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調査・報告 (野菜情報 2021年1月号)


山形県遊佐町の環境保全型栽培によるパプリカ産地化の取り組み

山形大学農学部 准教授 藤科 智海
岩手大学大学院連合農学研究科 大西 偉益

【要約】

 山形県遊佐町は、土耕栽培による生産者数日本一のパプリカ産地であり、ピーク時の2010年には83人の生産者がいた。栽培が始まったのは、2003年で、生産者15人によるスタートであった。遊佐町の生産者の米を産消提携で購入していた生活クラブ生協から、国産パプリカの要望を受けたのがパプリカ栽培の始まりであった。当時は輸入物のパプリカが流通の主流で、パプリカの日本における栽培技術はまだ確立していなかったこともあり、大分県の先駆け産地から指導を仰ぎ、その後は県の試験研究機関の協力も得ながら、生協から要求された環境保全型のパプリカ栽培を定着させていった。その努力によって、現在は、販売額1億円を超える無加温、土耕栽培によるパプリカ産地となった。

1 調査の目的

現在、農業分野においてもSDGs持続可能な開発目標の取り組みが求められている。山形県遊佐町のパプリカ栽培は、無加温、土耕栽培による環境保全型農業を早くから実践し、産地化を進めてきた。遊佐町においてパプリカの産地化を進めてきた庄内みどり農業協同組合(以下「JA庄内みどり」という)のパプリカ専門部長の阿部浩氏、遊佐園芸センター長の遠田直樹氏(写真1)、係長の土屋拓氏、そしてパプリカ栽培の技術指導を遠田氏と二人三脚で行ってきた山形県農林水産部園芸農業推進課の古野伸典氏から、パプリカの産地形成において取り組まれてきたことを伺った。

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2 遊佐町におけるパプリカ栽培の始まり

遊佐町はハンガリーのソルノク市と1980年代から交流をしており、2004年からは姉妹都市協定も締結している。その交流の中で、1990年に音楽交流としてハンガリーを訪れた遊佐町の農家、高橋良彰氏が、ハンガリーの食文化やその食材であるパプリカに興味を持ち、1996年頃から自分の農地で試験的にパプリカの栽培を始めた。

遊佐町は、1971年から首都圏の生活クラブ生協と提携している米の産地である。米の提携産地であったため、毎年のように産地交流会として、生活クラブ生協の組合員が遊佐町を訪れていた。その際に、高橋氏のパプリカの栽培ハウスを視察し、パプリカについても提携産地になることができないかという要望が上がった。当時、国内で流通していたパプリカは、韓国、オランダ、ニュージーランドなどの輸入物が多く、生活クラブ生協では国内産地を探していたのである。高橋氏が栽培していたパプリカは、くさび型のハンガリアンパプリカと呼ばれるパプリカだったので、一般的に国内流通しているベル型のパプリカの栽培を求められ、2003年から生活クラブ生協の提携産地として、本格的な栽培が開始された。

2003年の生産者数15人、栽培面積46アールから始まり、2007年からは同じJA庄内みどり管内の酒田市にも生産が拡大し、生産者数69人、栽培面積390アールとなっている。ピーク時の2010年には生産者数83人、栽培面積516アールとなり、その後、2020年の生産者数は49人と減少しているが、栽培面積は489アールと、一人当たりの栽培面積は増加している(図)。生産者数が減少する中でも、生産量は維持しており、2019年で212トン、販売額は億1213万円と栽培を開始して以降、最も多くなっている(図)。生活クラブ生協との取引ということもあり、ベンチ更新のたびに産業廃棄物などが発生する養液栽培ではなく、土づくりを基本とした土耕栽培とし、化石燃料消費を抑えた無加温の環境保全型栽培に取り組んでおり、生産者数でみると日本一の産地とJA庄内みどりの担当者は自負している。環境保全に対しての意識は高く、慣行栽培より農薬や化学肥料の使用量を減らし、生産者全員がエコファーマーとなっている。

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3 パプリカ栽培における技術開発

今でこそ国内有数のパプリカ産地となった遊佐町であるが、産地形成の当初は、さまざまな苦労があった。産地形成当初からパプリカ栽培における技術開発に携わっていた山形県農林水産部園芸農業推進課の古野伸典氏から話を伺った(写真)。

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生活クラブ生協から土耕栽培のパプリカを求められたこともあり、最初は土壌病害対策が大変であったという。大分県の有限会社ベストクロップからオランダENZA社のパプリカの種子を導入して栽培を始めた。九州西南暖地では秋に定植し12月から翌7月頃まで出荷するのに対し、遊佐町の場合は春に定植し月から12月頃まで出荷するという作型である。そのため、異なる栽培体系を確立する必要があった。表に示すように、古野氏が試験研究を担当するようになった2007年からパプリカの技術開発が始められ、特に力を入れたのが土壌病害の青枯病対策として、新たな台木導入による接ぎ木栽培に関する研究であった(古野他(2012))。また、整枝方法についても研究し、西南暖地において着果節は葉を枚残して摘心をしているが、これは、西南暖地の定植時期はまだ暑いため、葉数を増やした日焼け対策といった面があると考え、遊佐町の場合は定植時期が暑くないので、葉を1枚残しての摘心でよいとした。これによって、摘心に関する労働時間を分の程度に削減することになった。実際にパプリカ専門部長の阿部浩氏のじょうを見せてもらったが、葉1枚での摘心となっていた。

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次に古野氏が注力した研究は、遮光資材に関する技術開発であった。遊佐町のような夏秋栽培産地は、月の暑い時期に遮光をしているが、遮光資材を外した10月に焼け果が生じてしまうという問題があった。遮光資材を外さずにそのままにすると、どの程度生育が落ちるのかという研究を重ね、慣行の遮光率50%の資材ではなく、遮光率30%の資材を梅雨明け時期から栽培終了まで継続して展張しておくのでよいという研究成果を出した(古野他(2020))。

パプリカは、完熟し赤や黄色になってから出荷するが、夏秋栽培の場合、10月以降に日射量の減少や気温の低下によって、着色割合が低くなってくる。それを光照射によって着色を促進して商品化率を高め、増収効果をもたらすという研究も進められた(古野他(2019))。

このように、遊佐町でのパプリカ栽培を中心とした関東以北におけるパプリカ夏秋栽培の技術開発は、県の試験研究機関の技術者の協力もあって進められた。遊佐園芸センターでJA庄内みどりの担当者にお話を伺った際にも、何か問題があったら古野氏に相談すると頼りにしている状況がうかがえた。JA庄内みどりのパプリカ専門部ではこれらの成果を取り込み、パプリカの①生理生態的特徴②品種特性③栽培歴④圃場整備・定植準備⑤定植・栽培管理⑥病害虫・生理障害―からなる栽培マニュアルを作成し、専門部員に共有している(写真)。視覚ですぐ分かるように写真をふんだんに利用した栽培マニュアルとなっている。遊佐町のパプリカ産地化の取り組みは、生産者と県の試験研究機関が連携して、技術開発を進めながら産地形成がなされた好例といえよう。

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4 遊佐町のパプリカ出荷先

遊佐町のパプリカは、生活クラブ生協からの要請で始まったこともあり、割弱が生活クラブ向けに出荷されている。現在は、残りの割強を市場出荷している。取引している市場は、東京都中央卸売市場の東京新宿ベジフル株式会社、横浜市中央卸売市場の金港青果株式会社、川崎市中央卸売市場の東一川崎中央青果株式会社の社が中心となっている。この社はJA庄内みどりの他の品目でも多くの取引がある。図は、東京新宿ベジフル株式会社のある東京都中央卸売市場淀橋市場におけるパプリカの月別に見た産地取扱実績を示している。山形の数値はほぼJA庄内みどりの数値と考えられる。山形は月から12月に出荷している産地となっている。宮崎などの西南暖地とは出荷時期の棲み分けはできているが、遊佐町が主に出荷している~12月は輸入物の韓国産なども流通する時期で、平均価格はあまり高くない(表)。

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市場出荷は、韓国、オランダ、ニュージーランド産の輸入パプリカも大量に流通しているので、1キログラム当たり400~500円程度の取引価格になっている。それに対し、生活クラブ生協では産地の維持・継続的な栽培を行うため、再生産を考慮した価格設定になっている。生活クラブ生協へ出荷する際には、個の袋詰めにする対応が必要になるが、生産者として満足のいく価格となっている(写真)。生活クラブ生協のカタログを見ても、サイズの大きい7月月の350グラム袋詰めで488円、月以降の250グラム袋詰めで354円となっている。価格帯が違うため、生活クラブ生協向けに販売するパプリカは生産者の面積割で配分している。市場出荷向けのものは、コンテナでJA庄内みどりの選果場に搬入して選別している(写真)。等級は、B、Cの等級で、これは選別者が目で見て判断している。階級のS~Lが機械で選別されている。生活クラブ生協向けにはとBの等級のみを出荷している。選果場には予冷庫も設置しており、一度予冷した上で出荷している。等級別の品質割合は、涼しくなる月以降は割、B品割、C品割であるが、7~8月は実が日焼けしてC品の割合が多くなるという。

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新型コロナウイルス感染症に関連する影響については、悪影響は出ておらず、生活クラブ生協の宅配利用による需要が増えており、例年よりもやや多い取扱いであるという。生活クラブ生協とは毎年交流会を実施しており、2019年度は、4月にパプリカの定植作業の援農に生活クラブ生協組合員に来てもらい、11月に消費地交流会で生産者が首都圏を訪れている。

5 パプリカ生産者の話

パプリカ生産者であるJA庄内みどりのパプリカ専門部長、阿部浩氏から話を伺った(写真)。果菜類専門部から独立して、パプリカ専門部ができたのはパプリカの生産者数がピークの2010年であった。阿部氏は果菜類専門部の頃から専門部長を務めており、独立したパプリカ専門部長にもそのまま就任し、現在まで務めている。パプリカの栽培は2007年から始め、現在はパプリカ専用のハウス棟で25アール、2700株を作付している。他には水稲7ヘクタール、大豆ヘクタール、そば10ヘクタール、タラの芽ヘクタールを作付している。パプリカの栽培には人手が必要なため、常時雇用人、半日雇用人を雇って、収穫と整枝の作業を任せている。タラの芽は父親の担当で、それ以外の作業は全て阿部氏が担っている。

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阿部氏がパプリカ栽培を始めたきっかけは、生活クラブ生協との提携産地として米を生産しており、その生活クラブ生協組合員からの頼みであればということで始めたそうである。10年前と年前にそれぞれ200坪ハウスを1棟ずつ建てて、パプリカ栽培の規模拡大を図ってきた(写真)。パプリカから得られる農業所得は農業生産費を引くとそれほど大きくはないが、7月から12月の間に継続的に収入が入ってくるのが大きいという。

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パプリカの栽培規模別の生産者数を見ると、10アール以下が37戸とパプリカ専門部員全体49戸の7割以上を占めている(図)。一部大きい面積でパプリカを栽培している生産者もいるが、水稲をやりながらパプリカを栽培している農家が多いので、生産者ごとのパプリカ栽培の規模はそれほど大きくない。年齢層で言えば、男性の50代から70代が3分の1、男性の50歳未満が3分の1、女性が3分の1となっている。2019年に1人、新規就農者がパプリカの栽培を始めたが、世代交代はあまり進んでいない。生活クラブ生協の取扱量がもう少し増えてくれば、収入が上がるのでパプリカ栽培に魅力を感じて参加する人もいるかもしれないが、パプリカの消費量をさらに伸ばすのは難しい。パプリカの消費拡大を図るために、遊佐町の中高生による少年議会で、パプリカのレシピ集を作成する取り組みなども実施している(写真)。

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生活クラブ生協との約束のため、無加温、土耕栽培に取り組んでいるが、「加温や養液栽培を取り入れることができれば、もう少し生産量を増やすことができるのだが・・・」と生産者としての悩みも語っていた。

6 今後の展望

遊佐町のパプリカ栽培の特徴は、環境保全型栽培を意識した無加温、土耕栽培である。この栽培方法では、収量を増やすことが難しく、病害虫に対する対策も難しい。そのような中、生活クラブ生協との提携産地として始まったこともあり、県の試験研究機関の協力も得ながら、環境保全型の栽培体系を確立し、日本一の生産者数を誇るパプリカの産地となった。しかし、現在においては、生活クラブ生協への出荷量が4割弱で、残りは市場出荷となっている。市場出荷では無加温、土耕栽培という特徴を活かした販売が難しいため、今後はこの特徴を評価してもらえる販売先を探す必要があるかもしれない。パプリカを利用する飲食店など市場出荷以外であれば、環境保全型栽培によるパプリカを評価する販売先はあると思われる。そのためには、生活クラブ生協との産消提携では信頼関係が成り立っているので必要がなかった特別栽培農産物やGAP認証なども今後は必要になってくると思われる。

最後に、お忙しい折に、本調査にご協力いただいた生産者でありJA庄内みどりパプリカ専門部長の阿部浩氏、JA庄内みどり遊佐園芸センター長の遠田直樹氏と係長の土屋拓氏、山形県農林水産部園芸農業推進課の古野伸典氏他、関係者の皆様に感謝申し上げます。

引用・参考文献

青沼悠平・露木麻衣(2019):韓国のパプリカの生産、流通および日本への輸出動向、『野菜情報』2019年1月号.

氏家清和・林俊秀(2017):パプリカ生産の実態と課題および現場労務管理ソフトの開発、『野菜情報』2017年9月号.

小林好雄(2012):日本一の遊佐産パプリカ、『Cradle』2012年7月号、pp.32-35.

斉藤勝司(2017):土耕によるパプリカ栽培に取り組む、『農耕と園芸』2017年9月号(No.1079)、pp.27-31.

古野伸典・菅原敬・伊藤政憲・伊藤聡子(2012):パプリカ(カラーピーマン)の青枯病対策としての接ぎ木栽培が生育、収量に及ぼす影響、『山形県農業研究報告』第4号、pp.31-40.

古野伸典・吉田千恵・松永啓(2019):夏秋作型カラーピーマン栽培における収穫後の光照射が時期別の着色促進効果と収量性に及ぼす影響、『園学研』第18巻第2号、pp.127-132.

古野伸典・藤島弘行(2020):カラーピーマンの夏秋作型における遮光資材の展張期間と遮光率が障害果の発生と収量に及ぼす影響、『農業施設』第51巻第3号、pp.13-20.

山形県庄内総合支庁農業技術普及課・産地研究室(2010):『2008-2009パプリカ研究成果報告書』.

遊佐町(2014):特集遊佐パプリカ物語、別冊広報ゆざ『ゆざのみ』第5号、pp.2-5.



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