東京海洋大学
講師 櫻井 研
1.はじめに
2006年9月下旬にアラブ首長国連邦(UAE)を初めて訪問する機会に恵まれた。訪問の目的は、中央果実基金が取り組んだ「果実輸出戦略検討委員会」の委員として、近年脚光を浴びているドバイを中心にUAEに対する国産果実の輸出可能性を探るための市場調査であったが、市場特性に関わるUAEの農業事情について若干でも見聞しておきたいとの思いから、同国で過去に農業開発プロジェクトに関わった専門家のアドバイスを手がかりに僅かな時間を割いて生産流通の現状をかいま見てきたところである。
夏の盛りは過ぎていたとはいえ気温が40℃を超える暑い毎日が続く季節であった。夏季のこの日照の下ではオアシスの農業地帯でも野菜の露地栽培はない。しかし、驚いたことに、砂漠の中に忽然と現れた世界一の規模と自負する施設の中ではバラの花が咲き、キュウリやパプリカが豊かに実っていたのである。
訪問した時期がたまたま「ラマダン月」(イスラム教徒は日の出から日の入りまで断食をして過ごす月)で、官庁や農業関係者との面談は避けるべき時であるらしく、そういう面での不都合もあって、十分な情報を得ることはできなかったが、既存の文献にも学んで、この国の現状について知り得た一端を紹介することにしたい。
2.UAE農業の概要
アラブ首長国連邦(United Arab Emirates:略称“UAE”)は、アブダビ、ドバイ、シャルジャ、アジュマン、ラスアルハイマ、ウンムアルカイワイン、フジャイラの7首長国で構成されている。アラビア半島の東北部に位置し(図1)、西のカタール国境から東のオマーン国境に至るアラビア湾岸沿いが約650km、海岸より内陸部の南北100~300kmに及ぶこの国の総面積は83,600km2であるから、わが国の北海道とほぼ同じ面積である。
北海道の人口は565万人であるが、UAEの総人口はそれよりも少ない432万人(2004年)である。ところが、1960年代に最初の油田が発見されるまでは10万人程度にすぎなかった。半世紀の間に人口が40倍に膨らみ、経済的にも大きく躍進して、今では“中東の真珠”とも呼ぶべき輝く存在であることは周知のとおりである。
農業にとっては、この国の自然条件が極めて苛酷であることは昔も今も変わらない。北回帰線がこの国の中央部を横切る形の亜熱帯に属し、気候は高温多湿、降雨量は年間を通じて極めて少なく、国土の大部分は砂漠である。首都アブダビ市から内陸部を東へ120km入った所にある“オアシスの町”アルアイン(アラビア語で「泉」を意味する)はUAE最大の農業地帯であるが、この地区でも、5月から9月までの最高気温は平均でも40℃~44℃に達する猛暑であり、30℃を下回るのは12月~2月の3か月間にすぎない。
川も湖もないため、農業用水はすべて地下水に依存している。オマーンとの国境沿いに最高峰が2,500mある山脈が連なり、その山から地下のカナート(地下水路)によって水が運ばれ、何千という井戸が掘られて湧き出た水によりUAE各地でオアシスとなっている所が昔からの農業地帯である。デーツ(なつめやし)を中心にその緑陰で果樹や牧草、野菜を栽培する伝統的な農業では10万人を養うのがやっとだったが、国力の増進に伴い、アルアイン出身の連邦大統領の強い意向もあって、砂漠に植林を行い、耕地を広げるとともに、先進技術を受入れて農業生産力を高めてきたと言われる。
アブダビ首長国農業統計によると、1971年に17,477Dunum(1Dunum=10a)の同国耕地面積は2005年では438,820Dunumへと25倍となり、農場数も319から11,529へと大幅に増えている。この間、1968年にアルアインに設置された国の農業試験場が既存の農園や農法の改良、最適品種の普及等に大きな役割を果たした。76年に訪問した鳥取大学遠山氏らは「野菜園は大変よく出来ていた。周囲5~6mのデート・パーム、モクマオウ等の防風垣で囲まれ、その中に各種の野菜が栽培されている。(中略)果樹園はデート・パームとオレンジの混植を行い、果樹園の周囲はそ菜園と同様にモクマオウの防風垣で完全に囲まれている。砂漠の真中にこのような見事な農園を見ることは全くの驚きである」と記している(「アラブ首長国連邦(UAE)における沙漠の農業開発」、砂丘研究22(2)による)。
一方、先進技術による砂漠地での農業開発の試みも70年代に始まっている。まず首都アブダビから至近距離のサディアット島において、米国アリゾナ大学の指導で大型ビニールハウスが作られ、水は海水を淡水化して確保し、この施設内できゅうり、トマト、キャベツ、レタスなどの野菜類やキク、カーネーションなどの周年栽培を実証した。同じ頃、アルアインでは仏国の石油会社による大規模な農場やこれとは別の仏系農場(Al Ain Company for Production of Fresh Vegetable)が設立され、厳しい気候条件の下での野菜づくりの模範が示された。
1975年には、わが国の日本砂漠開発協会とUAE側との間で砂漠の緑化と農業開発に関する協定が取り交わされ、アルアインの砂漠に農場と研究センターを設立、ここではアスファルト・バリアー(0.3mmのアスファルト被膜を地中に敷設して、灌漑水が地下に逃げるのを防止するとともに下からの塩害を遮断する)の効果を実証する試験研究とその普及のためにわが国の専門家が貢献した。
なお、76年に訪問した遠山氏らの前記文献には、「Dubaiの北Sharjahから東に約50km入ったDhaidに小さなオアシスがあり、それを中心に農園が作られている。Sadiyat島、Al Ainに比較すると全く水準は低く、大昔さながらの農業を続けているという感じであった。同じ連邦内でもこれ程まで栽培技術が異なるものかと全く驚く」と記されているが、今回、筆者らが訪問したのはまさにこの地帯であり、ここに冒頭で述べた「世界一の規模と自負する施設」があったのである(写真1)。冬季にはこの施設の一部でいちごやいんげん豆も栽培され、いちごはヨーロッパに、いんげん豆はわが国にも輸出されている。
3.野菜生産の現状
野菜の品目別栽培面積と生産量を表1に示した。生産量の多い順ではトマト、キャベツ、かぼちゃ、たまねぎ、きゅうり、なす、カリフラワーなどが挙げられる。
野菜の自給率について、UAE農業統計では50.3%(2002年)と推計しているが、実態としてどうであろうか。FAO“Food Balance Sheet”では、UAEの野菜について、03年の国内生産量381千トン、輸入量605千トン、輸出量105千トン、国内供給量881千トンとしており、これに基づき単純に計算すると、国内供給量に占める国内生産量の割合は43.2%である。厳しい自然環境を克服して生鮮野菜を供給することは容易ではないが、昔の10万人から今の400万人に増加した消費人口に対し40~50%の供給率を確保しているとすれば、砂漠地における農業開発が驚異的な成果をあげたことを物語っている。
4.野菜の流通機構
現代UAEの流通に大きな影響力をもっているのは、第一に、ローカル市場のみでなく中近東・アフリカの一部までをターゲットに青果物を供給する卸売業者の存在であり、第二に、小売業界に台頭したスーパーマーケットの勢力である。(図3)
有力な卸売業者の特徴は、世界の野菜・果実産地を相手にネットワークを築き、<輸入→ローカル市場への卸売+再輸出>を主たる業務にしている点で、「トレーダー」と呼ぶのがふさわしいように思われる。彼らの多くは、「ドバイ野菜・果実中央市場」(写真4)を拠点に営業している。この卸売市場は2004年に移転新設された市場であり、広さ100haの敷地には卸売業者棟、小売業者棟、大型冷蔵庫、トラックターミナルなどの施設が整備されている。
小売業界も、大規模なショッピングモールや大型スーパーマーケットの開店が相次ぎ、活況を呈している。伝統なスーク(魚菜市場)も健在ではあるが、今はこの国でもスーパーマーケットの時代である。Web情報によれば、UAE国内に、アブダビ・コープ、スピニーズ、アベラ・スーパーマーケット、エミレイツ・マーケット、ユニオン・コープ、チョイトラム、ルル・スーパーマーケット、カルフールなど19社のチェーン店が多数存在するほか、街中にある24時間オープンの小型スーパーも賑わっている。フランス資本のハイパーマーケット・カルフールUAEはドバイに4店舗、アブダビに2店舗、他首長国に4店舗を構えている。
これらの売り場には輸入果実・輸入野菜が豊富に取り揃えられている。中でも(9月下旬とはいえ)目立つのは、りんごの種類の多さであった。スピニーズ・スーパーマーケットでは野菜と果実を世界の20か国から輸入しているという。
5.最後に-わが国との二国間貿易の現状
わが国にとってUAEは、サウジアラビアと並ぶ原油輸入国として、また自動車、映像機器、電機機器、一般機械類など工業製品の輸出国及び中近東、アフリカ、中央アジア市場への再輸出拠点として重要な位置づけにあることは言うまでもない。
農林水産物に関しては、2005年のUAEとわが国との貿易額は、UAEへの輸出が21億円(真珠とたばこを除く)、輸入が7.7億円となっている。
80年代に遡ってわが国の貿易統計を見ると、UAEはわが国にとってリンゴの輸出先第1位の国であった。当時、5年間という短い期間ではあったが、最大3,500トンものリンゴが輸出されていたという事実は、特筆すべきことである。円高となった1986年以降では皆無となった。
近年の特徴として、UAE向け輸出で際だって多いのが「清涼飲料水」で約15億円、全体の70%を占めており、最近5年間で2倍以上に伸びている。それがいかなるものか統計上では分かりにくいが、今回の訪問で分かったことは「オロナミンC」や「ポカリスエット」の類いであった。現地では、大きなスーパーマーケットはもちろん、街中のミニスーパーでもレジ脇の目立つ場所で販売されていた。醤油、即席麺、練り製品、乾しいたけ、緑茶などの輸出が伸びていることも特徴的である。アブダビ市のアベラ・スーパーマーケットの一角にバンコク以西で最大の品揃えと言われる日本食品の売り場がある。ドバイのスピニーズの日本食品コーナーも充実している。日本からの輸出品目の中に「冷凍えだまめ」や「冷凍そらまめ」(貿易統計では「その他の豆」、06年9.4トン)があるが、これらはスーパーの日本食品売り場で販売されている(写真5)。
一方、UAEからの輸入品については、限りある貴重な水資源を製品化したミネラルウォータ、いんげん豆(05年64トン、06年8トン)、そして菓子類、水産物、競走馬などがある。
海外の企業を誘致し国際物流を盛んにして活況を呈するドバイは、世界で最も“クール(かっこいい)”な観光地としても知られている。この土地に駐在する日本人だけでなく、裕福なムスリムも、国際ビジネスマンや世界から集まる観光客も好んで日本食を食べる時代となって、日本食ブームが起きている。電話帳によれば、日本食レストランはドバイに30軒、アブダビに5軒ある。そのうちでも最高クラスのレストランの料理長に日本の食材で何が一番欲しいかを聞いてみた。その返事は「日本野菜が欲しい、(種類は、という質問に)何でもいいから欲しい」ということだった。わが国からの輸出品目の上位に「播種用の野菜の種」が入っているのであるが、種は優れものでも日本産のように香りのあるおいしい野菜に育たないのは、あまりにも自然環境が厳しいからである。
しかし、日本の初夏の気温に近い冬季には、施設でも露地でも、いろいろな種類の野菜が収穫できる。訪問先の施設で、バラやキクの花を栽培して日本へも輸出したいと語る若い農場管理者は、農学系の出身ではなく、オーストラリアの大学院で宇宙工学を学んだ経歴の持主であった。