農業ジャーナリスト 青山 浩子
1979年に若手野菜農家が集まって発足した共同出荷組織「いきいき農場」は、スーパー、加工業者、生協など実需者との契約取引で経営安定を図ってきた。2000年より、地元のJA新いわてを経由した上での契約取引に移行した。JAとの連携により、いきいき農場は物流コストや事務コストが削減でき、実需者からの発注の増減など変動リスクにも対応できるようになった。
JAも、いきいき農場との連携以降、組合員から「自分たちも特定のスーパーや量販店と契約取引したい」といった声が上がり、卸売市場を通じて契約取引に力をいれるようになった。いまでは契約栽培の比率が全国の7割を占めるまでになった。組合員にも波及効果が表れ、規模拡大に意欲を持つ組合員、業務加工向けに対応したり、6次産業化に取り組もうと考える組合員も現れ、産地の活性化につながった。
国内の野菜産地全体で、高齢化などの理由から大型農家への農地集約が進んでいる。生産と販売を両立してきた生産者のなかにも、いきいき農場のように地元JAと連携し、役割分担を明確にする動きが加速されることが予想される。今回紹介する連携は、大規模農家とJAの連携のモデルケースとなるだろう。
まず、岩手町の概要から紹介しよう。
同町は岩手県の中部から北部にかけて位置する町で、キャベツ、レタス、だいこんなど高原野菜の産地として知られている。特にキャベツは第2次大戦前には日本一の出荷量を誇った。現在も東北地方でトップの販売額を持ち、同町産のキャベツは「いわて春みどり」というブランドで販売されている。最近は農商工連携により、キャベツによく合うドレッシング「きゃべたりあん宣言」を商品開発し、町ぐるみで販売に力をいれている。
いきいき農場の生産品目はレタス、キャベツ、だいこん、スイートコーン、ブロッコリー、はくさい、ながいも、にんじん、にんにく、みずな、ピーマン、アスパラなど。メンバー全体の経営規模は120ヘクタールほど(ただし、全量をいきいき農場に出荷する農家と一部を出荷する農家がいる)。出荷する野菜のほぼすべてが契約取引でスーパーを中心に業務・加工業者、生協に納める。売上はおよそ3億5000万円。
岩手町では、畜産農家から排出されるふん尿を堆肥化し、耕種農家が土づくりに活用するという耕畜連携がさかんにおこなわれており、いきいき農場もこの堆肥を活用し、土づくりを重視した持続的な農業をおこなっている。2002年には全メンバーがエコファーマーの認証を取得した。代表の三浦正美氏(56)は60ヘクタールの経営規模を持つ大規模農家。いきいき農場の前身となった組織づくりからかかわり、現在は先頭にたって組織をまとめ、運営にあたっている。
「いわて春みどり」の収穫
レタスの収穫
いきいき農場の前身は、三浦代表を含む5人の野菜の農家で1979年に発足させた「岩手町農業問題研究会(以下、研究会)」である。
同町では1978年から2年間、若手の農家を対象に栽培技術、経営など農家が必要とするテーマをとりあげる勉強会「営農学園」が開催された。研究会は、営農学園の卒業生のうち野菜生産に携わる5人が、「定期的な情報交換をしよう」と立ち上げたものだ。
ちょうどその頃、野菜の相場が暴落し、どの農家も採算割れに苦しんでいた。「なんとかもっといい価格で売れないものか」と話し合い、自分たちで川下の売り先を探してみようと決意した。
三浦代表らは、盛岡市にあるスーパーが共同仕入機構を作ったという情報を聞きつけ、飛び込みで営業をした。この機構はすでに県内の出荷組織と産直取引を始めていたが、三浦代表の提案に興味を示した。「ちょうど、産直相手をもっと広げたいと思っていたようでタイミングがよかった」(三浦代表)。
提案した品目はキャベツ。当時は寒玉系が圧倒的に主流だったが、三浦代表らはグリーンボールも作っており、機構に提案すると「おもしろい。グリーンボールから始めよう」と興味を持ってくれた。「若い農家が飛び込み営業に来ること自体珍しく、彼らにとっても『元気な農家がいるもんだ』と思ってくれたようだ」(三浦代表)。
当初、キャベツの生産者は3人だったが、残りのメンバーも新たに作付を始めた。機構側と取引数量を決め、メンバー同士では種日や収穫予定日の調整をおこない、リレー出荷しながら求められる数量を納める計画を作り、作付を始めた。最初の契約取引だ。
いずれの農家もそれまで卸売市場やJAに出荷しており、契約取引は初めての経験。商談、価格交渉などすべて手探りで始めていった。「最初の2~3年は、価格もシーズンを通して一本に固定するなどシンプルなスタイルにした」(三浦代表)。
なお、現在は最低保証価格を決め、市場価格にスライドさせている。スライド制に比べると一本化は生産者にリスクもあるが、「契約取引に向けたキャベツは全体の2割ほど。残りはそれまでどおり卸売市場に出していたので、固定価格によるリスクはさほど重くなかった」(三浦代表)。
生産者の皆さん
研究会発足からメンバーも増え、新規のスーパーや仲卸業者など出荷先も確実に増えていった。メンバーのうち4人が営業を担当することになり、「スーパーA社、B社は三浦代表が担当し、C社、D社は○○氏が担当」というように取引先ごとに担当を振り分けた。
始めこそ飛び込み営業をおこなったが、その後は既存の取引先からの紹介や推薦で広がっていった。安定供給のための努力、信頼関係を構築するための頻繁な情報交換など、これまでの積み重ねが相手先から評価された結果だ。
現在、いきいき農場が出荷する野菜のほぼすべてが契約取引だ。出荷先はスーパー、業務・加工業者、生協など。岩手、福島、東京、神奈川、愛知、大阪などに出荷されている。大半の相手先とは、長年にわたる取引が続いている。三浦代表は、「単に商品をやりとりする『取引』ではなく、理念や情報を共有化した上で互いの責任を果たす『取り組み』になっている」と胸を張る。
もっともここまでの道のりは決して楽ではなかった。「決められた量と質を出荷して当たり前。『今日はキャベツを出せません』というわけにいかない。これまでにはずいぶん失敗もしました。台風で収穫できないこともあれば、逆に豊作で困ることもあった」(三浦代表)。
責任ある産地として相手先の信頼を得るために、いきいき農場が取り組んできたことは次の3つだ。
ひとつは生産状況の正確な把握。最終的に求められる数量と質を納められるかどうかの判断材料になり、不足しそうな場合の対応を早めに立てる参考にもなる。天候不順が続く場合は特に気をつかうそうだ。「前日に大雨が降って畑が水に浸かった日は、1日に何回も気になる畑に行って状況を確認する。畑の隅々まで回って生育状況を見ます。入り口に立って視界に入る畑の様子を見るだけでは甘い。1畝歩いて数えるだけでも不十分。定植した人の技術や生育のばらつきを考えて3畝ほど歩いて収穫量を数える。それで1畝ごとの平均を出し、全体の収量を予測した上で、相手先に数量を報告する」(三浦代表)。
1年のなかで三浦代表がもっとも緊張するのは、お盆とお正月だという。「相手先にとっては(客の多い)かきいれ時。こういう時に予定量を出せないと農家が負うべき罪が2倍に膨らむ。ほかの時期にいくら予定通り出せても盆と正月に出せなければ評価されない」(三浦代表)。
生産状況の把握とセットで重視してきたことは相手先への綿密な情報発信。「予定量との差があればあるほど前もって情報を出す。出荷量が多ければ相手側から『それなら再来週ぐらいに特売をしましょう。量はどのぐらい?単価はどうする』と提案してくれますから」(三浦代表)。
逆に相手先からの情報にも対応する。懇意にしているバイヤーから急遽連絡があることもある。「予定していた産地から荷が出ない。何とかならないか」という連絡が、当日の仕事が終わった夕方に来ることもある。帰宅しようとしている従業員を引き止めて、「いまから300ケース収穫してほしい」と指示を出し、間に合わせることもある。三浦代表の夫人であり、ともに農場を切り盛りする三浦博子さんは、「私も最初は無理な注文はことわりたいと思ってきた。だがバイヤーとの会合に出席するようになり当事者意識が芽生え、どういう時にどうすべきかを考えるようになった」という。
いきいき農場が長年レタスを供給している大手スーパーチェーンは、シーズン始めに契約産地のレタスを食味試験し、合格ラインに達すればプライベート商品として扱い、達しなければノンブランドで販売するという厳しい基準を敷いている。だが、こういったハードルを乗り越えてきた産地への“ご褒美”として、年に一度、そのスーパーが契約している全国のレタス農家を一同に集め、交流会を開催する。「集まることで自分たち以外にどんな生産者が出しているのかもわかり、挨拶をきっかけにその農家のもとを訪ねて情報交換もできる。農家同士のネットワークを作ることは生産者にとって貴重」と三浦代表はいう。
3つめに大切にしてきたことは、お客さんのニーズを探るための活動だ。「産地で作っているだけではお客さんのニーズも拾えないし、自分たちの方向性も出てこない」とできるだけ時間を作って消費地に出向くようにしてきた。量販店と組んで、親子を生産現場に招待し、一緒に参加できる食育活動をおこなったり、首都圏の相手先スーパーに乗り込んで、店頭販売をしながら消費者のニーズを吸い上げてきた。
三浦代表(右)、長男の大樹さん(中)、博子さん(左)
これらの活動は、産直取引に重点をおいている生産者組織に共通にみられることかもしれない。ただ、いきいき農場の場合、独立した販売会社を立ち上げることなく、任意組織のまま今日にいたるまで運営してきた点が特徴だ。営業、会計、事務など役割を振り分け、営業担当は自主的に商談をおこない、どこにどれだけいくらで出すかという交渉をこなし、必要とされる数量を生産者に振り分け、出荷に関わる実務もこなした。会計担当は代金回収、生産者ごとの精算をおこなってきた。
そのわりには、いきいき農場が構成農家から徴収する手数料は売上の0.5%と極めて低い。営業や会計を担うスタッフの手当もこの手数料から捻出しており、一人年間6万円という最低限のコストで運営している。
販売専門におこなう組織を法人化してこなかった理由について、三浦代表は「もともと個別の経営の力になればと始まった組織。販売会社を立ち上げれば、会社として利益を出さなければならず、高く売れそうな相手先を探したり、生産者からの手数料も増やすなど別のスタイルにならざるを得ない。そこまでの業務をやる人間もいなかったし、われわれは生産者であって作ることに専念すべきという考えがずっとあった」と話す。
ながいもの植付け
1992年には研究会の名称を「いきいき農場」としてあらためた。そして2000年、いきいき農場と実需者の間でおこなわれてきた直接取引にJA新いわてが加わることになった。同JAは岩手県のほぼ半分をエリアとする大規模農協である。
連携の背景について三浦代表は「活動を始めてほぼ20年がたち、構成農家の多くが40代になった。地域でそれぞれ役を引き受けるなど中核的な役割を担うようになった。一方で取引も広がって当時で取扱高が1.3億円ほどになっていた。その分、代金回収や精算業務の負担が重くなった」と振り返る。実際に、取引先のある仲卸業者が経営不振に陥り、売掛金が未回収になりかけるという苦い経験も味わった。
三浦代表自身、1998年に岩手町の認定農業者になり、翌々年には同町認定農業者協議会の副会長に就任。1999年には西根町(当時。現在は八幡平市)において23ヘクタールのまとまった農地を取得し、経営規模が一気に広がった。
そうした折、いきいき農場の活動を見てきた同JAから「お互いに組めないだろうか」と提案があった。「JAから見れば、われわれは同じ出荷組織としてライバル関係にあった。しかし、われわれとしても今後の組織のあり方を考えている時だったし、JAに野菜を出荷していたこともあって、話し合いに積極的に参加した」(三浦代表)。
すんなりと結論が出たわけではなく、話し合いは1年間続いた。「JAと組むといって単に部会に入って活動するという考えはなかった。いままで築いてきたスタイルは崩したくなかった。これまでどおり、相手先と直接商談をするし、情報交換もおこなう。店頭販売にも出かけてお客さんのニーズを拾い続けたいという要望をJAに伝えた」(三浦代表)。
これに対し、JA側は当初「(いきいき農場のスタイルは)JA本来の販売スタイルと違う」と難色を示す場面もあったという。だが野菜生産部会の役員の一人の発言で流れが変わった。「三浦さんたちはすでにまとまった売上をあげている。そういう人がJAに入ってくれることに反対する理由はない。むしろ三浦さんたちのやってきたスタイルがJAの部会に刺激を与えてくれるかもしれない」といわれた。この意見にJA側も賛同し、いきいき農場とJAとの連携が決まった。
JAと連携を組む際、両者は相互の役割分担を明確にした。実需者との商談や価格交渉などはこれまで通りいきいき農場がおこない、物流と決済はJAが担当することとなった。ただしJAも極力交渉の場に同行するようになった。
野菜はJAが持つ集出荷場を経由するケースもあれば、JAとの連携が始まる前から使っていた三浦代表の自宅横の集出荷場を使うケースもある。積み込みが完了すると同JAの職員が集出荷場に駆けつけてくる。職員は現物と照らし合わせながら数量を確認し、伝票をおこし、トラックを見送った後、伝票を回収していく。生産者ごとへの入金もJAからおこなわれる。このJAの職員はいきいき農場に関する業務にほぼ専念しており、メンバーにとって心強い存在になっている。
JAのマンパワーを活用できるようになったことに加え、物流費の軽減も顕著に表れた。「いままではわれわれが独自に10トントラックをチャーターしてきた。毎回満載にできれば採算割れしないが、天候の関係で出荷量が1/3に減ってもチャーター料は変わらず、赤字になることもあった」(三浦代表)。東京、名古屋、大阪という遠隔地にも顧客を多く持ついきいき農場にとって物流費の負担は重く、課題のひとつだった。
JAと連携で取引量も拡大した。「いままで、お客さんから急な発注の追加をいわれても、われわれだけでは対応できなかった。しかし連携してからは、急な追加注文に対してもJAが集荷した一部を振り向けてもらえるようになった」(三浦代表)。
もともとのオーダーが特別栽培の野菜に限定されており、JAが集荷した野菜が慣行栽培であるため、追加に応じられない分もあるが、三浦代表は「発注の増減など変動のリスクに対応できるようになったのは確か」という。
一方、JA側にも連携によってさまざまな成果が生まれた。それまでは同じ地域にいながら“別組織”だったいきいき農場との距離が近づいたことで、組合員の多くが同農場の販売スタイルを知るようになり、「自分たちも特定のスーパーや量販店と契約取引したい」といった声が上がるようになった。それまで同JAは全農いわて経由で卸売市場に出荷するというパターンが主流で、契約取引はほとんどやってこなかったという。組合員の要望を受け、これまで付き合いのある卸売市場を通じて契約取引に力をいれるようになった。
今年2月まで同JAにて営農経済部長をつとめていた福士範美さんは「新たな売り方を確立できたという点で、三浦さんたちと連携を組んだことによる効果は大きい」と話す。現在、同JAの取扱高は野菜部門では77億円。このうち相手先を決めた契約取引が7割を占めるまでになった。
組合員にも波及効果が表れた。「自分の作った野菜がどこに行くのかがわかり、消費者がどう感じているのかという評価が直接返ってくるようになって、組合員にも張り合いが生まれた。数量や価格の見込みがたつため、規模拡大に意欲を持つ組合員、業務・加工向けに対応したり、6次産業化に取り組もうと考える組合員も現れるようになり、産地の活性化につながった」と福士さんはいう。
実需者との取引をさらに拡大していくためにいきいき農場がめざしているのは「天候に左右されようとも、最低限の反収を確保できるような生産体制をつくること」(三浦代表)だ。たとえばキャベツならば500ケースを最低出荷目標にしているが、干ばつで生育が悪かったり、病虫害発生などの理由で目標に届かないことがある。「最低反収を確保してこそ規模拡大の意味がある。どこかにムリ、ムダ、ムラがあれば規模を増やしても収益の向上にはつながらない。基本的な技術の見直しや綿密な計画策定、現場スタッフとの情報共有化など徹底することで課題を解決していきたい」(三浦代表)。
生産性をさらに高めるために、JAとの明確な役割分担はプラスに働くだろう。ただ、三浦代表はいまのままの連携が完成形と思っておらず「契約取引を担当するJAの若いスタッフが育ってきている。いずれはJAに直販部会のような組織を作るのが望ましいのではないか」という。専門の部会ができれば、他の部会と同じような活動費も出るため、顧客との会合や情報交換がさらにやりやすくなると考えている。
岩手町でも高齢化などの理由で農家戸数が減少する一方で、大型農家に農地が集約されている。これは岩手町に限ったことではない。そうなると、生産と販売を一貫しておこなってきた生産者のなかには「生産に重点を置く」と軌道修正する人が出てくるだろう。将来を見据えると、大規模農家とJAの連携はいままで以上に強まる可能性がある。
これまで、販売力を持っている生産者と地元のJAは連携する場面は、あまり多くなかった。あったとしても、数量調整のためのリスクヘッジとして生産者が農産物の一部を出荷するというケースが多い。ところが別々に話を聞くと「本当はJAの物流機能や決済機能を使いたい」という。JAも「法人の経営感覚、経営に対する意欲を組合員にも浸透させたい」という話を聞く。そういう点からも全面的に連携している「いきいき農場」と「JA新いわて」の連携は、生産者とJAの双方にとってひとつのモデルになると思う。
三浦代表は「基本的にはJAに使われるのではなく、JAのよいところを積極的に使うというスタンス」と前置きした上で、「地域農業という観点で見ると、個別の農家が奮闘するのではなく、産地としてまとまりのある取り組みにしたほうが実需者との取引、生産者同士の切磋琢磨などさまざまな面でメリットがある。そういう点でJAを通す意味は大きい」と語る。生産者、JA関係者ともに共感するところだろう。