(1)ASEAN地域の発展と施設園芸への期待
ASEAN諸国は、人口増加と経済成長に伴い、農業の近代化と食料安全保障の強化が急務となっている。特に都市化の進展により、安定的かつ高品質な農産物の供給が求められており、施設園芸の導入はその有力な手段とされる。国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構(以下「農研機構」という)では、スマート農業のASEAN展開に係る調査研究を、内閣府「研究開発とSociety5.0との橋渡しプログラム(BRIDGE)」の支援の下で行ってきた。本稿では、その中から主要な点を抜粋して紹介する。詳細は近日公開される報告書を参照していただきたい。
(2)環境条件と生産ポテンシャル
ASEAN地域は、熱帯から亜熱帯にかけて広がる多様な気候帯を有しており、年間を通じて高温多湿な環境が続く。これは露地栽培においては病害虫の多発や品質の不安定化を招く一方で、安定した気候は施設園芸においては環境制御による安定生産の可能性を高める要因となる。農研機構の調査では、ASEAN各国の温室内気温は年間平均で22~27度、日射量は1日当たり17~20 MJ/m²(メガジュール毎平方メートル)であった。これは日本の春から初夏に相当する環境であり、トマトやいちごなどの果菜類の栽培に適している。特に、インドネシア、マレーシア、タイ、ベトナムでは、地域によっては、複数の月で、日本の栽培適地に匹敵するような高収量が期待できる「生育収量シミュレーション」(農業情報データプラットフォームWAGRI上において農研機構から提供)の結果が得られており、施設園芸の展開において有望な地域と言える。一方で、フィリピンやカンボジアなどでは、夏季に30度を超える高温となる地域もあり、高温障害による着果不良や品質低下のリスクが存在する。これに対しては、遮熱資材の活用や強制換気、冷房設備の導入など、高温対策向けの環境制御技術の適用が求められる。これらの気温が高い地域では果実の着色不良や裂果、糖度低下などの障害が懸念される。これらのリスクを軽減するためには、以下のような技術の組み合わせが必要である。
〇遮光ネットや白色フィルムによる日射抑制
〇換気扇や開閉式天窓による通風強化
〇地中冷却やミスト冷房による温度調整
〇栽培時期の調整(高温期を避けた定植)
これらの技術は、日本国内での施設園芸で既に実績があり、現地の資材・エネルギー事情に合わせて低コスト化することで、ASEAN地域への展開が可能となる。農研機構の収量予測ツールを用いたシミュレーションでは、ASEAN各国におけるトマト・いちごの収量は、栽培開始月によって大きく変動するものの、最適月に定植した場合には日本国内の平均収量を上回るケースも確認されている。例えば、ベトナムのダラットでは、日本の高収量産地に匹敵する生産が可能である。また、インドネシアのジャカルタでは、トマトの収量が年間を通じて安定しており、複数回の作付けが可能であることから、経済性の面でも優位性がある。
各国の大まかな傾向は表1の通り。
これらの地域特性を踏まえた施設設計と栽培計画の最適化が、ASEAN地域における施設園芸の成功に不可欠である。
(3)市場性と消費者ニーズ
ASEAN地域では、経済成長と都市化の進展に伴い、農産物に対する消費者ニーズが多様化・高度化している。特に中間所得層の拡大により、安全・高品質・高付加価値な農産物への需要が高まっており、施設園芸による安定供給が注目されている。ASEAN主要国(タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピンなど)では、都市部を中心に中間所得層が急速に拡大している。中間所得層以上は、スーパーマーケットや高級青果店での購買を通じて、品質やブランドを重視する傾向がある。このような消費者層は、見た目の美しさ、糖度、農薬使用の有無、産地表示などに敏感であり、施設園芸による高品質な農産物は、彼らのニーズに合致する。ASEAN各国では、同一品目でも産地や流通経路によって価格差が大きく、特に都市部ではプレミアム価格が形成されている。このような価格差は、施設園芸による品質管理とブランド構築によって実現可能であり、現地生産による輸送コストの削減と鮮度保持も加わることで、競争力のある商品展開が可能となる。
ASEAN域内では、農産物輸出も活発化しており、特にベトナム、インドネシア、タイでは果菜類の輸出額が増加傾向にある。日本からの輸出も拡大しており、2023年にはタイ向けのいちご輸出額が前年比で約70%増加している。これは、日本産農産物の品質に対する信頼と、現地でのブランド認知が進んでいることを示している。また、ASEAN諸国では日本産品に対する「安全・安心・高品質」のイメージが強く、日本産品としてのブランド構築も可能である。
農業フィルム市場などの関連産業のデータからも、ASEAN地域の施設園芸市場は拡大傾向にある。同様に施設園芸関連資材の需要も増加している。さらに、ASEAN各国の農業政策では、スマート農業や環境制御型農業の推進が明記されている。
(4)政策支援と制度環境
ASEAN諸国では、農業の近代化と食料安全保障の強化を目的とした国家戦略が策定されており、施設園芸の導入を支援する政策が整備されつつある。特にスマート農業や環境制御型農業に対する支援制度は、技術導入の促進と事業リスクの軽減に寄与している。各国の農業政策では、施設園芸を含むスマート農業の推進が明記されている(表2)。
施設園芸関連事業に対しては、各国で以下のような税制優遇措置が講じられている。
〇法人税免除:タイでは最大5年間、マレーシアでは最大10年間の法人税免除が可能。ベトナムでは、地域によっては15年間の免除措置も存在する。
〇設備投資控除:スマート温室や環境制御装置の導入に対して、投資額の60~100%を控除対象とする制度がある。
〇輸入関税免除:農業機械・資材・ICT機器などの輸入に対して関税が免除されるケースが多く、日本からの技術導入を促進する。
これらの制度は、現地での施設園芸事業の採算性を高めるとともに、日本企業の進出を後押しする環境を提供している。
また、施設園芸においては、品種の選定と育種技術の移転が重要である。ASEAN諸国では、植物品種保護制度の整備が進んだことにより、知的財産権の保護が可能となってきている(表3)。
これらの制度に対応するためには、現地パートナーとの連携や、輸出前の検査体制の構築が重要となる。
(5)技術適応性と課題
ASEAN地域における施設園芸の展開には、日本で確立された技術をそのまま移植するのではなく、現地の気候、インフラ、人材、制度に応じた適応が不可欠である。その中でも最も重要な要素は人材育成である。施設園芸は、環境制御、栽培管理、収穫後処理など多岐にわたる技術を必要とするため、現地での技術者育成が事業の成否を左右する。単なる技術伝達ではなく、現地の気候や文化、経済条件に即した運用能力を備えた人材を育成することが求められる。日本の農業試験場や大学と連携した研修プログラム、現地語によるマニュアル整備、オンライン教材の活用は有効な手段である。また、技術移転は一度に高度なシステムを導入するのではなく、遮光や換気といった基本技術から始め、段階的に温度・湿度制御へと進めることで、現地スタッフの理解と習熟を促進できる。
初期投資コストに対する現地農家の心理的障壁も大きな課題である。多くの場合、先行投資の意味や長期的な収益性を十分に理解できていないため、導入に消極的になる傾向がある。この点においても、人材育成が重要である。経営者や技術者に対し、投資回収のシミュレーションや事業モデルの提示を通じて、設備投資が収益性向上につながることを理解させる必要がある。
インフラ面では、電力・水・通信の整備状況に地域差が大きい。都市部では比較的整っているが、農村部では電力供給が不安定であり、通信環境も限定的である。このため、太陽光発電や蓄電池を組み合わせた自立型システム、雨水貯留や自立型システムによる点滴
灌水技術、ある程度の期間オフラインでもデータ収集可能なIoTシステムの導入が現実的である。さらに、自然災害への備えも欠かせない。フィリピンやベトナムでは台風や洪水が頻発するため、耐風・耐水性を高めた施設設計が必要である。屋根形状の工夫や補強材の使用、排水性の高い基礎設計に加え、洪水リスクの高い地域では高床式構造が有効である。災害時対応マニュアルの整備と現地スタッフへの訓練も不可欠である。
経済面では、簡易型ハウスから半自動制御、フル制御型へと段階的に拡張する戦略、高付加価値品種の選定、収穫回数の最大化、都市部や輸出市場への販路拡大が収益性確保の鍵である。さらに、各国の農業支援制度や国際協力機関(JICA
(注1)、ADB
(注2)など)の補助制度を活用することで、人材育成の資金面の課題を緩和できる。
(注1)JICAは、独立行政法人国際協力機構の略称
(注2)ADBは、アジア開発銀行の略称
(6)ASEAN地域におけるデータ活用施設園芸の展開可能性まとめ
以上のようにASEAN地域における施設園芸の展開は、環境条件・市場性・政策支援の面で高い可能性を有している。特に、インドネシア、マレーシア、タイ、ベトナムなどでは、安定した気候と消費者ニーズ、制度的支援が整っており、日本の技術を活用した低コスト施設園芸システムの導入は現実的な選択肢となる。今後は、現地の課題に即した技術開発と人材育成、制度整備の支援を通じて、持続可能な農業モデルの構築を目指すべきである。