特定産業分野の育成とか健全化が社会的に必要とされるときにはブランド化への政府の介在が意味をもつであろう。

 ブランドは公共財としての性格を有するが故に、多くの人々を動員する社会的力は大きい(だからこそブランド化は企業の成長速度を早めるのである)(注4)。このことに注目すると、企業のブランド戦略が先に述べた社会的了解を形成しないとしたら、社会に及ぼす害は無視できず、そこに政府の介在が必要とされるようになるであろう。

 まず、表象としてのブランド認知と実体(現物)接触による評価とが対応している、という社会的了解が形成されない事態が生じる恐れがあるとき、政府の介在が必要とされる。それはブランドの効果そのものを無意味化し、企業と顧客との関係づくり(より端的にいうとマーケティングの展開)を阻害し、ひいては市場経済の発展に大きな制約を課すからである。こうした事態が生ずるのは、1つは、企業が現物にはない機能を広告によって訴求するなど、ブランド化において虚偽の表示を展開する場合である。このような事態が起こるのを防ぐために政府による様々な表示規制が行なわれているのは周知の通りである。いま1つは、売り手から提供される物財やサービス財の品質について高度な専門知識が必要で、買い手が現物に接触してもその品質の良し悪しを適切に判断し得ない(注5)とき、ブランドと実体との対応について社会的了解を形成することができない。この場合、政府が品質をランク付けしてこれを広告する、一定の品質を提供できる売り手のみに営業を許可する、などといった介在も必要とされるであろう。

 また、ブランドには差別化についての社会的了解が要請される。この了解を形成し得ないと競争と選択の自由に大きな制約を課すことになる。ブランドの差別化についての社会的了解の形成を阻害するのは技術の模倣と表象の無断借用である。これを防ぐために、周知のように、政府は特許権や商標権などの保護を推進してきている。

 一方、ブランドは企業の成長スピードを高めるため、政府はこれを産業政策に生かすことができる。将来国民のために重要となる産業であるが、現在のところそれが中小零細企業群から構成され、その急速な成長が必要だと判断されるときには、その産業における個々の企業のブランド戦略を助成する仕組みをつくることによって産業全体の成長スピードを高めることができる。この場合のブランド戦略への助成は、ときとして、零細企業が1つのブランドの訴求を目指して集団化し、その効果を充分に発揮できる、といった状況づくりに大きく貢献する。たとえば、フランス政府によるボルドー・ブランドへの助成など、産地育成にこの考え方は有効である。

 さらに、別の観点から、産業の維持・展開に政府によるブランド化推進が有効だということを指摘しておこう。ブランドは企業と顧客との関係性の価値を表わし、公共財として誰もが容易に認知できるため社会からの信頼の証しともなる、ということに注目すると、ブランドは企業に社会的責任を強く意識させる作用をもつといえる。したがって、ある産業において特別の社会的ルールの遵守が必要とされるとき、その産業を構成する企業のブランド化を政府が助成するか、あるいはこれを強制することも必要とされるであるだろう。


6.アグリブランドに関する政府の課題

 以上展開してきた議論を踏まえ、最後にアグリブランド(農産物ブランド)と政府の政策との関係について述べてみよう。
農産物は、技術の進歩によって変わってきているとは言え、他の商品に比べ、次のような特徴を色濃く有しており、特に野菜においてそれが顕著である。

(1) 生産量や品質が自然条件によって比較的大きく変化し、そのため、価格の変動も激しい。

(2) 腐敗しやすいので、美味しさと安全を確保するために鮮度が重要視され、冷凍せずに生の良さを味わおうとすれば、流通の地域的範囲は限られる。

(3) 冷凍技術の発達によって長期に渡る鮮度維持が容易になり、流通の地域的範囲も大きく拡大したものの、冷凍モノに対する人々の評価は生モノに比べ低い。

(4) 現物を見ただけで品質や鮮度を判断するには専門的知識が必要とされる。

(5) 人の口に入るものであり、以上述べてきた特性の他に、加工度がきわめて低いこともあって、様々な菌に侵される恐れも大きく、安全性の確保が特に重視される。

(6) 自然条件を機械で制御することは困難であり、美味しいものをつくろうとすれば自然への緻密な適応が要請されるため労働集約的にならざるを得ないこともあり、小規模零細性とか家業性といったものから脱皮できず、企業化が進んでいない。

 以上のような農産物の特性は、そのブランド化を大きく阻害してきたといえる。まず、自然条件による生産量・品質・価格の変動は、ブランドと現物との対応に関する認知、ブランドによる差別化に関する認知の双方において社会的了解の形成を困難にしてきた。さらに、品質や鮮度に関する専門的知識をブランドによって人々が得ることは困難であった。また、鮮度を維持できる範囲内での生モノの狭域流通においてはそれほどの販売力が必要とされず、敢えてブランド化する必要がなかった。そして、ブランド化は、多かれ少なかれ、販売量の相応の拡大を意図してその展開が志向されるものであるが、小規模零細性・家業性はこのことを困難にしてきた。

 しかしながら、近年、農産物のブランド化が急速に必要とされるに至っている。その最大の理由の1つとして、輸送技術や冷凍技術の発達により農産物がグローバルに流通できるようになり、労働賃金の安い発展途上国などからの輸入が顕著に増えたため、価格競争が激化し、これに対処するためにブランド化が必要になった、ということが挙げられる。その他に、人々の移動がグローバル化したため、輸送距離が短い生モノにおいても、ブランド化によって他地域から人々を吸引でき、相応の販売量を確保できるようになってきた、という点にも注目する必要があるだろう。そして、これからは、先進国においては人口減少・高齢化などにより消費量が減っていくので、競争が激化し、これに対処するため、ますます農産物のブランド化が進むであろう。

 さて、上述のごとき動向を踏まえ、アグリブランドに関する政府の政策課題は何か、ということについて重要な点を述べておこう。

 まず、政府は農産物のブランド化を積極的に助成する時期にあるだろう。第1に、これが農水産業の成長速度を高め、その企業化を推進すると同時に、産地の集団化も促し、その競争力を飛躍的に強化するからである。第2に、安全性を維持・推進するためにブランド化は有効である。食の安全を確保するために、農産物のトレーサビリティの実現が志向されているが、これを政府が農水産業者に義務づけ、監視するためには膨大な費用がかかるし、それを完全に実現することは現在のところきわめて難しい。各々の農水産業者が自社で扱う商品の質を適切に管理する、という社会的責任を強く意識することの方が重要である。ブランド化は、こうした意識を高める効果をもつ。

 次に、政府は、農水産業のブランド化を助成しつつ、これを注意深く管理することも必要とされるであろう。ブランドと現物との対応に関する認知、差別化に関する認知についての社会的了解を形成するために、どんなブランドにはどんな品質基準が対応するかを農水産業者に決めさせるよう指導しつつ、これを管理する仕組を構築していかねばならない。特に、農産物が自然条件によって変動するため、どの品質のときどのようなブランド名を付すのか、などということについて適正なルールの設定とその管理が必要とされる。また、品質の判断について専門的知識が必要となるため、品質を特定化したり、ブランドを序列化したりする機関の資格等についても合理的な管理が要請されるはずである(注6)。

 ブランド化は、消費者の信頼を得ることで野菜生産にとっても新たな発展の基礎になりうるものであり、その育成・確立や適切な保護を推進する必要性が指摘されている。

 このため、ブランド化に向けた関係者の意識の醸成や情報の発信に向けた支援を行っていく必要があると考えられる。


(注1)田内 幸一『マーケティング』日経文庫、 1985年、10~20ページ。
下川 浩一『マーケティング─歴史と国際比較』文眞堂、1991年、59~81ページ。
上原 征彦『マーケティング戦略論』有斐閣、1999年、24~27ページ。
(注2)ここでいう消費者には、家計消費者(生活の再生産のために消費行為を展開する主体)の他に、産業需要家(資本の再生産のために消費行為を展開する主体)を含んでいる。この点については次を参考にされたい。
上原 征彦、前掲書、26~27ページ。
(注3)より詳しくは次を参考にされたい。
上原 征彦「マーケティング空間とその基本特性」明治学院大学『経済研究』No.122・123、2000年1月。
(注4)マーケティングでは公共財としてのブランド展開は企業がその費用を負担している。公共財は、多くの場合、外部性をもつ。企業が公共財の費用を負担するのは外部性を内部化しようとしているからである。この場合、外部性を内部化することによって企業は社会的影響力を拡大することができる。
(注5)このような特性をもつ財は、一般に、信頼財と呼ばれ、たとえば医療サービスなどがこれに含まれる。
(注6)フランスでは、各々の産地組合で資格を取得した専門家が品質を判断し、ブランド化のための格付けをすることが多いが、その仕組みづくりと、品質を判断する基準づくりに政府が介在しているという。フランスにおける水産物のブランド化とその管理についての現地調査を行なった結果からも、このことが確認できた。




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