[本文へジャンプ]

文字サイズ
  • 標準
  • 大きく
お問い合わせ

今月の話題


「食と農」の販売チャネルを求めて

富里市農業協同組合 常務理事 仲野 隆三


○ はじめに

 富里市は、千葉県北部の北総台地中央部に位置し、標高は40mで耕地の起伏も比較的少ない総面積53.9Km2の畑作農業地帯である。東京都心から50Kmと農産物輸送は1時間の距離にあり、また新東京国際空港からは4Kmに位置している。

 農業の現状は、専業農家492戸(41%)、第一種兼業農家332戸(27.6%)、第二種兼業農家376戸(31.3%)で、過去10年間の農業後継者輩出数は毎年5人から15人が新規就農者として定着している。農家1戸当たりの経営規模は、専業農家で平均2~3ヘクタール、兼業農家は0.7~1.7ヘクタールとなっている。営農形態は、野菜が中心で、基幹作物は西瓜と冬人参、大根、トマト、里芋、葉菜類などである。施設栽培はパイプハウスが全体の90%を占め、促成西瓜と夏秋トマトやホウレン草などが75ヘクタール栽培されている。

○ 共販と産地体制

 JA富里市は、1977年に生産部設置規程を設け、組合員が30名(5ヘクタール)以上共販共撰している品目について生産部として認め、組織強化策を講じ、1985年には西瓜、人参、トマト、大根など13品目の共撰(共販共計)と大型化を推し進めてきた。

 しかし、1993年頃より担い手(農業後継者)の規模拡大や農業経営に対する考え方の違いが少しずつ表れ、機械化と規模拡大による契約農産物生産を経営目標と、施設化と規模拡大さらに企業契約取引を目標とする農家が出てきた。これらの意識は、既存の組織共販とは別に新たな農業経営を目指したいとする30歳から40歳代の農家に強く、原因は、市場流通に依存した組織販売体制とりわけ大型共販が経営安定に結びつかなくなってきたことにある。特に、「量は力なり」とした共販は、量販店取引で予約相対取引が増加、バイイングパワーと買い叩きの構図が明確になり、卸機能(価格)が産地に反映されず、担い手から農協の販売体制への不満に結びついていた。また、農協もこのままでは輸入農産物増大と市場外流通の増加により、量を持っていても販売先(情報)を確保しなければ残荷と叩き売りによる再生産価格の維持が出来ないと考え、量販店などの実需者との直販体制を検討した。さらにレストラン・居酒屋チェーンなどの外食産業の急激な伸びが契約取引へと可能性を広げた。

 この頃、全国的に道の駅ブームが始まり、富里市も成田空港の隣接として、5万人を超える人口となっていた。このことが、農産物販売の考え方を大きく変えた産地を中心に同心円での農産物直売所設置構想と人口密集地への店舗展開による「地産地消」である。理由は簡単であった。住民との座談会で、主婦から「何故野菜の大産地に居ながら、地元野菜類が量販店で売られていないのか」であった。どこの産地に行っても、地元野菜が豊富に販売されている光景は見たことがない。

 九州や愛知さらに福島から北海道などの遠隔産地や輸入農産物が量販店に並べられていても、地元農産物は少ない。直販のポイントが徐々に見えてきた。

○ 新たな取り組み

 1995年に加工卸企業との取引の開始、外食レストランが急激な伸びを始めるが、まだ、輸入野菜は少なく、市場取引が主体の時代、加工卸企業にとって産地取引は大きな壁があった。彼らに言わせれば、日本中どこの農協に行っても相手にしてくれない。

 富里農協は、そんな彼らの入口になった。窓口は、営農指導部署が全面的に対応し、外食企業のニーズに対して加工卸企業は、市場で見つけることの出来ない野菜類を産地に依頼して契約取引することで、外食企業との営業は飛躍的に伸びたと考えられる。富里農協は、加工卸企業からの求めに応じ、富里管内で生産可能か指導担当者が検討し、さらに生産農家に対して交渉して取引価格や納品形態など契約取引の内容を詰める。

そして生産農家を選択する。基準はないが、中核的農家(40歳前後)か担い手(後継者)がいるか、契約に対して家族労力が確保されているか、さらに天候などの問題もあるため簡易ハウスは持っているかなどを平素の指導巡回時に得た農家情報を元に選択する。

 決定したら、農家説得に動く。農協から用意するものは、説得するための資料であり、 (1)取引品目導入時の収支予測値 (2)単価(手取り価格) (3)契約期間と出荷方法 (4)野菜の用途 (5)企業名 などである。

 生産農家が納得しなければ、何回となく交渉する。企業との契約では欠品が出来ないことから、生産農家の技術レベルと責任感が絶対条件として必要なため納得されるまで粘る。このことが、後に企業取引で信頼されることにつながる。ただ農家だからいいと言うわけでもない。

 1998年に、卸や量販店サービスとして、ピッキング取引(PC)を開始する。共販産地として冬人参10kg容器だけの出荷からPC(小分け)納品を導入、本来は卸・仲卸などの業者や専門業者が行っていたが、富里は首都圏まで50Kmの距離にあり、リードタイムがとりやすく、収穫から物流まで短時間のため鮮度がよく、立地性はよかった。当初は、PC処理施設もなく、地元農産物業者に共販品を小分け依頼していたが、農協独自の自己資金2千万円により297m2のPC施設を設置した。結果は、量販店を中心に小分け取扱数量が急激に増加し、3ヶ月間で施設能力を超えた。現在は、下請け会社の施設を利用して取引に応じている。念のため補足すると、PC処理はあくまでも取引でのサービスであり、付加価値がつくものではない。ただし、産地として販路を確保すると言う点では効果がある。

 このように、量販店との直接取引が進んでくると、産地直売コーナーなどの企画が提案されてくる。2003年11月に、インショップ取引の生産組織「地場野菜部会」が設立され、65名(現在190名)が参加し、35品目の野菜類や加工品類を千葉市から首都圏18店舗で販売した。この他、富里市市内や隣接成田市内の大型量販店5ヶ所に対しても、職員が毎日ワゴンで納品する。

 生産者の年齢構成は、27歳から50歳までの勢いのある農家で、共販部会や企業取引さらにJA産直センターにも販売機能を持っている。このことにより35種類以上の野菜類の販路が確保され生産ロスが防止できる。2003年には7千万円の実績だったが2004年は1億8千万円まで拡大した。このような効果は、混住化した地域の専業農家と農業振興地域の農業者が共通の目標を作り、マーケッティングを勉強するようになったことにあり、商品づくりに対する意識改革が進んだ。

 生協との取引は、1970年頃に7人の農業後継者から始まり、県内コープ生協や新潟などの生協との取引に取組んでいる。最盛期は23名の部員と1億9千万円の販売実績をあげていたが、生協組織の合併により他の産直生産組織など生産者同士の競争が激化、さらに実需量に対して生産量の安定確保から全農、県連など大型組織との取引が優先され、生産計画が安定しないなど問題点も出てきた。JAは共販や企業契約、直販インショップ、産直センターなどの販路を開き、生協向け出荷を行う生産者の安定を支援している。

 現在の生協向け出荷を行う生産者は農業生産法人として、JA出荷施設内に事務所を構え、新たな商品開発と減農薬栽培に取り組んでいる。

○ まとめ

 私たちは、今まで農産物の販路を、卸売市場一辺倒で来た。組合員は、農協や市場に対して、無条件委託販売方式として価格注文をつけることなく、セリなどでの仕切りで農業経営を支えてきた。しかし、農産物の輸入増加は、各種要因のもと拡大し、量販店主体の取引から相対取引へと進み、バブル崩壊後はデフレ経済での単価安を経験した。さらに、需要のパイは一般家庭消費から食の外部依存が増加しているように、業務需要が拡大するなど卸売市場が手つかずの領域に入ってきた。このような状況で、卸売市場は大きな変革期に入っているが、必ず復活すると思う。ただし、「それまで産地に我慢しろ」では、農業者は生き残れない。JAは、マーケッティングに基づいた新たな発想転換が必要であり、農業としてではなく、食品販売企画と取引に対する生産企画を意識して、農家指導にあたるべきだと思う。輸入農産物に対抗するには、産直事業が最も効果的であり、生産地周辺から消費者と提携した農産物販売と食育を、JAや農業者自ら取り組むべきと考える。そうすれば、輸入農産物の入る隙間がなくなってくる。産直事業は、全国いたるところに見受けられるが、イニシャルコストを抑え、効率的な産直事業は貸店舗でも出来る。要は、コミニュティービジネスをどのように考えるか、コンビニエンスというお手本を真似ればよいと考える。

 いま私たちは、新たな発想のもと現在の体制を十二分に発揮し、産地の活性化をおし進める計画です。

多様な販売チャネルと実績の変化
単位:千円

*企業契約~産直事業まで野菜取引が主体
*資料:JA富里市2005年1月


元のページへ戻る


このページのトップへ