(1)栽培の歴史
泉州地域のふき栽培は、大正3年頃、貝塚市
清児の田中健一氏が大阪府中河内郡から水ぶき(注1)を導入したのが始まりと言われている。さらに昭和の初めに、水ぶきより収穫期が早く、収量も多い品種である「愛知
早生」が愛知県から導入された。
昭和15年頃には貝塚市全域に栽培が広がり、東の愛知、西の大阪貝塚と言われるほどの大産地が形成され、終戦後は泉州において広く栽培されるようになった。特に昭和30年にべと病が大発生したことによりたまねぎが大きな打撃を受けたことが重なり、ふきの栽培が急激に拡大した。
ふきは繊細で病害虫に弱いため、一年を通じて管理に気が抜けない野菜である。連作障害を防ぐための土づくりのほか、
湛水(注2)後約2カ月間の夏の太陽熱での土壌消毒、植え付ける
種茎の管理など、先人から受け継いだ生産技術に支えられた大阪泉州のふきは、市場から非常に高く評価されてきた。
地方独立行政法人大阪府立環境農林水産総合研究所(以下「おおさか環農水研」という)が開発した新品種「大阪農技育成1号」(故 横山ノック氏が大阪府知事時代に名付けた愛称:のびすぎでんねん)への更新により、単収(10アール当たりの収穫量)は全国第一位となり、「彩りがきれいで、歯触りや豊かな香りが良い」との評価はさらに高まった。
注1:別名「山蕗(やまぶき)」。地ふき、青ふき、河内ふき、京ぶきとも呼ばれ、京都や奈良を中心に栽培されている。色は淡色の緑色で茎はツルツルしていて根元が赤くなっている。自生している水ぶきは特に香りが強く感じられ、野菜としてよりも佃煮のきゃらぶきとして出回っていることが多い。
注2:圃場(ほじょう)の生育環境を整える目的で水を溜めること。
(2)管内のふき栽培
大阪泉州のふき生産出荷部会は現在10人の部会員で構成されており(表1)、年間出荷量は83トン、販売金額は2943万5000円である(令和4年度実績)。
生産者のほぼ全員がハウスでの栽培であり、大阪府下JAではトップを、全国的にも第3位を誇る。
栽培は、良い種茎を確保することが重要となるため、種茎の増殖
圃場を設けている(写真1)。おおさか環農水研からウィルスフリー苗を購入し、2年間増殖させた後、3年目に初めて栽培圃場に植え付けを行う。
7月に増殖圃場から種茎を掘り上げ、9月まで冷蔵する。冷蔵していた種茎を9月に圃場に植え付け、11月にハウスのビニール被覆を行う。収穫は12月中旬頃からの秋ふき、翌年3月からの春ふき、5月から6月上旬にかけての合計3回収穫ができる(表2、写真2)。特に春ふきは柔らかく、みずみずしく香りも色も良い。
収穫は、葉柄を傷付けたり折れたりしないよう、足元を鎌もしくは手で丁寧に刈り取る(写真3)。
収穫したふきは、屋内に持ち込み、長さや太さ、色合いで一本ずつ分別し、等級別に決められた本数の葉を束ねてラップを巻いた後(写真4、5)、箱詰めして出荷している。