日本大学生物資源科学部食品経済学科
准教授 宮部 和幸
オランダ人、オランダ社会は変化(Change)を好む。なぜなら、ChangeはChallenge(挑戦)でもあるからである。またChangeは、まるでオランダの天気のように変化が速く、そして大胆である。
当然、青果物流通システムも変化している。とりわけ、1990年代後半からのそれは、急激なものであった。1995年当時、オランダ国内には20余りの青果物の産地卸売市場が存在した。生産者は、卸売市場に青果物を持ち込み、卸売市場では、バイヤーなどが参加するセリ取引により日々の価格が形成され、産地卸売市場は、青果物流通システムの
卸売市場が姿を消してしまった背景には、スーパーマーケットが青果物流通の主要プレーヤーとなって躍り出たことにある。それはオランダ国内だけでなく、ヨーロッパ全土において見られる変化でもあった。
本稿では、既存文献・資料や最新のデータを用いて、激変がみられる1990年代後半以降のオランダの青果物流通システムの変化について紹介する。
1990年代前半当時、オランダの青果物流通システムは、150以上の輸出業者、400の卸売業者、そして20以上の産地卸売市場で形成されていた1)。生産者は、卸売市場に青果物を出荷し、セリにより卸売業者などに販売し、それを小売業者に再販していた。
産地卸売市場は、生産者である組合員の卸売市場として各地域の農業協同組合によって、それぞれ設立・運営されていた。
1990年代の半ばまでは、産地卸売市場では、主にセリによる青果物の取引が行われ、セリは、「ダッチ・オークション(Dutch Auction)」と呼ばれる時計盤を用いたセリ下げ方式(通常のオークションとは逆に売り手が設定する価格から順番に価格を下げていき取引を行う)により行われていた。
しかし、卸売市場の取扱高は、1980年から1991年までは増加傾向にあったが、91年を頂点として減少傾向に転じることになる。これは、生産者と卸売業者(輸出業者を含む)との契約栽培の増加によって、市場離れが始まったことによる2)。
さらに、90年代後半以降になると、市場取扱高、特にセリ取引は、急速に減少していくことになる。その要因は、生産者の市場離れに加えて、大規模スーパーマーケットによる卸売市場、セリ取引離れにあった。
図1は、こうした産地卸売市場におけるセリ取引が急激に減少したことを的確に示している。同図は、オランダの代表的な品目であるきゅうり、スイートペッパー(パプリカ)、トマトの1990年からのセリ取引比率を示したものである。90年には、いずれの品目もセリ取引比率が90%を超えていたが、2000年になると、スイートペッパー(パプリカ)は40%に、きゅうり、トマトはともに20%に急激に減少する。そして2008年には、いずれの品目も5%前後にまで減少するのである。
日々価格が変動するセリ取引は、大規模スーパーマーケットの求めた「固定価格」と「長期契約」に馴染まなかったし、スーパーマーケットの価格競争力の確保、特に仕入価格を抑えることには、必ずしも有効ではなかった。
図2は、英国におけるスーパーの仕入価格とマーケットシェアの関係を示すものであるが、極めて興味深い内容である。図の横軸は、スーパーのマーケットシェアを示している。テスコ(Tesco)のシェアが最も高く、次いでサインスベリー(Sainsbury)、アスダ(Asda)などが続いている。縦軸は、トップシェアを誇るテスコの平均仕入価格を「100」とした場合の他の競合スーパーの仕入価格を示したものである。
これを見ると、英国においては、仕入価格を抑える程、マーケットシェアは高くなることが分かる。すなわち、「仕入価格」と「シェア」は相関関係にあり、価格競争は、スーパーのマーケットシェアの確保からみて重要な戦略となることがうかがえる。
1990年以降ヨーロッパでは、こうした価格戦略を進めるスーパーマーケットが勢力を拡大する一方で、商品差別化を切り札とする、いわゆる高級、品質重視のスーパーマーケットも増えてきた3)。これらのスーパーマーケットは、特別な青果物、品質を卸売市場に要求してきた。すなわち、スーパーマーケットの固有ブランドに適合する青果物が求められてきたわけである4)。
当時、オランダの産地卸売市場でセリ取引される青果物は、共通の規格が設けられ、その基準を組合員である生産者が厳守し、出荷されていた。つまり、それはどこのスーパーマーケットにおいても取り扱いやすい、すなわち、汎用性の高い青果物であった。しかし、このことが逆に固有ブランドに適合する青果物を求めているスーパーマーケットを卸売市場から遠ざけていく結果となったのである。
こうした傾向は、オランダ産トマトが国内およびヨーロッパで、その市場競争力を失っていったことに現れている。図3は、オランダとその競合国であるスペインのトマトの輸出量の推移を示したものである。1990年代後半、オランダ産トマトの評価が急速に下がって輸出量は減少し、それに代わって、スペイン産トマトが上昇してきている。厳格な基準を守り、温室で育ったトマトよりも、スペインの露地で太陽をさんさんと浴びたトマトの評価が高くなっていったのである。
つまり、産地卸売市場に出荷される生産者の青果物の市場競争力、すなわち品質競争力に大きな陰りが見え始め、生産者たちは新たな付加価値への対応に向けて挑戦していくこととなった。同時にこのことは、スーパーマーケットの差別化戦略とも密接に関連していくことになる。
ヨーロッパでは、1990年代にスーパーマーケットはチェーン化を進め、ますます市場占有率を高めていった。食品においては、英国、ドイツ、スペイン、イタリアといった西ヨーロッパの主要国のほとんどにおいて、スーパーマーケットが市場占有率を高めている5)。オランダにおいても、スーパーマーケットのシェアは拡大し、2007年には80%に達した。とりわけ大手スーパーマーケットのシェアが急速に高まっていった。
図4は、オランダにおける大手5社のシェアを示したものである。2003年にはシェアが63%に達し、2007年には66%に拡大している。中でもトップシェアのアルバート・ハイン(Albert Heijn)はそのシェアを拡大してきている。
オランダ国内のスーパーマーケットは、チェーン化を進める中で大規模な流通(物流)センターを設置し、産地卸売市場で青果物を揃えなくても、直接、生産者から流通センターに輸送する体制を整えていった。当然、流通コストの削減からいっても、それは重要な戦略となっていた。
表1は、オランダの産地卸売市場数および取扱高などの推移を示したものである。卸売市場数は、市場合併が積極的に進められた結果、1980年の55市場から90年の28市場へと減少している。90年代前半までの卸売市場は、合併によりマーケットでの地位の確保に取り組んできた。
しかし、90年代後半になると、多くの生産者は、市場合併を良いとは思わなくなっていった。彼らの不安は、流通チャネルにおける個々の生産者の地位が弱まることにあった。その上、彼らは、協同による伝統的なマーケットシステムは、供給者とスーパーマーケットなどの大手バイヤーとの関係を複雑にするものと考えていた6)。均一な取り扱いと手数料、取引価格の開示など、卸売市場が果たしてきた機能は、製品差別化を追求する生産者にとっては逆に大きな障害ともなっていった。
また、卸売市場においては、台頭してきたスーパーマーケットのバイヤーの対応に力を注がなくてはならなかった。卸売市場は、代理店を通してバイヤーとの量と価格の交渉、相対取引が積極的に行われるようになったのである7)。
1996年には、グリーナリー(以下、「The Greenery」)のような、9つの卸売市場と数社の輸出入業者が統合・合併した「協同組合・会社(持ち株会社)組織」が誕生した。この組織は、旧来の卸売市場を運営していた協同組合が、スーパーや卸売業者に対するマーケティング機能と物流機能を強化していく中で設立されたものであった。1995年以降、多くの生産者は、これらの新しい組織に参画していった。
ここで、表1から川上である農業経営体数、栽培面積の変化を確認しておこう。生産者である野菜、果物の経営体数は、ともに大幅に、また、急速に減少している。それに対して、栽培面積は減少しているものの、経営体数に比べるとはるかに緩やかな減少であり、温室野菜の栽培面積については、ほぼ横ばいである。温室野菜の経営体数は激減しているわけだから、厳しい市場競争の下で、規模拡大によって生き残りをかけていることが確認できる。ただし、スーパーマーケットもチェーン化を展開する中で規模拡大を図ってきており、生産者の規模が拡大したとはいえ、一生産者単位でみれば、スーパーなどと対等に取引できる規模ではない。
そこで、生産者は、旧来の産地卸売市場の協同組合に参加・出荷することに代わって、彼ら独自の生産物を販売する「生産者組織」を形成することになった。こうして1990年代後半以降、多くの「生産者組織」が形成されていった。
図5は、こうしたオランダの青果物流通システムの移行を示したものである。1990年代前半までは、協同組合で運営される産地卸売市場を要として生産者は出荷していた。
しかし現在では、卸売市場が実質的に姿を消し、多くの生産者は「生産者組織」を形成し、その「生産者組織」を通して、直接、卸売業者に販売したり、あるいはThe Greeneryのような「協同組合・会社組織」に出荷し、卸売業者や小売業者に販売される青果物流通システムに移行したのである。
表2は、青果物流通システムの新しい要となった主な「協同組合・会社組織」の取扱高と組合員数の推移を示したものである。伝統的な産地卸売市場を起源とするのが、The Greeneryとゾン(以下、「Veiling Zon」)である。The Greeneryは、年間取扱高14億1千万ユーロ(約1,860億円)、組合員数は1,250名とオランダで最も大きな青果物流通の担い手である。Veiling Zonは、同2億3千万ユーロ(約304億円)、組合員は464名である。ともに取扱高は伸び悩んでおり、組合員数は一環して減少してきている。これらに対して、新たに組織化された新しい「生産者組織」(表2のFresQ、BGB、VDT)はいずれも取扱高を増大してきており、組合員数の大幅な減少はみられない。
オランダは、「ヨーロッパの野菜畑」と呼ばれるように、園芸農業を発展させ、ヨーロッパ諸国に輸出する農業国づくりを進めてきた8)。そして現在でも国内生産の7割近くを輸出している。
表3は、オランダにおける野菜の輸出先国別の輸出高を示したものである。最大の輸出先国は隣国のドイツで、全体の4割近くを占め、次いで英国が続いている。輸出高は年々増加してきており、特にEU圏内を中心として、輸出先国が増えてきていることも注目される。オランダでは、高度な栽培技術と経営管理のもとで青果物が生産されており、特に輸出用青果物は一級品に限定するなど、徹底した輸出戦略がとられてきた9)。
図6は、2007年におけるオランダの青果物の流通経路を示したものである。国内生産量439万トンのうち、ほぼ7割の297万トンが輸出に向けられ、国内消費量は92万トン、残りの50万トンが食品加工業に流れる。注目すべきは輸入量であり、国内生産よりも多い445万トンに上る。輸入したものを再び輸出する再輸出量は323万トン、輸入量の7割を超えている。
川中である青果物の卸売業は、先述のように1990年代後半から大きく変化した。野菜に関していえば、現在、卸売業者、輸出業者、輸入業者、包装業者は合わせて約800の業者を数えており10)、彼らがオランダの野菜流通の品揃えと卸売機能を担っている。その中でも中心的な担い手が、先にみた伝統的な産地卸売市場を起源とするThe Greeneryなどである。卸売業者は、国内野菜だけでなく、他国からの輸入野菜を積極的に取り扱い、より広い品揃えや価格形成などの年間を通じた販売を可能としている。
そして、川下の小売段階では168万トンが流通、うちスーパーマーケットが全体の8割を占めている。
以上、1990年代後半以降のオランダの青果物流通システムの変化を見てきた。
オランダの青果物流通システムは、ヨーロッパを中心とした輸出を基本として展開してきた。1990年代前半まで青果物流通システムの中心的な役割を果たしてきた産地卸売市場、特にセリ取引は、オランダ国内やヨーロッパ全域におけるスーパーマーケットの台頭によって、その役割を終えていった。
それに代わって、The Greeneryなどの新たな「協同組合・会社組織」、各種の「生産者組織」が形成され、彼らが、今まで卸売市場が担っていた青果物の品揃えや価格形成機能などを担っていくことになった。このことは、彼らが、セリ取引に比べて高い取引コストを負担していくことを意味し、同時に小売業者などとの長期継続的な取引関係の構築を不可欠なものとしたといえよう。
こうした川中の変化に対して、川上である生産者は、その数を大幅に減らした一方で、温室野菜経営体は規模拡大を図っていった。また、川下のスーパーマーケットはその市場シェアを高めるとともに、大手数社はますますそのシェアを高め、寡占化が進展した。
今後もスーパーマーケットは規模拡大を一層進め、10~15の国際的な小売業が、ヨーロッパの生鮮市場を支配することになるとさえいわれている11)。したがって、「生産者組織」などとスーパーマーケットとの取引(BtoB)をはじめ、製品差別化と製品セグメントを図ろうとする小売業との連携は増えていくことが想定される。言い換えれば、「生産者組織」などは、どのようにして小売業者との長期継続的な取引関係を確保し、発展させていくかが大きなポイントとなってくるのであろう。