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調査報告 (野菜情報 2014年3月号)


農業と福祉の連携

~京丸園株式会社(静岡県浜松市)の取り組み事例から探る~

農業ジャーナリスト 青山 浩子


【要約】

 水耕栽培によるみつばやねぎ、ちんげんさい生産を主とする京丸園株式会社(以下、「京丸園」という。)は、1996年より障害者の雇用を始めた。始めは、ボランティア的な意味合いから雇用をスタートしたが、障害者と接することで生まれてきた新たな発想、機械の開発によって生産性が向上するなど経営に役立つと確信し、ビジネスパートナーとして障害者雇用を行うようになった。現在、スタッフの3割以上を障害者が占める。雇用者数の増加とともに、売上も順調に増加し、鈴木厚志社長は「農業経営において障害者はハンディでない」と確信する。障害者雇用を進めるには「農業側が単に福祉の力を借りるという発想ではなく、福祉の力を借りて従来の農業を改革していくという主体的な発想が不可欠だ」と同社長は語る。

経営概要

 京丸園は、水耕栽培の野菜(100アール)、水稲(70アール)、普通畑での野菜(50アール)を生産し、2004年に設立した法人である。売上の大半を占める「姫みつば」「姫ねぎ」「姫ちんげん」はJAを経由し、全国40市場に出荷する。姫ねぎは東京大田市場で70パーセントのシェアを占める。従業員は、66名(役員4名、社員5名、準社員3名、パートタイム54名)である。

1. ボランティアとして障害者を受け入れ

 京丸園を代表する商品で、つまようじよりも細いミニサイズの葉ねぎ「姫ねぎ」のハウスでは、風変わりな機械が動いていた。「虫トレーラー」とよばれ、水耕のベッドと並行して動かし、野菜につく虫を扇風機で吸い出す機械だ。作業者はゆっくりと機械を動かしていく(写真1)。

 鈴木厚志社長は「ゆっくり進むほうが効果がある。健常者より障害を持った子に向いているんです」と説明する。
 虫トレーラーは、一人の障害者が入社したおかげで開発できた機械だ。その障害者は入社当初、適当な仕事がみつからず、ハウス内の掃除をしてもらうことから始めてもらった。常に掃除がいきとどいたハウスでは虫も少なくなり、ねぎに使う農薬の使用量が減った。「機械があれば障害者の能力をさらに伸ばすことができるのでは」と考え、開発されたのが虫トレーラーだった。これによって今まで以上に虫が減り、ついに、姫ねぎは無農薬栽培が可能になった。「障害を持った子をビジネスパートナーとして迎え入れたことで、いままでやってこなかった無農薬栽培が可能になったのです」――。鈴木社長は頬を紅潮させながらこう話す。
 最初の頃、鈴木社長はビジネスパートナーとしてではなく、ボランティアの視点から障害者の雇用を始めた。1990年代半ばからの規模拡大にともない、人材募集したことがきっかけだ。
 新聞の折り込みチラシを見て、障害を持つ子が親に付き添われて農場を訪ねてきた。障害者と接したことがなかった鈴木社長は、「職人的な仕事が多い農業には向いていないと思う」と事情を話し、採用を断った。
 そのことを知らない別の障害者が母親に付き添われて農場に来た。鈴木社長はいつものとおり、「うちでは難しいと思う」というと、「私も一緒に働きますから。給料も要りません」と母親にいわれ、「おかしなことを言う人だ」と鈴木社長は不思議に思った。「働く以上、給料をもらうのが当たり前なのになぜそんなことを言うのか」
 鈴木社長はその後も、肩を落として農場をあとにしていった母子の姿が頭から離れなかった。そしてあることに気づいた。「当時私は30歳でした。お金をもらうために一生懸命働くものだと思っていた。でも本来、人はお金のためだけに働くのではない。人の役に立ち、喜んでもらった対価としてお金をもらう。あのお母さんは障害を持って生まれてきた子供が、人の役に立つ場所を探していたのではないか、と思うようになった」
 人を雇うために、チラシを出すたびに障害者が訪ねてきた。鈴木社長自ら、福祉関係機関を訪ねて事情がわかった。バブル経済崩壊後、日本の景気は冷え込み、工場は海外に移転し、障害者が担ってきた仕事がなくなりつつあった。商業界も同様だった。「農業なら働き口があるのでは、と門をたたいたのだと分かった。いきなり採用はできないが、研修生として受け入れることはできるのではないか」。こうして一人目の障害者を受け入れた。

2. ビジネスパートナーとして本格採用

 「それでも内心は不安だった」と鈴木社長は振り返る。働いているパートの人たちから「一緒に働きたくない」といわれたらどうしよう、障害者もなじめずに冷たくされないだろうか、という不安があった。
 そのどちらもが杞憂きゆうに終わった。鈴木社長は言う。「それどころかパートの人たちが障害を持った子をうまくサポートしてくれ、作業所全体がいい雰囲気になった。雰囲気がよくなったことで仕事もはかどった。純粋にうれしかったです」
 障害者との接し方を学ぶため、鈴木社長自身、教育プログラムのひとつである「コンストラクティブリビング」の資格も取得した。この時点ではまだボランティアの意味あいが強かったが、2人目を雇って考え方ががらりと変わった。「ボランティアなんて言っている場合じゃない。障害を持った子たちの力を借りて、自分たちの農業を変えていけると手応えを感じた」(鈴木社長)
 考え方を変えさせたのは、特別支援学校の先生が持ってきたある道具だった。その5日前、「障害者を受け入れてくれないか」とその先生が訪ねてきた。調整作業などパ
ートがすぐ横にいる作業場であれば働いてもらえるが、いきなり何人も必要というわけではない。一方、農園の作業は依然人手が足りていないが、個別の作業になりやすいため、障害者にやってもらうのは難しいと思っていた。鈴木社長は種が播いてあるスポンジを水耕栽培のベッドに手際よく埋め込みながら、「こういう作業は熟練技術が必要なんですよ」と言った(写真2、3)。

 5日後、先生はプラスチックの下敷きのような板を持参してきた。そして、その下敷きを道具として使ってスポンジを実に手際よくベッドに埋め込んでいった。「農家は自分のやり方がベストだと思い込んでいる。人を使う時も自分と同じ作業ができる人しか雇わない。しかし福祉の先生は、作業ありきではなく、人ありき。障害を持った子ができる作業は何なのか、から考える。だからあの板の使い方を考案した。これはおもしろいと思いました」(鈴木社長)
 鈴木社長はいままでの手作業から板を使った定植方法に変えてみた。すると明らかに速く、きれいに作業が進み、生産性が上がった。それまでは「農園の雰囲気がよくなった」という感覚的な手応えだったが、「農場の仕事が変わる」という確信に変わった。これが転機となって京丸園は1年に1人のペースで障害者雇用を始めた。

3. 安定雇用のための体制づくり

 2013年12月現在、22名の障害者が働いている。社員、パートを含め約60名なので3割以上を障害者が占めている。この比率は、鈴木社長が「障害者を雇用したい」という思いだけで実現されたものではない。障害者が定着し、レベルアップできるようさまざまな仕組みを構築してきたからこそである。
 まずは組織体制。同社は水耕部、土耕部、心耕部がある。水耕部は同社の売上の90パーセント以上を占める水耕野菜を生産する部署だ。土耕部は稲作と露地野菜の生産を担う。そして障害者は全員が心耕部に属する。心耕部のスタッフ2名と鈴木社長の夫人、緑さんが新たに入ってきた障害者を受け入れ、本人の意向を聞きながらふさわしい仕事をみつけ、訓練を受けてもらい、水耕部に派遣するという流れだ(図1)。

 心耕部は水耕部、土耕部の上位に位置づけされている。つまり心耕部の指示を受けて水耕部や土耕部は障害者にあわせて仕事を作ったり、仕事をしやすいように機械の開発をする。すべて「作業ありき」ではなく、「人ありき」で仕事を作っていく。この体制を作った結果、「至るところにいままでの農業の問題点を発見し、改善策をみつけられるようになった」(鈴木社長)
 たとえば、使い終わったトレーを洗浄するという作業がある。両側からブラシが回り、水が流れてくる機械にトレーをあてて洗っていく。この仕事を障害者に最初頼んだ時「きれいに洗ってね」と言ったが、福祉関係者から「そういう曖昧な言い方がいちばんよくない」といわれ、「ここにトレーを入れて2回上下させてね」と指示した。すると障害がある人でもきれいに洗えるようになった(写真4)。

 「“きれいに”とか“ちょっと水あげて”の、“ちょっと”という指示の仕方がいかにいい加減なのか、と気づきました。健常者に指示する時も同じ言い方で伝えれば、作業の平準化ができると、発想の転換ができました」(鈴木社長)
 鈴木社長は、心耕部を中心に据えて、障害者と会社を結ぶ“三角関係”を維持している。会社が障害者に直接言うと、きつくとられてしまいかねないことは、心耕部経由で話してもらう。逆に障害者も、会社には直接言いづらいことは心耕部経由で言ってもらう。心耕部はこうしたクッションの役割を担っている。
 また、社外の福祉機関と障害者の家族との“三角関係”も築いている。障害者は、雇用が決まるまで、自治体ごとにある生活就労支援センター、自立支援センターなどに席を置き、生活面でサポートを受けるが、いったん就職が決まると所属を外れてしまう。京丸園ではあえて所属を残してもらい、生活面でのサポートをお願いしている。「就職すると家族の意見を受け止める場所がなくなる。企業と障害者が一対一になると、親は何か言いたくてもこらえてしまい、問題が吹き出す頃には取り返しがつかなくなる。会社、障害者、福祉機関が関係を維持することで、問題を早期に発見でき、対応できるので、結果的に安定雇用につながる。うちにとってもありがたい」(鈴木社長)という理由で、月1日はミーティングを持ち、懸案事項を話し合うようにしている。こうした支援体制は、04年に京丸園株式会社として法人化した際に確立されたものだ。

4. 障害者のスキルを上げる仕組み

 京丸園では、障害者就労にあたって「ナビゲーションマップ」を作成、活用している。入社してきた障害者が、どのレベルの仕事から始められるかという指標にしているのだ(表1)。

 マップによると、もっとも単純な仕事は掃除、草取りだ。汚れ(草)に気づいて一人で作業ができることが、ナビゲーションマップのスタート地点になっている。ここをクリアできるかどうかが採用の基準になる。ただし面接は直接京丸園で行っていない。障害者就労支援センターで面接を受け、紹介された障害者に対してのみ入社の相談を受ける。「直接面接していた頃もあったが、入社を断った子の親から、『なぜうちの子はだめなのか』と怒られた。福祉のプロでもない自分が判断すべきではないと思い、福祉機関と連携をするようになった」(鈴木社長)
 ナビゲーションマップはまた、障害者の給与を決める際、判断基準のひとつにもなっている。賃金の算定にあたって鈴木社長は、「能力と給与の一致」を心掛けている。障害者の給与は健常者の生産性と比べ、どのぐらい仕事ができるかによって決まることが多いが、障害の程度によって最低賃金の除外申請をすることもあるという。もちろん労働監督署の判断で決定されることだが、すべて障害者の安定雇用という点から考えていることだ。
 最低賃金ありきで採用を考えると、能力の高い障害者しか雇うことができなくなる。能力が未達であっても、無理に最低賃金を維持しようとすると、農園の経営が苦しくなる。さらに、雇用側の経営が悪化すれば、最低賃金と能力の格差のある障害者からリストラをせざるを得ない。だが、能力と給与が一致していれば、工業界では採用してもらえない障害者にも働く場所を提供できるし、長く働いてもらえるという点で農業者にもメリットがある。障害者の家族からも、「長く働けるところがいい」といわれるそうだ。そのため、「能力と給与の一致」を原則に、雇用の機会をできるだけ増やし、雇った人にはできるだけ長く働いてもらうことを優先している。
 ナビゲーションマップはまた、一人一人の働きぶりにあわせて、スキルアップをめざしていく指標でもある。「時間をかければスキルアップできる障害者はいます。短期間で収益向上をめざす工業界と違い、農業は作物の生育にも時間がかかるように、時間への考え方が工業界よりも長い。そういった意味で農業と福祉は流れる時間軸が似ている。農業と福祉は相性がいい」(鈴木社長)

5. 本格雇用して売上は4倍に

 1996年に一人目の障害者を雇用した頃の売上は約6500万円だったが、2013年には約2億8000万円と4倍以上になり、障害者の雇用者数も増えている(図2)。「障害者が企業にとって決してハンディでないことを証明していると思う」と鈴木社長は胸を張る。

 20歳で就農した当時、鈴木家は水田とみつばの生産がメインだったが、「少しでも特徴のある作物を」と、通常よりもサイズの小さい「姫みつば」「姫ねぎ」の生産を1994年から開始した。通常サイズだと年10作程度だが、姫シリーズは15~17作が可能だ。
 その後、障害者を雇うようになり、人手が増えてきた。「普通の農家では面倒でできないが、うちは人手が多いからできる」とひとつずつ小分けし、それぞれパッケージに入れた商品として開発した。人手の多さがオリジナリティのある商品開発につながった。無農薬栽培による姫ねぎもやはり、障害者が虫を懸命に取り除いたから誕生した。
 2003年から生産を始めた「ミニちんげん」も、障害者がいたから生まれた商品だ。ミニちんげんさいのハウスは障害者に働いてもらうためにわざわざ建てたものだ。鈴木社長は、「消費のニーズがあるもので障害者が作業しやすく、かつ経営として成り立つ作物はどういったものか」を探り、「これが確立できれば健常者の新規就農者が定着するモデルにもできる」と考え、アイテムとしてミニちんげんを選んだ(写真5)。

 収量や品質を決める決め手となる育苗については、JAに外注することにした。JAから調達した苗の定植、収穫は障害者が作業する。定植についてはベッドに穴をあけておき、作業者が二本の指で苗をつまみ、穴の上で指を放せば誰がやっても均質に定植できるように工夫をした。
 鈴木社長はスタートから3年で黒字化をめざしたが、達成できなかった。そこで「障害者の作業に問題があるのか」「障害者に指示を出す管理者に問題があるのか」などさまざまな角度から検証をした。だがいずれも当初の計画通りの成績をあげていた。「問題は営業だとわかった。営業力が弱かったために、計画していた単価が維持できなかった」(鈴木社長)
 そこから営業の強化に乗り出した。商品はいずれもJAに出荷し、その後卸売市場などにいくが、どの市場に出せば高値で買ってもらえるかを研究したり、市場とのやりとりをこれまで以上に綿密に行い、市場から先の取引先にも営業を行うなど工夫をした。そうしたところ5年目から見事に黒字化でき、いまでは京丸園の商品の中で、売上の伸び率がトップになった。「どこに問題があったかを気づかせてくれたのが障害者でした。この子たちがハンディになっていないことを証明できた」(鈴木社長)

6. 企業を巻き込んだ事業連携

 障害者の雇用を京丸園だけでなく、他の農園にも広げていけないか――。鈴木社長は福祉関係者、病院関係者などと「NPOしずおかユニバーサル園芸ネットワーク」を設立し、農業と福祉をテーマに研究活動を行っている。
 農業側で障害者雇用を増やすには、ひとつの大きなネックがあることが分かった。個人経営が圧倒的に多い農家への就職に、障害側が不安を抱いているということだ。
 鈴木社長の声かけもあって、周辺の農家も、福祉教育機関に通う障害者を研修生として受け入れるようになった。農家からは「人手が増えて助かる」と言われ、福祉機関の評判もよかった。ところが就職を控える最終学年になると希望者が急に減った。事情を聞くと「このまま農場で雇ってもらっても、社会保険や労災もなく働きづらいから」という声が多かった。農家の大半は自営業で、社会保険制度は整っていない。「農家と障害者という2者の関係では解決できない。そこに企業を巻き込む必要があると気づいた」(鈴木社長)
 NPOでは、3者による事業連携の仕組みを考えた。企業が特例子会社(1*)を設立し、子会社で障害者を雇用する。これとは別に子会社は農家と作業請負契約を結ぶ。子会社に採用された障害者は農家に出向き、仕事をするというものだ。特例子会社に採用された障害者は最低賃金も受けられ、社会保険などの制度も整っている。こうした仕組みにより、企業は法定雇用率(2*)を引き上げることができ、人手を求める農家も助かり、障害者も安定した就職先を確保できる。
 当初、NPOの仲介によって地域農家が、浜松市に本社を置くA社と事業連携を構築した。この企業が特例子会社(B社)を設立して障害者を雇い入れ、実際の作業は各農家でやってもらうという関係を築いた。だが、B社と各農家の契約を“人材派遣”としたため、「派遣労働者を使用できる期間は最長3年」という労働者派遣制度により、3年後に事業が縮小してしまった。
 この教訓をもとに、NPO活動を通じて知り合ったC社(本社東京)向けに、新たな事業連携の仕組みを作った。C社が100パーセント出資する特例子会社D社と障害者の雇用関係は変わらないが、子会社と農園の間は人材派遣ではなく、作業請負契約を結ぶことにした。これにより3年で途切れず、事業を継続できるようになった。
 この仕組みを利用し、京丸園ほか浜松市近辺の6農家が、D社の約20名の障害者に作業を委託している。京丸園のミニちんげんハウスでは、日量2万本収穫するちんげんさいの約半分を、D社の障害者に委託している。
 作業請負契約なので、「ちんげんさいを何本収穫したらいくら」「トマトを何キログラム収穫したらいくら」という出来高払いで払うことができる。また、作物によっては本体企業が買い取り、株主に提供したり、ノベルティ商品として使ってくれる。実際、この連携が動き出してから、C社が本社ビルで使うお茶を、作業請負契約を結んでいるお茶農家から買い取るようになった。お茶農家にとっては販路拡大になり、C社にとっても、既存の業者よりも有利な条件で調達できるようになった。「農家と大手企業が連携する場合、規模の違いから、企業が上で農家が下という関係になりがちだが、障害者雇用については対等に話ができる。上下関係を対等な関係に変えてくれるのも、障害を持った子たちの存在意義」と鈴木社長は語る。

7. 農業者に求められることは

 障害者を雇用する農業経営体は徐々に増えており、先駆者的存在である京丸園には多くの視察者が訪れる。農林水産省も農業と福祉の連携を広めていく方向性を打ち出している。この方向性を鈴木社長も肯定的に見ている。「自分もそうだったが、雇用してみて農場の運営方法も改善できたし、発想の転換もできた。福祉に対して前向きな意識を持つ人が取り組むことで、うちとは違う発想で経営していく農園も生まれるだろう」と期待する。
 一方で「健常者よりも安い給与で雇うことができるとか、農業が儲からないので福祉の力を借りる、という発想では農業は強くならない」ときっぱり話す。「福祉というキーワードを農業に持ち込むことによって、現状の農業を変えていこう、強くしていこうという視点が大切」。鈴木社長はこうした農業を、“ユニバーサル農業”と称している。
 「ユニバーサル農業に取り組むことで日本農業の生き残り策にもつながる」と鈴木社長は考える。「農業が生き残るには、国民が『日本には農業が必要』と考えてくれるかどうかかにかかっている。工場が続々と海外に移転して仕事がなくなっているが、担い手不足の農業は雇用の受け皿になりえる。しかも高齢者、障害者など多様な人を雇うことができる。雇用という切り口から農業の存在意義が認識されれば、国民は今以上に農業の必要性を感じるはずだ」(鈴木社長)
 農村を取材していると、障害者を雇用している経営者に時折出会う。現在は雇用していなくとも、「いつかは雇用したい」と語る経営者もいる。人手不足を抱える農業現場、仕事を求める障害者、社会貢献をしたいと考える経営者の思いが根底にあるのだろう。
 京丸園を訪ねてみて、上記以外に「障害者を雇用することにより、生産現場にいままでなかった発想を取り入れ、農業の仕組みを変えていく」という考え方が存在することを知り、感銘を受けた。そして、「福祉の力を借りて農業をどう変えていくか」という“気づき”を、経営者側が持てるかどうかが、障害者雇用のカギを握るだろうと痛感した。この気づきを持つことで、経営体としての競争力を高め、それが安定した障害者の雇用の受け皿へとつながっていく。農業と福祉の融合を考える経営体にとって京丸園の取り組みは少なからず参考になるだろう。

1*)特例子会社:障害者の雇用に配慮し、一定の要件を満たした上で厚生労働大臣の認可を受け、障害者雇用率の算定において親会社の一事業所としてみなされる子会社

2*)法定雇用率:障害者雇用率制度に則って、すべての事業主に法定雇用率以上の割合で障害者を雇用する義務がある。民間企業の場合、1.8パーセントだが2014年4月1日より2パーセントに引き上げられる。


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