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調査報告(野菜情報 2012年2月号)


有機野菜を起点に新たな中山間地における
ビジネスモデルを目指すビオファームまつき

三重大学大学院 生物資源学研究科
准教授 徳田 博美


【要約】

 フレンチレストランの給仕長を務めていた松木氏は、2000年秋に農業へ新規参入した。富士宮市で有機農業に取り組み、2007年には自らが栽培した野菜を総菜として加工販売するビオデリをオープンし、同時に株式会社ビオファームまつきを設立した。その後、新たな有機農業のビジネスモデル構築を考え、2009年にレストラン・ビオスをオープンし、2011年には2店目のレストランもオープンした。
 有機野菜を栽培し、それを加工販売し、またレストランで提供するというビジネスモデルを軌道に乗せているビオファームまつきの次なる目標は、第二次・第三次産業に更に踏み込み、中山間地という限られた農地で大きな利益を生み出していくことである。

1. はじめに

 ビオファームまつきは、2000年にフレンチレストランのメートル・ド・テル(給仕長)を務めていた松木一浩氏が、富士山麓の旧芝川町(現富士宮市)で新規参入して始めた有機野菜経営である。現在では、レストランとデリカテッセン(総菜店)を展開しており、自ら栽培した野菜を加工し、レストランで提供することで、付加価値を付け、事業を拡大させている。野菜農業における第6次産業化の一つのモデルである。
 有機農業というと、理念や社会運動という側面でとらえがちであるが、松木氏は有機農業をビジネス感覚でとらえており(もちろん、資源循環や環境への配慮という意識も併せ持っているが)、現在の世の中のニーズに適応した栽培方法と考え、有機野菜を生かした事業展開を遂げてきた。ビオファームまつきは、有機野菜を生かしたビジネスモデルとして、一定の到達点に達している。しかし、松木氏は現状に満足している訳ではない。これからの目標として、中山間地で有機農業の新しいビジネスモデルを作ることを掲げており、社会経済的に疲弊している中山間地域が再生していく一つの道筋を示すことを課題としている。
 本稿では、松木氏の挑戦を、ビオファームまつきの展開過程、そのビジネスモデルの特徴、今後の展望という順に述べていきたい。

2. ビオファームまつきの展開過程

 松木氏は、1962年生まれで、長崎県出身である。ホテル学校を卒業後は、一貫してホテルなどのレストランで働いてきた。1990年にはフランスにも渡り、パリのニッコー・ド・パリでの勤務経験もある。帰国後は東京都内の高級フレンチレストランで総給仕長などを務めてきた。
 それが1999年に一念発起し、有機農業の世界に飛び込むことになる。その動機は、前述のような明確な理念や目標ではなかったようである。東京都内の高級フレンチレストランで総給仕長を務めるなど、レストランサービスの世界では、自分ができることはやったという達成感と、その一方で都会のギスギスした空気に疲れたことなどがあり、別の生き方をしてみたいというような漠然とした想いからの選択であった。そこで思い描かれたのはのんびりとした田舎暮らしであり、そのための職業として農業、その中でも有機農業にたどり着いた。現在、松木氏はビジネスという意識を強く持って農業に取り組んでいるが、当初はそのような意識はあまり持っていなかった。ただし、家族を養う所得を得るために経営として成り立たせていくという意識は持っていた。
 フレンチレストランを退職後、まず栃木県にある新規参入希望者を対象とした有機農業の研修施設で1年半の研修を受けた。その後、2000年秋に現在の地で農業を始めた。長崎県生まれの松木氏が静岡県を営農の地に選んだのには、いくつかの理由があった。第一には、妻が静岡県出身であり、いくらかは土地勘があったことである。第二には、当初から生産した野菜は東京などに宅配で販売することを考えており、その場合には配送などを考慮して、東京からあまり離れていない方がよいということである。第三には、冬場を含めて、周年的に野菜が栽培できるように、積雪が少ないところということである。その上で自治体が新規参入者の受け入れに理解があり、熱心なところということで旧芝川町となった。
 農業を始めた当初の農地面積は40アールであった。農業委員会の仲介で農地を借り入れて始めた。栽培形態は、当初から有機野菜の少量多品目栽培であった。栽培形態は現在でも変わりはない。
 販売能力が拡大していくのと合わせて経営農地面積は徐々に拡大していった。農業を始めて2~3年後には周辺の農家から農地の借入・耕作を依頼されるようになった。当初は農業委員会に頼らざるを得なかった農地の確保は、数年にして農業委員会に頼らなくても、比較的容易に確保できるようになってきた。その結果、2005年頃には経営農地は3ヘクタールにまで拡大し、現在では4ヘクタールほどに達している。約10年間で4ヘクタール規模までの拡大を達成しているが、その背景には周辺の農家の高齢化などによって、農地が余っているという現実があるのであろう。なお、借地料は基本的には10アール当たり1万円である。この2年ほどは、農地面積はあまり増えていない。農地面積ではほぼ限界に達しているようにもみえるが、将来的には6ヘクタール程度までの拡大を考えている。
 栽培した野菜の販売は、当初から宅配による消費者への直接販売が主体であった。商品の形態は、定額でその時期に収穫できる野菜を混載している野菜セット形式が基本である。ターゲットとした顧客は、東京を中心とした都市住民で、インターネットや口コミなどによって顧客は増えてきた。
 就農して1年目の売上げは約250万円であった。2年目には約480万円に拡大し、農業の収入だけで何とか生活できるようになった。その後も売上げは順調に増加し、4年目には1千万円を超えた。その頃からマスコミの取材なども増えていき、松本氏は、野菜のいわゆるレシピ本を出版している。2005年には、初めて農業研修生を1人受け入れ、翌年には研修生は3人に増え、家族以外の者をスタッフに加え、家族経営からの脱皮が始まった。
 販売面で大きな転機となったのは、2007年に栽培した野菜で作った総菜を販売するビオデリを富士宮市街にオープンしたことである。ビオデリをオープンした目的は、外観などを理由として販売できない野菜を有効利用することにあった。さらに消費者の顔を見ながら販売することで、消費者のニーズをつかむこと、栽培している野菜のおいしい食べ方を提案することで、需要を増やしていくことなども狙いとしていた。それまでも収穫できる野菜が少ない時期には、野菜セットの中に加工品を加えることはあったが、ビオデリをオープンしたことで、野菜を加工し、付加価値を付けて提供するというビジネスへの発展が始まった。なお、有機野菜を利用した加工・サービス事業として、レストランではなく、デリカテッセンから始めたのは、デリカテッセンは小規模な店舗でよく、大きな初期投資を必要としないためである。大きな投資を必要とする事業から始めることは、やはりリスクが大きい。
 ビオデリのオープンと合わせて2007年5月に法人化された。株式会社ビオファームまつきが設立され、3人の社員を雇った。形式上も家族農業経営から農企業への発展を遂げた。
 その後、2009年2月にレストラン・ビオスがオープンした。レストランはビオデリとは違い、ビオファームまつきの農地のある農村地区で開いている。レストランを始めたきっかけは、新たに土地を購入したことである。この頃には、新たな有機農業のビジネスモデルを構築したいと考えるようになり、そのためには自分の土地が必要となったこと、ビオデリのキッチンが手狭なため、独立した加工所が必要となってきたことで、土地の購入を考えるようになった。たまたま周辺で1,000坪の土地が売りに出たので、そこを購入した。この1,000坪の土地を、有機農業の情報発信基地とする「ビオフィールド1000プロジェクト」(図1)が構想され、その手始めとしてレストラン・ビオスはオープンした。レストランは、デリカテッセンとは比べものにならない大きな投資が必要であり、必要とする社員数も大幅に増えた。レストラン・ビオスのオープンは、中山間地における有機農業の新たなビジネスモデルの構築に向けた本格的なスタートとなった。2011年11月には、静岡駅前に2店目のレストラン、ル・コントワール・ド・ビオスをオープンした。

図1 ビオフィールド1000プロジェクトの概念図

資料:ビオファームまつきHPより

 レストラン・ビオスのオープンによって、有機野菜の生産とそれを利用した加工・サービス事業という現在のビオファームまつきのビジネスモデルが確立した。売上高でみると、2005年には1,500万円であったのが、ビオデリがオープンした2007年には4,800万円となり、レストラン・ビオスがオープンした2010年には1.3億円にまで増加した。2010年の売上高を部門別にみると、農業生産が4千万円、総菜加工が2千万円、レストランが6千万円、その他が1千万円である。農業生産以外の部門が売り上げの大きな割合を占めている。雇用についても、2011年における雇用者数は15人であるので、2007年の3人から大幅に増えている。ビオファームまつきの発展を、売上高などからだけみるのは適切ではないであろうが、売上高だけからみても、約10年間で飛躍的な発展を遂げていることがわかる。

3. ビオファームまつきのビジネスモデル

 現在のビオファームまつきは、売上高では野菜生産部門の比率は高くはないが、ビオデリやレストラン・ビオスは自農場で栽培した野菜を原材料として成り立っており、その供給が途絶えてしまえば、成り立たなくなってしまう。したがって、現在でもビオファームまつきの経営の中心は、野菜生産であることに変わりはない。
 現在の経営耕地面積は、既述のように約4ヘクタールであるが、旧芝川町内を中心として20ヵ所以上に分散しており、1枚の畑は10~20アール程度の小区画である。そのため、機械を効率的に利用するという訳にはいかず、労働集約的な栽培が行われている。雇用者15人中5人が野菜生産担当である。

ビオファームまつきの農地

 野菜の栽培は、すべて有機栽培である。肥料は牛フン主体のたい肥を施している。就農時から一貫して輪作体系を重視して、多品目少量生産を基本としている。現在、年間60~80品目栽培している。当初は、品目ごとの栽培面積に差をつけていなかったが、現在は需要に応じて品目間の栽培面積に差が生じている。また耕地が分散しており、標高にも300~400メートル程度の差があるので、その標高差を利用することで収穫時期の分散・調整が可能となっている。
 栽培している野菜は、いわゆる定番の野菜のみでなく、多方面から情報を収集し、消費者に受け入れられそうな品目、品種には積極的に挑戦している。ちなみに、昨年12月19日に発送された野菜セットの内容をみると、①ロメインレタス、②人参、③カブ、④緑大根(淡い緑と白のきれいな大根)、⑤キタムラサキ(表皮も中身も紫色をしたジャガイモ)、⑥ターサイ、⑦ほうれん草、⑧青首大根、⑨里芋、であり、あまり見慣れない品種も含まれている。
 なお、有機栽培であるが、有機認証は取得していない。栽培した野菜は、基本的に消費者に直接販売しており、流通業者を介して販売しているものはわずかであるので、消費者に直接情報を伝えることができる。そのため、わざわざ手間とコストをかけて認証を取得する必要性が小さいためである。
 栽培した野菜は、生鮮で販売されるものと、総菜加工とレストランに仕向けられるものに分かれる。現在の販売比率は、生鮮での販売が7割、レストランなどへの仕向けが3割程度である。今後は、レストランなどへの仕向けの比重がもう少し高まっていくようである。生鮮での販売の多くは宅配による野菜セットでの販売である。価格は1セット2,310円で、年間固定している。
 宅配の発送は、毎週月・金曜日の週2回である。1回の発送数は、70~90セットである。顧客は、関東を中心に東海、関西くらいまで広がっている。野菜ボックスの販売は、定期販売契約によるものと、1回ごとの単発の注文によるものがある。以前は定期契約によるものが全体の7割程度を占めていたが、最近は単発の注文によるものが増えており、両者が半々くらいになっている。
 個人向けの野菜セットが、野菜の主要な販路であるが、それだけに拘っている訳ではない。当初から、食材にこだわりを持ったレストランなどに積極的な営業を行い、レストランも重要な販売先となっている。レストランへの販売も、野菜販売の2割程度を占めている。
 総菜加工事業を担当しているビオデリは、富士宮市の市街地にあり、農場からは車で15分ほどの距離である。地元の消費者が日常的に買いに来られる場所ということで、市街地での開店を選択した。店の広さは12坪ほどであり、イートインスペースも備えている。
 その基本的なコンセプトは、自家栽培した旬の有機野菜を生かした料理ということであるが、それ以外にも、こだわっている点として、?自家調達したもの以外でも、出来るだけ地元産の食材を利用するという地産地消へのこだわり、?料理過程などで出てきた生ゴミはたい肥化し、農地に還元するという地域循環へのこだわり、?容器などの資材も、食品由来のものや自然素材を利用し、環境負荷を抑えるという天然素材へのこだわり、?さらにコーヒー、紅茶などもフェアー・トレードのものを出来るだけ扱うというフェアー・トレードへのこだわりが挙げられている。ビオデリは、販売できない野菜の有効利用が大きな目的であるが、すでに述べたように消費者への情報発信と消費者からの情報収集も重要な役割となっている。そのため、野菜を販売するコーナーを設けたりして、ビオファームまつきの取組を広報できるようにしている。ビオデリは、基本的には地元消費者を対象としているが、東京などの遠来の顧客も少なくないようである。
 昨年末に2店目のレストランが静岡駅前にオープンしたが、現在でもレストラン事業の中心は、最初にオープンしたレストラン・ビオスであることに変わりはない。レストラン・ビオスは、ビオデリとは異なり、ビオファームまつきの農地がある農村部に立地している。JRの駅から車で15分ほどであり、交通の便は良いとは言えない。都会から離れた富士山麓のゆったりとした農村空間にあることが、立地上の売りであろう。店の構えも周辺に合わせた控え目なものであり、初来の客には少々見つけにくいかもしれない。店の大きさも、座席数26席と個室(8席)1室で、こじんまりしたものである。

レストラン・ビオスの店内
(写真提供:ビオファームまつき)

 ビオデリは主に地元消費者を対象としているのに対して、レストラン・ビオスは地元客だけでなく、県内の他市町村や東京などから車でやってくる遠来の客も主要な顧客である。全体として、県内からの来客が7割、東京など県外からが3割程度である。ビオデリは日常的な総菜の提供を狙いにしているが、レストラン・ビオスは、富士山の見える、ゆったりとした農村で、有機野菜を生かした本格的なフランス料理を楽しむという非日常的な食事サービスの提供が、基本的なコンセプトである。料理の特長は、シンプル(simple)、プリムール(primeurs=旬な)、テロワール(terroir=地元の)の3つの言葉に集約されるとしている。具体的に言えば、「私の畑と周辺の地域で取れた旬の食材を、シンプルに料理(煮る・揚げる・焼く・蒸す)した一皿」とも表現している。
 遠来の客が主体となっているため、来客は土日・祝日に多い。周辺には、富士山をはじめとして、観光地、レジャー施設も多いが、観光・レジャーのついでに寄る顧客は少なく、多くはレストラン・ビオスを目的として出かけてきた顧客のようである。このような特徴から、夜よりも昼の方が来客は多く、来客全体の7割は昼である。オープン初年の2010年はマスコミに取り上げられたこともあり、予想を上回る来客数であった。2011年は東日本大震災の影響もあり、前年ほどではなく、落ち着いてきている。

レストラン・ビオスの入り口と松木一浩氏

4. ビオファームまつきのこれからの展開方向

 ビオファームまつきは、有機野菜を栽培し、これを総菜に加工し、またレストランで提供するという有機農業の一つのビジネスモデルをほぼ完成させている。しかし、それは中山間地における有機農業の新たなビジネスモデルの構築という目標の中では、一つの通過点に過ぎない。松木氏は、現在の到達点を7合目ととらえている。残りの3合は何かと言えば、一つには現在ある事業の収益性をいっそう高め、完成度を上げていくことである。もう一つは、中山間地の有機農業を生かした新たな事業への挑戦であろう。ビオファームまつきのHPで、その事業内容をみると、①有機農産物の生産、加工、販売 、②農産加工品の企画、開発、マーケティング、③農作業の受託、農地の管理、④グリーンツーリズム、貸し農園事業 、⑤レストラン事業 、⑥農業に関するシステム開発、販売、コンサルティング、⑦企業の食育、農業や環境教育、CSR活動に関するアドバイス、⑧料理教室、講演活動、の8つが挙げられている。この中で事業として、すでに軌道に乗っているものは決して多くはない。
 今後は、農作物を栽培し、それを加工し、販売するという、いわばハード事業とともに、農作業教室や貸し農園など、農業あるいは農作業そのものを商品化していくソフト事業を展開していこうとしている。それは、中山間地の限られた農地で、いかに大きな利益を生み出していけるのかという挑戦でもある。


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