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今月の話題


野菜と食教育

東京家政学院大学 家政学部  教授 江原 絢子


1.学校給食では子どもたちは野菜が嫌い?

 「日本体育・学校健康センター」(現独立行政法人日本スポーツ振興センター)の児童・生徒約10,000人を対象とした2000年度の調査から、子どもたちの嫌いな食べ物を食品別に分けてみると、嫌いな比率の高い順に野菜類、魚介類、肉類、きのこ類、果実などとなっており、野菜類を嫌いとあげている子どもたちがもっとも多く、次に嫌いとする魚介類の約4倍ときわめて高い値を示しています(図1)。

図1 児童・生徒の嫌いな食品の割合(複数回答)

 10%以上の子どもたちが嫌いという野菜類をあげてみると、ピーマンの26%を筆頭に、なす、ねぎ、にんじん、トマト、セロリ、グリンピースがあります。食事にこれらの野菜が入っていたときはどうするのかと尋ねると、「時々食べる」と「がまんして食べる」がそれぞれ3分の1程度となっており、「食べない」は約20%です。また、小学生と中学生とでそれぞれみると、「がまんして食べる」が小学生39%に対して中学生は24%、「食べない」と回答した小学生は12%、中学生は29%と中学生の方が自己主張をしています。このことは、年令とともに嗜好が定着していくことを示しているともいえるでしょう。
 嫌いな料理のトップはサラダで、次が野菜炒め、なす料理と上位3位までが野菜料理で占められています。若い女性たちには好まれていると思えるものが子どもたちには好まれていないことは、すこし意外です。しかし、嫌いな料理のトップであるサラダが17%を占める一方で、サラダが好きと答えている子どもも12%います。
 これらを小・中学校別、男女別にみると興味深いことが分かります。小学生では「サラダが嫌い」と答えている児童は19%ですが、中学生は15%と嫌いな割合が減少しています。そしてもっと興味深いことは、「サラダが好き」と答えた子どもたちの男女差が大きいことです。男子が小学生約7%、中学生約8%であるのに対し、女子は小学生16%、中学生18%と男子より2倍以上の割合でサラダが好きなのです(図2)。

図2 好きな野菜料理の男女差

 このデータから、野菜類の料理の中でもサラダは、年齢によって嗜好が変化するとともに、男女差が大きいといえます。サラダは、健康食であり、ダイエットによいというイメージが女子をサラダ好きへと導いたともいえるのかもしれません。そして小学生よりも中学生の女子の方がサラダへの嗜好は強くなっています。これは一種の情報、広い意味での教育の影響ともいえるでしょう。
 そうしてみると、幼いときから、野菜に対する良いイメージを持たせることで、好きな範囲は広がるといえるのではないかと思えます。

2.高校生の野菜への嗜好

 2002年、筆者の大学で卒業研究の一部として2つの高校で野菜に対する嗜好調査を行ったことがあります。小・中学生でもっとも多かった「嫌い」な野菜、ピーマンは、高校生ではA、B校とも6、7番目になり、ねぎはもっと低い位置にあります。A、B校ともセロリがもっとも嫌われ、3割から4割近くの人があげており、カリフラワー、グリンピースも比較的高い比率で嫌われている野菜類です。トマトはむしろ「好き」とする人の割合が「嫌い」の倍以上になっているという結果です。調査が異なるため、そのまま比較はできませんが、高校生の嗜好は、小・中学生のそれとはかなり異なっているようです。
 また、よく食べる野菜料理を調査してみると、もっとも多いのがサラダで、次が炒め物、みそ汁やスープとして食べるというもので、煮物、漬物と続きます。サラダには、レタス、キャベツ、トマト、きゅうりを用いたものが多く、これは家庭でよく食べる野菜類と一致しています。

3.主婦の野菜への嗜好

 今度は、子どもたちの食嗜好に影響を与えていると思える主婦への調査を見ることにします。
 この調査は、ある食品企業が2001年に30~50代の主婦(169人)を対象に行ったものです。その結果は、サラダを好きと答えたのは、全体の約76%、やや好きを合わせると96%ときわめて高い割合で好まれるといえます。好きな理由としては、健康によいというのが8割を超えてトップです。ダイエットによいからというのは、2割程度ですが、おそらくその意識も働いていると思われます。
 サラダを食べる頻度は、「毎日」から「2日に1回」を合わせると55%以上となり、7割は家庭で作られています。よく使う野菜は、高校生の調査と同様、きゅうり、レタス、トマト、キャベツ、それにブロッコリーも高い割合になっています。
 そして、子どもの頃と比べてサラダを食べる機会が増えたかどうかの結果をみると、30、40代の主婦は、約45%、50代の主婦は70%が増えたと答えています。とくに50代の主婦が子どもの頃は、まだサラダが一般的なものではなかったことから、その変化が大きかったといえるでしょうが、30、40代の主婦は、社会の変化だけでなく、それをも含めた情報・教育の影響による嗜好の変化ともいえるでしょう。

4.野菜利用の歴史とその変化

 ところで、現在スーパーに見られるたくさんの野菜のほとんどは、自然に生育している植物を改良し、たくさんの品種を作り栽培しているものです。しかし、その中でもともと日本にその原種があった野菜類は、みつば、やまうど、みょうがなどわずかなものを除いてほとんどなく、日本的な野菜と思われているだいこん、なす、ねぎ、かぶ、ごぼうなどもその原産地は日本ではありません。サラダに使われるトマト、レタス、キャベツなどは、近代以降に栽培されて発展した野菜類です。全国でさまざまな野菜類が大量に生産されて流通するようになるのは、江戸時代以降といってもよく、野菜類のいろいろな料理が工夫されて広く料理書で紹介されるようになるのも江戸時代以降のことです。
 江戸時代には、江戸や大阪の人々のために、その周辺の農家で野菜を大量に生産するようになります。1697(元禄10)年、宮崎安貞によって著された『農業全書』は、日本初の本格的農書といわれています。ここには、稲、小麦など穀類からだいこん、なす、はす、かぼちゃなど多種の野菜類、芋類、果実類などの栽培法ばかりでなく、つるし柿の加工法など使用例、身体への作用なども記述されています。このような農書により、各地でいろいろな野菜類が生産され、主に大都市に出荷されます。
 料理書をみると、もっともよく利用された野菜は、だいこんです。四季を通して利用できるように品種の異なるだいこんを、時期をかえて栽培していたことがうかがえます。また、だいこん料理ばかりを集めた『大根一式料理秘密箱』(1785)、『諸国名産大根料理秘伝抄』(1785)が出版され、両書で約90品目の料理が紹介されています。
 このように、それまで知られなかった野菜の栽培法を知り、それをどのように料理すればよいかを知ることで、私たちは野菜の利用範囲を広げてきたということから見ると、このような動きは、一種の教育と考えることもできます。
 料理書のだいこん料理は、現在にも十分利用できる料理がたくさん掲載されています。おぼろ豆腐にだいこんを荒くおろして混ぜ、これにくず粉を加えてとろりとさせ、みそ汁に加えて浅草のりをちらした「大根あわ雪汁」や、大きく切っただいこんをそのまま油で柔らかくなるまで揚げ、おろしだいこんと唐辛子を薬味にのせてしょうゆをかけた「揚出しだいこん」など、試してみると楽しいものがたくさんあります。
 以前、中学生のために「食事の移り変わりをしらべよう」という歴史ビデオを作った際に、江戸時代の料理書を使って、料理を再現したことがありました。撮影とはいえ、中学生たちは、興味津々で楽しみながら参加しており、これらの料理書は、今も使い方によっては、よい教科書になるかもしれません。

5.野菜との楽しい出会いの経験を!

 児童・生徒、さらに主婦へのアンケート調査結果から野菜に対する意識をみてみると、好きな野菜、嫌いな野菜は、年齢によってはいつも同じものが上位を占めるとは限らないことがわかります。児童のなかで嫌いな野菜のトップを占めていたピーマンは、高校生では、それほど嫌いな野菜ではなくなっています。
 また、サラダが健康やダイエットによいというイメージに結びついたこと、1970~80年代にかけて家庭の食事の簡便化、洋風化が進む中で、ほとんど料理らしい料理をしないですむサラダが受け入れやすかったことなどの影響から、野菜料理=サラダという図式が定着したように思えます。
 一方、だいこん、はす、ごぼうなど、和食の煮物、和え物、汁物などに古くから使われてきた材料は、サラダより手間がかかることが多く、生で扱う場合を除いて次第に家庭料理では扱われなくなる方向にあるのかもしれません。学校給食の残飯を調査した資料では、煮物のように和風に調理したものが残される傾向が高い値を示しています。最近は、学校給食で、その地域で生産された野菜を使った料理が工夫され、家庭ではあまり作られなくなった煮物類を経験させるなど学校給食の果たす役割が大きくなっているともいえます。
 しかし、幼い時から毎日取る食事は、家庭の食事ですから、子どもの食教育を考えるとともに母親に対する食教育が必要かもしれません。この野菜には栄養がある、いろいろな機能があるということが重視されそうですが、それでは野菜という薬を与える発想に近いものになってしまいます。江戸時代の人々が一つの野菜についてさまざまな料理を楽しみながら工夫し、興味深い料理名をつけたように、母親が子どもとともに楽しみながら準備できるような料理の工夫をすることが大切で、嫌いなものを好きにするように親が躍起となるのはあまり得策とはいえません。
 著者の大学で、初めて調理実習に取り組む学生のよくある感想は、「心を込めて時間を使って作った料理を嫌いな材料があるからといって食べないのは、もったいないし、みんなで一生懸命作ったものを食べないのは申し訳ないと食べてみたらおいしかった」というもので、体験を通して誰に教わるわけではなくとも、その料理が「大切」に思えたのです。与えられるだけのものでは、きっとそのような感情がわくことはなかったでしょうが、作ることに参加し、しかもそれが楽しい経験であったということが「食教育」にとって大事な要素であると思います。




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