日本大学生物資源科学部 講師
櫻井 研
1.はじめに
今年(2008年)2月にブルネイ国を訪問した。
正式な国名はヌガラ・ブルネイ・ダルサラーム(「平和の国ブルネイ」の意味)。「マレー主義、イスラム国教、王制国家」を国是とする。首都はバンダル・スリ・ブガワン。人口は38.3万人(2006年)で、大多数の国民は敬虔なイスラム教徒である(在ブルネイ日本国大使館「ブルネイ事情」による)。
地理的には、フィリピンとシンガポールの中間にボルネオ島があり、この島の南シナ海に面した北西部に位置する、国土の面積が三重県とほぼ同じという小国である。
ボルネオ島は世界で3番目という大きい島であるが、ブルネイ国の領地は島の100分の1ほどの広さしかない。大部分はインドネシアとマレーシアの領地となっている。島の最高峰キナバル山の標高は4101m、島全体が熱帯雨林のジャングルである。
珍しい動植物の宝庫で、オランウータンやテナガザルなどの生息地としても知られている。近年、世界自然遺産にもなっている豊かな自然を観光資源にした開発が進んでいる地域もある。
しかし、ブルネイに関しては周囲がジャングルであることを実感させない国である。面積や人口では小国なのだが、石油や天然ガスなどの豊かな資源に恵まれているため、安定した経済と高い所得水準を享受している。ロイヤルブルネイ航空を有し、世界の国々と17航路で結ばれているところにも、この国の経済力がうかがえる。
ASEAN(東南アジア諸国連合)を構成する一国でもあり、ASEAN10か国の中で際立っているのは1人当たりGDP※がシンガポールと並んでずば抜けて大きいことである。
はじめに印象を述べると、ここブルネイは、予想に反して大金持ちの産油国といったイメージは全くない。いたって平静で、アジアに特有な喧騒さは微塵もなく、中東産油国のように天高くそびえる建物もない。本当に穏やかな国柄であった。国民は所得税や消費税といった税金を払わなくていいし、教育費も医療費もタダ同然。それを経済的に支えているのが石油や天然ガスである。そして、それらの主たる販売先となっているのがわが国であって、ブルネイにとってわが国は輸出総額の3分の1を占める輸出先国第1位の重要な国なのである。
2.ブルネイ国の農業の概況
さて、本誌07年7月号で紹介したアラブ首長国連邦の農業は高温乾燥の過酷な熱帯砂漠地帯の農業であったが、ブルネイ国の農業は高温多湿の熱帯雨林の森を拓いた中で行われており、アラブ首長国連邦とは対照的な農業である。
ブルネイ国農業統計によると、ブルネイ国の総面積5,765平方kmのうち農業への開発可能な面積は7,433haとなっているが、現在の農地利用面積は2,819haである。
06年の農業総産出額は畜産物110百万ドル(ブルネイドル、1ドル=約75円)、農作物32百万ドル、農産加工品30百万ドルで、畜産部門(ブロイラー、鶏卵、酪農など)が64%と高い割合を占めている。イスラムの人々にとって主たるタンパク質源となるブロイラー産業は、10年前の生産量が6,000~7,000トン(自給率は60~70%)であったが、06年では17,886トンに増産、自給率は96%へと高まっている。また、1人当たり年間約300個を消費する鶏卵については自給率100%を達成している。
農作物の生産量はコメが約900トン、野菜9,500トン、果実3,800トン、その他の各種作物650トンなどである。国の政策としては、国内農業によって需要を充足できる持続的な体制を確立できるように努力しているところであるが、畜産部門以外では輸入に依存する割合が高い状況にある(表1参照)。
3.熱帯野菜と温帯野菜の分類について
ブルネイの野菜に関する統計は、熱帯野菜(Tropical Vegetable)と温帯野菜(Temperate Vegetable)に分類している。ブルネイ国内産は熱帯野菜、輸入野菜は熱帯野菜と温帯野菜に区分され、それぞれ主な品目は次のようなものである。
A.熱帯野菜
A-1 国内産(生産量の多い10品目)
キュウリ(Cucumber)、アブラナ(Chai Sim)、シュウロクササゲ(Long Bean)、ヨウサイ(Water Spinach)、ヒユ(Chinese Spinach)、ヘチマ(Loafah)、パクチョイ(Pak Choy)、ニガウリ(Bitter Guord)、ボトルゴード(Bottle Guord)、オクラ(Ladyユs Finger)
A-2 輸入品(輸入量の多い10品目)
インゲンマメ(French Bean)、タイトウガラシ(Thailand Chilli)、ダイコン(Radish)、ナス(Egg Plant)、カボチャ(Pumpkin)、ヤングコーン(Young Corn)、ベビーカイラン(Baby Kailan)、パキス(Pakis)、チャイニーズケール(Chinese Kale)、赤トウガラシ(Red Chilli)
B.温帯野菜(輸入量の多い10品目)
キャベツ、トマト、にんじん、カリフラワー、はくさい、ブロッコリー、レタス、ピーマン、セルリー、れんこん
(注)カッコ内の表記は表1脚注に示した資料による。なお、和名については『熱帯の野菜』(農林水産省熱帯農業研究センター、昭和55年刊)、『熱帯野菜栽培ハンドブック』(社団法人国際農林業協力協会、1993年刊)および下記『熱帯アジアの野菜』を参考に記したが、マレー語や広東語に由来する表記などわかりにくい品目があり、適宜Web情報を参照した。
上記の熱帯野菜の分類には、わが国でも広く普及している品目も含まれているが、熱帯アジアに特有の品目でわれわれにはなじみのうすいものが目につく。おそらく統計表の上位に載らない品目にこそ熱帯アジアの食文化に欠かせないものがあるかもしれない。
『熱帯アジアの野菜』の著者ウェンディ・ハットンは次のように述べている。「熱帯アジアの市場における最も印象的な光景のひとつに、ずらりと豊富に陳列された野菜が挙げられる。ベージュ、白、紫、ピンクなど、溢れんばかりに色さまざまの根菜、塊根、菜類、曲がりくねったウリ類、芳香を放つ青葉の束、火のように赤いトウガラシ類の山…市場では滅多に見ることのできないものもある。それらは川やクロン(運河)の岸辺とか、水田の傍らや森の中などで、野生のまま摘み取ってくるのである。…熱帯アジアの野菜の多くは、この地域に特有のものである」(小暮欣正訳、1998年刊)。
ブルネイの首都バンダルスリブガワン市内のキアンゲ川の川岸に早朝から店開きをするキアンゲ小売市場に行ってみると、確かに上で述べられているようなローカル色の野菜や果実、香辛料などさまざまな商品がパラソルを広げた露店に並んでいる。
4.野菜の流通と消費の変化
キアンゲ小売市場が店を閉じる夕方近くになると、別のナイトマーケットが賑わう。この市場では魚を焼く店、油で揚げる店などが並び、地元の人々は地元の食材を使った、出来立ての総菜品を買って、家に持ち帰って食べるのである。ここは、庶民の台所である。
こうした市場での買物は昔から変わらない光景ではあるが、現在は、ブルネイの消費者が一般に農産物など食料品を購入する場所はスーパーマーケットである。大型スーパーマーケットや小規模なスーパーが街中のあちこちに存在する。
特筆すべきはかつてこの国に日本の先駆的小売業・ヤオハンの店が2店舗を構えていたことである。当時のヤオハンはブルネイの消費者に近代的なワンストップ・ショッピングという新たな利便を提供しただけでなく、近代的小売業のマネジメントに携わる人材を育てる“学校”でもあった。彼らが今販売している、今回訪問したスーパーマーケットの青果売場は清潔で、品揃えもよく見事な売場であった。
その売場には、熱帯野菜や熱帯果実はもとより、世界の産地から輸入した温帯野菜や温帯果実が豊富に陳列されていた。
日本食レストランが5軒あり、スーパーマーケットでは日本の菓子類も買える。トヨタの高級車レクサスも好感度ナンバーワンだという。1人当たりGDPの高さはさまざまな場面で消費の多様化、高度化となって現われている。
野菜流通における温帯野菜(輸入野菜)の増加もその一端ではないかと思われる。輸入野菜の77.2%が温帯野菜であり、また、ブルネイ国民が消費する野菜の3分の1が今では温帯野菜という現状であり、野菜は主にマレーシアやオーストラリアから、品目によっては中国、インド、アメリカ、ニュージーランドなどからも輸入されている。
5.野菜の国内生産の振興
野菜の国内生産量は、1990年代後半では6,000~7,000トン台を推移していたが、2000年に入ってから増加傾向をたどっており、多い年には10,000トンを超えるようになった。ブルネイ農業局では、「過去10年間における農業の発展は非常に意義深い増進であった」と評価している。
野菜については、国内生産量に加えて輸入数量も2000年以降増加傾向で推移していることは図1のとおりである(直近の2006年における主な品目別国内生産量と輸入数量については表2を参照)。
ブルネイ国農業局では、野菜需要の動向に対応すべく、「市場が求める高価値の温帯野菜を屋内水耕法などハイテク耕作手法活用によって栽培する」ためのハイテク技術の普及を図る意向であるが、「低価格で屋内水耕栽培システムを調達するのは難しく、現在少数の企業家だけがこのシステムを小規模で実施している」段階であるという。
ブルネイ農業局が掲げる2006年を基準年次とする2023年目標によると、農作物全体で産出額を8倍にするという意欲的な長期見通しとなっている。今は輸入している作物も、国内生産を振興して、今後は輸出にも仕向ける計画である。野菜についても、高温多湿で雨の多い厳しい環境をコントロールする栽培技術を確立して、市場が求める高価値の野菜類の国内生産を振興することが課題となっている。