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調査・報告(野菜情報 2015年8月号)


日本一のオクラ産地を支える担い手確保の現状
~鹿児島県指宿市の場合~

ジャーナリスト 古谷 千絵


【要約】

 鹿児島県指宿市では、有力農産品のひとつであるオクラが日本一の生産量を誇る。同市では、毎年30名近くの新規就農者を確保しており、その多くが栽培品目としてオクラを選ぶ。また新規就農者以外にも、他品目からオクラへと生産品目を転換する生産者も見られるなど、オクラ生産の担い手は増加している。これには、地元資源の有効活用はもちろんのことながら、生産者自身が積極的に新たな技術を取り入れ、さらにはその技術を惜しみなく新規就農者へ伝えるという「開かれた」システムが重要な要素であることが確認された。

1 指宿市の農業とオクラ栽培

 薩摩半島の最南端、鹿児島湾の入り口に位置する指宿市は、年間の平均気温が19度前後という温暖な気候に恵まれている。人口は4万3533人、就業者のうち、およそ5人に1人は農業に従事しているという農業の町である。しかし、人口減少は確実に進行しており、人口減少率は年5%余りとなっている(指宿市「平成26年度統計いぶすき」による)。

 指宿市と、隣接する南九州市、枕崎市に広がる農地では、南薩台地の国営かんがい排水事業(受益面積は約6000ヘクタール)が昭和59年に完了しており、れき土の多い土壌での営農に、今でも大きな役割を果たしている。

 平成25年度の指宿市の農業生産額は271億円余りで、その4割を畜産が占めるが、耕作地の9割が畑という指宿市では、かんしょの他、キャベツ、かぼちゃ、オクラ、そらまめ、スナップえんどうが主要農産品となっている。このうちオクラは、生産量3693トン、生産額26億円以上(25年実績)を誇り、指宿市は日本一の産地となっている(表1)。

 アフリカ原産のオクラは、明治初期に日本に伝わったとされており、指宿市では昭和25年頃から試行錯誤での栽培が開始されたと言われている。本格的にハウスでの栽培が開始されたのは、40年代になってからだが、生産拡大のきっかけのひとつになったのは、先に述べた国営かんがい排水事業の存在だと言われている。

 現在、指宿市で栽培されている主なオクラの品種は、「ブルースカイ」「ニュースカイ」「ピークファイブ」などである。栽培時期としては、主流の露地栽培では4月には種、6月から10月にかけて収穫を行うが、ハウスでは2月には種、4月から7月までの収穫となる(表2)。ハウス栽培と露地栽培を組み合わせることにより、連続出荷が可能であることから、近年はハウス栽培が増加傾向にある。また、冬場のそらまめ、えんどうなどの豆類との複合経営を行っている生産者も多い。

 美しい花をつけるオクラであるが、収穫には非常に手間が掛かる。実は成長が早く、花が咲いてから収穫までは通常7日ほどだが、ピーク時にはそれが4日ほどになる。オクラの栽培期間中は、生産者は毎日、休むことなく、早朝から収穫に追われることになる(写真1、写真2)。

 収穫されたオクラは、通常、コンテナや籠にいれて出荷される。指宿市では収穫されたオクラをネットに袋詰めにする「詰め子」という仕事が存在し、栽培農家との分業が明確になっている。この詰め子は、地域の非農家に対して雇用の場を提供するものとして、地域社会に一定の貢献をしているという評価もある。

 出荷先としては、JAいぶすきのほかに、有限会社マルユ湯通堂青果などの野菜卸売業者が複数存在しており、生産者自身が出荷先を決定しているというのが現状である。

2 行政の取り組み

 指宿市にも生産者の高齢化という問題は存在しており、以前から農業関係者の間での懸案であった。県や関係機関では、平成11年度よりオクラ産地強化の方策として、

① 生産技術の向上による農作業の省力化と農家所得の向上

② 労働負担軽減対策

③ 新規就農者の確保

を重点的に進めてきた。

 具体的には、

① フェロモントラップを利用した主要害虫の発生予察を行い、一斉防除を実施することによる病害虫対策技術の確立

② オクラ栽培上の大きな障害であるイボ果の発生抑制技術の普及

③ 農繁期の労働調整システムの導入

④ 新規就農者の栽培技術習得支援

⑤ 地域と新規就農者をつなぐ地域一体の支援体制の構築

がある。

 オクラ産地の維持、強化のためのこれらの取り組みの中から、ここでは特に、新規就農者を対象とした取り組みについて、紹介していきたい。

3 指宿市の新規就農者の現状

 全国の市町村では、国の青年就農給付金の他にも、自治体独自の支援として、就農準備金の支給、住居の提供や空き家の紹介など、幅広い支援を用意しているケースがある。しかし、指宿市では、そのような支援は準備されておらず、就農後の農業後継者に対する就農奨励金の支給にとどまる。それにもかかわらず、指宿市の新規就農者数は、平成24年度27名、25年度27名、26年度26名と、高い水準を維持しており、27年度も30名の確保を目指している。また、指宿市の就農相談窓口では、「オクラを作りたい」と、生産品目を限定して若者が相談に訪れることもある。

 指宿市が新規就農者にこれほどの人気がある理由について、県の担当者は、「南国、観光名所というイメージがあり、暖かいところで農業ができると思われているのではないか」と感じているようだが、明確な理由は分からないという。

 表3にあるように、指宿市の新規就農者について特徴的であるのは、まず年齢が若いことである。また、地元指宿の出身者のUターンが多く見られるが、非農家出身者が多い。そして、栽培品目は、圧倒的にオクラが多い。また、新規就農者の定着率は、ここ数年は95~96%で推移している。

 オクラ産地の強化のために、新規就農者を中心とした担い手の確保が課題のひとつとして挙げられている指宿市ではあるが、新規就農者の人数の確保という面では、他地域と比べて、有利な状況にあるといえる。

4 新規就農者を支える仕組み

 毎年多くの新規就農者を確保する事が可能となっている指宿市であるが、農業者の高齢化が進む中では、今後は彼らを地域の農業を支えていく農業者として育成する必要がある。市内にある合同庁舎では、鹿児島県、指宿市、農業委員会、JAいぶすきの担い手担当が連携し、「いぶすき農業支援センター」が設置され、各種支援の窓口となっている。

 また、県農政普及課と指宿市担い手育成総合支援協議会は新規就農者への巡回訪問を実施し、アンケート調査、聞き取り調査、営農実態調査を行う他、栽培技術や経営管理手法の習得についての支援を行っている。

 具体的には、

① 土壌肥料や病害虫防除など、基礎的な知識についての「基礎研修」の実施

② 指導農業士や普及協力員などのほ場において、実践的な栽培技術を指導する「ニューファーマー講座」の開催

③ 「パソコン簿記講習会」の開催

④ 指導農業士らも交えての「ニューファーマーの集い」の開催

がある。

 ここでは特に、「ニューファーマー講座」について紹介する。

 これは就農後5年以内(平成26年度以降は3年以内に変更)の農業者を対象に開催されるもので、平成16年から毎年開講されている。オクラについては年に4回(表4)、そらまめとスナップえんどうについては各3回(うち初回は豆類共通)実施されている。

 新規就農者には、開講のお知らせが直接郵送される仕組みとなっており、開催場所は、合同庁舎会議室の他、地域のリーダーである生産者のほ場も含まれており、実際の作物を見ながらの実践的な指導がなされている。昨年5月に行われたオクラの第1回講座では、出席者は28名であったが、今年5月27日に開催された第1回講座では、出席者は47名に上った。

 本調査で聞き取りを行った新規就農者(後述)もこの講座を受講しており、「非常に役だった」という感想が確認されている。また、講座参加者に配布される資料は、単なる知識の羅列にとどまらず、受講者の身になって考えられた、細部まで行き届いた親切なものである印象がある。

5 就農3年目の秋葉さん夫妻

~安定した収入と、支えてくれる地域の人々が魅力~

 行政関係者を含めた地域の農業関係者は、このように新規就農者に対する支援を行っているわけであるが、なぜ指宿市では新規就農者を安定的に確保できるのか、という疑問に対する直接的な答えは得られていなかった。そこで、今回の調査では、その答えを探すために、指宿市内で就農3年目の秋葉泰光さんに直接会い、調査を実施した(写真3)。

 まずは、秋葉泰光さんの就農に至るまでの経緯を紹介する。

 千葉県で農業とは無関係の仕事をしていた秋葉さんは、小さい頃から母親の実家のある指宿市を度々訪れていたという。その度に指宿市の良さを実感し、ずっと指宿で暮らすチャンスをうかがっていたという。「指宿は小さい頃からのあこがれだった」と秋葉さんは言う。

 秋葉さんは、農業にも以前から興味があったという。そして秋葉さんに指宿への移住を決心させる直接のきっかけとなったのは、4年前の東日本大震災だった。

 震災後、秋葉さんは鹿児島県立農業大学校に入学し、農業を学び始めた。翌24年には指宿に居を構え、同年4月からは青年就農給付金の準備型を受給しながら、地域のベテランオクラ生産者であり、先の「ニューファーマー講座」の講師でもある澤山岩重さんのもとで研修に励んだ。農業大学校の卒業生であり、当時は農業大学校の職員であった妻の友理奈さんも一緒に就農し、現在、2人は経営開始型の給付金を受給しながら、20アール(うちハウス10アール)で夏にオクラ、冬にスナップえんどうとそらまめを栽培している。

 指宿市に移住して以降の2人のこれまでの道のりについて尋ねると、そこには彼ら2人を懸命に支えようとする地域の人達が度々登場する。中でも特に、研修生として泰光さんを受け入れた澤山岩重さんの存在は、非常に大きい。泰光さんは、「澤山さんに教わっていなかったら、今の生活はない」と言う。

 「地域の行事には、澤山さんの息子の建志さんが誘ってくれたし、いろいろな機会で地域の人達と顔見知りになれるようにしてくれました。スナップえんどうを始める時には、スナップえんどうを作っている人を紹介してくれました。地域のみなさんが支えてくれたと思います」と、泰光さんは感謝する。

 また、泰光さんは、「ニューファーマーの集い」「ニューファーマー講座」「パソコン簿記講習会」の重要性も指摘する。「知らない技術や知識を教えてもらえる場で、とても役に立つ。横のつながりを持てるのも大きい」と、評価する。

 そして最後に、「なぜ指宿市では新規就農者を安定的に確保できるのか」という当初の疑問について、秋葉さん夫婦に、考えられる理由を挙げてもらった。

① オクラ栽培では、比較的安定した収入が得られる。

② 地域の生産者は勉強熱心で、さまざまな工夫をしている。また情報交換を積極的にしており、新しい事にも取り組むため、「オープン」な雰囲気がある。

③ 他地域からの人を受け入れてくれる土壌がある。栽培技術も惜しまずに教えてくれる。

  「指宿は特別なところだ」と感じているという秋葉さん夫婦のこれらの意見を確かめるべく、彼らの指導役であった澤山岩重さんへの聞き取り調査を行った。

6 オクラ栽培の歴史を知るベテラン農家

~新しい栽培技術を積極的に取り入れ、伝える~

 秋葉さんのオクラ作りを指導したのは、指宿で40年以上もオクラを作り続ける澤山岩重さんである。平成26年まで長くJAいぶすきのオクラ専門部会長を務めた大ベテランである(写真4)。

 澤山さんは、昭和48年に周辺地域での畑地かんがい事業が終了したことを受けて、農協のリース事業を利用して、オクラのハウス栽培を導入した。指宿をオクラの一大産地に成長させた立て役者の一人である。「指宿のオクラの平均栽培面積は30アール余り。そこで一年中栽培して差別化を図り、単収を上げることで、定着させてきた」とその歴史を振り返る。

 その澤山さんは、後継者確保の重要な要因として、やはり収益性を挙げる。「もうけがないと、後継者がいなくなる」「指宿全体では、オクラで26億円の売上がある。1年中現金収入があるというのは、やはり魅力的だ」と語る。澤山さん自身は、オクラの栽培面積は60アールである(写真5)。

 秋葉さんのように、新しく指宿で農業を始めようという人に対しては、「いろんな人の話を聞いて、比較して、最終的に自分で納得できるような栽培をする事が大切だ」と説く。「私は体験談を話すだけ。恥ずかしいと思わず、どうすればいいかと聞く態度が必要だと思う」という澤山さんの意見は、「栽培技術も惜しまずに教えてくれる」という秋葉さんの感想と一致する。

 また秋葉さんからは、指宿の生産者の特徴として、新しい技術の導入に積極的に取り組んでいるという指摘があった。実際、澤山さんは、環境保全型農業の一手法であるIPM(Integrated Pest Management総合的病害虫管理)の推進にも協力しており、澤山さんのほ場の一部は、オクラにつくアブラムシの発生を抑える土着天敵(テントウムシなど)を呼び込むキンゴマ、ロベリア、ブルーサルビアなどが植えられた実証ほ場となっている(写真6)。ここでは昨年の農薬散布回数は、慣行区の3分の1程度に抑えることができたという。

7 他品目から転向した中間さん

~泉熱を利用して、1年を通じたオクラ 栽培を展開~

 安定的な新規就農者数を毎年確保している指宿市であるが、オクラ栽培に魅力を感じ、オクラ生産に携わろうとするのは、彼らだけではない。それまで他の品目を栽培していた生産者がオクラに転向する例もある。花き農家であった中間学さんもその一人だ。

 中間さんは以前、カーネーションやスターチスなどを生産していたが、旧山川町と北海道倶知安町との交流事業をきっかけに、キンギョソウを栽培するようになった。キンギョソウは北海道まで空輸していたのだが、燃料高騰の中、輸送費が経費の半分を占めるようになり、やむなく花の栽培をやめたという。現在は妻と息子夫婦と共に45アールのハウスでオクラを栽培(写真7)し、今年からは露地での栽培も開始した。

 中間さんのオクラ栽培の大きな特徴は、ハウスで温泉の熱を利用した加温栽培である。湧き出る温泉の温度は99度で、ハウス内に巡らされた放熱管の内部には80度のお湯が流れている(写真8)。

 通常、指宿ではハウス内は無加温であるが、中間さんのハウスの中は冬場でも20度前後に保たれている。2月には種して4月に出荷を開始以降、最終のは種は10月で、11月末まで出荷が可能と、ほぼ一年を通じてのでオクラ栽培が可能となっている。冬場は1本20円で取引されることもあるという。

 「花の場合は、一度収穫したら終わりだが、オクラの場合はずっと採り続けないといけない。連作障害もあるし、管理が難しいけれど、オクラに変えて良かったと思っている。毎朝4時半から仕事をしているが、午後には自分の時間も持てる。花を作っている時には、そんなことはできなかった」と中間さんは言う(写真9)。

 山川地区で泉熱を利用した栽培に取り組んでいるのは、中間さんを含めて2軒のみで、県も注目する事例ではある。しかし、土壌の違いがある上、地形の違いによって日照時間が変化して生育に違いが生じることや、近隣の土地であっても温泉の湯量が大きく変化してしまうなど、泉熱の利用については、ノウハウを平準化することは難しそうな状況である。しかし、ここにも「さまざまな工夫をして、新しい事にも取り組む」生産者の姿がある。

8 堅実な農業経営の必要性を指摘

 指宿市の農業の担い手について、地元JAいぶすきの農産部営農課吉崎敏彦次長は、「14、15年前は、大丈夫だろうかと心配な状況でしたが、今はまったく違います。畑を借りたいという人はいっぱいいて、足りない状況です」と言う。

 また、生産者の高齢化に対しては、「親の世代が安定した農業経営を行っている生産者は、きちんと後継者を確保する事ができている」と、堅実な農業経営の必要性を指摘する。また、複数の子どもが後継者となる例や、新規就農者を後継者とする例もあるなど、指宿市での担い手、後継者の確保については、比較的安定した状況である。

 オクラでの営農については、「温暖な気候という栽培面での大きなメリットがあるが、技術力の違いによって、経営に大きな差が出る」とも吉崎次長は指摘する。営農指導員の秋元智さんも、地域へ出かけての「栽培座談会」の開催など、営農指導を強化しており、「中堅の組合員に、牽引力になっていって欲しい」と語る。

 平成26年度のJAいぶすきの旧指宿市地域内での取扱量は832トン(7億1400万円)にとどまっている。先に述べたように、指宿市内には有限会社マルユ湯通堂青果など、8社の野菜卸売業者が存在し、それぞれが市内各地に集荷施設を持っている。現金買い取りで、支払いは週払いというシステムが、オクラ生産者の「励みになっている」という声も聞かれる。

 指宿市ではオクラを最初に取り扱い始めたのは卸売業者であったらしく、市全体で生産されるオクラの卸売業者への出荷はおよそ6割で、JAの共販率は4割にとどまると言われている。

9 終わりに

 「オクラ栽培は、大型の農業機械が不要で、栽培面積が小さくても始めることができる。収穫時期には毎日の作業が必要になるので、むしろ規模拡大はせずに、家族経営を行うという生産者が多い」という指宿市のオクラ栽培の現状は、現在進められている農業の大規模化・効率化とは違ったベクトルで発展してきたものであり、この特徴が、むしろ、新規就農者を含めた担い手の確保を有利に進めてきたという点は、興味深い。一律に大規模化を目指すのではなく、小規模だからこそできることがあるという発想が必要であると言える。

 経営規模は小さくても安定的な経営を行うためには、競合の少ない品種で高単価を目指す必要がある。しかし、それを実現させるためには、下支えとなる高い技術力と生産者自身のたゆまない努力、向上心というものが不可欠であるのも、また事実である。

 この調査を開始するに当たっては、県の担当者は当初、「新規就農者には、農地の斡旋など、特別な支援メニューは用意していない」と言っていた。「指宿市の新規就農者の現状」の項で触れたように、実際、新規就農者に対しての県や市独自の経済的支援はない。しかし、原点である技術力の向上が重要であるという認識が関係者の間で共有されており、その結果、「ニューファーマー講座」を始めとする各種講座の指導内容は行き届いたものであり、受講者からの評価は高い。こうした地道な支援を繰り返す中で、生産者の間において、栽培技術を積極的に共有し、生産者同士の縦と横のつながりを深め、さらに情報交換を進めるという、プラス効果が生まれていることは、印象的である。

 指宿市においては、畑地かんがい事業や活動火山周辺地域防災営農対策事業(ハウスの設置に対する国の補助率50%、県の補助率15%)など、営農にとって有利な条件があることも事実であるが、温暖な気候と、それに伴う「イメージ」の良さが、他府県からの移住者やUターン者の目を指宿に向かわせる有利条件のひとつとなっている。

 指宿市で「オクラ生産の担い手」を安定的に確保することが可能になっている背景には、穏やかな気候を含めた地域の「資源」を有効的に活用するとともに、「『後継』を意識した技術の公開・伝承」の取り組みがあった。作物を生産する上での原点ともいえる「技術力」を伝えるという地道な努力が、担い手の確保においても重要であることが確認された。

 今年6月の大雨による日照不足のため、指宿市ではオクラの生育に深刻な影響が見られると聞く。今後の天候の回復と生育状況の改善を、心よりお祈り申し上げる。


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