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ロシアにおける野菜の育種・採種・種子供給の現状

NPO法人 野菜と文化のフォーラム理事
(元農林水産省野菜試験場育種部)
芦澤 正和


 ロシアは市場経済を導入したことから新しい体制へと移行した。その中で野菜種子生産においても一部であるが国の機関から民間・私的機関へと変化している。そこで本稿では、ロシアにおける野菜の育種・採種・種子供給の現状を紹介する。

1 はじめに
 社会主義計画経済を標榜していたソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が経済的に破綻し、ソ連が崩壊、市場経済を導入して、新しいロシア(ロシア連邦共和国)が誕生した。市場経済導入の初期(1990年代前半)には新しい体制と古い体制がせめぎあい、経済的に大混乱が起こっていた。しかし、次第に落ち着きを見せ、最近では一応市場経済なるものが定着してきている。小さいとはいえ経済の一部門である種苗産業でも、混乱・その平静化・定着の過程を通ってきている。


2 育種・採種・種子供給の流れ
 ソ連時代も、現在も遺伝資源・育種素材の供給、新品種の育成(=育種)、育成品種の実用性・適応性の検定と実用化の承諾、採種の大部分、採種した種子の品質検定は国家機関によって行われている。根本的に変わったのは種子の実需者への供給で、ソ連時代の国家による一元供給は廃止され、公的機関による供給のほか、市場経済の導入とともに設立された私的機関(=種苗会社)も種苗の供給を行い、ロシアだけでなく、オランダを主とする外国の種苗会社も参入している。

(1) 遺伝資源・育種素材の供給
 遺伝資源の収集・調査・保存・供給は主として全ロシア植物生産研究所(略称「ビル」:VIR)が一元的に行っている。ビルは世界的に著名な研究所で、その初代の所長バビロフが栽培植物の起源・伝搬に関する学説を発表し、その後の科学の発展で補足はされたが大筋は現在も支持されている。かつてはアメリカとともにコレクション数で世界最高を誇ったが、近年はバビロフの偉大なる遺産に寄り掛かっているだけと酷評もされている(写真1、2)。作物の育種指導も行い、その中で野菜の育種も行っている。


写真1 全ロシア植物生産研究所
(サンクトペテルブルグ)


写真2 ビルにかかげられたバビロフのレ
リーフ、このレリーフに「ここで1921
~1940年偉大な生物科学者アカデミー
会員ニコライ・イバノビッチ・バビロフ
が働いていた」と書いてある。

(2) 育種機関
 ロシアで野菜の育種を行っているのは全ロシア野菜研究所(略称「ニイイオ」:NIIO)、全ロシア野菜育種・採種研究所(略称「ブニーソオク」:VNIISSK)の育種部、地域研究所の野菜育種研究室、野菜の種類ごとの独立育種場である。日本などでは種苗会社が独自に研究農場・育種農場を持ち、それぞれの銘柄の品種を育成・採種をしている。しかし、現在のロシアでは私的機関にはまだ育種を行う能力はないようである。

(3) 品種検定
 育成を完了した新品種の能力検定・地域適応性検定を行うのは全ロシア品種検定委員会(略称「ソルトイスプイターニエ」)と全国に張り巡らされた品種検定圃(略称「ソルトウチャーストク」)である(写真3)。通常野菜では3ヶ年の検定で、1年目の検定で良とされれば原々種採種に着手する(写真4)。2年目の検定で良とされれば原種採種にかかり(写真5)、3年目の検定で良とされれば新品種として育種成果登録簿(略称「ゴスレエエストル」:GOSREESTR)に登録され、普及に移すことが許可され、生産採種にかかる(写真6)。かつてと違い外国の品種でも申請・登録が可能である。



写真3 キャベツの品種検定
写真4 ディルの原々種採種
 
 

写真5 きゅうりの原種採種


写真6 きゅうりの生産採種

(4) 採種
 かつては野菜種子の生産は国家による一元管理で、野菜品種種子合同(略称「ソルトセムオオボシチ」、以下「SSO」と略記)が行っていた。野菜種子については生産のみならず集荷・販売を行う国家機関である。現在でも野菜の採種は全国的に張り巡らされたSSOの採種組織・採種圃場が主体となって行われているが、市場経済化とともに多数設立された民間種苗会社も参入してきており、そのシェアを伸ばしつつある。

 ただし育種までは進出しておらず、SSOも民間種苗会社も、原々種は育種機関にあおいでおり、原種もそこから供給されているところが多いが、一部には購入した原々種をもとに原種を増殖する能力をつけているところもある。育種機関は原々種・原種を販売することによりその運営経費の一部を稼いでいる。育種機関も別個に付属の採種・販売会社を設立し、種苗業を行っている。当然、いずれもその傘下に採種組織(企業・農家)を持っていることになる。

(5) 種子検定
 採種された種子はすべて国家種子検定機関の品質検定を受けて、品質の保証を受けねばならない。ソ連時代にも同様な機関があったが、野菜についてはどんな検査をしていたのか疑いたくなるようなひどい状態であった。1990年に訪ソした我が国の種苗業者グループが、当時のSSO傘下の種苗販売店に寄ってかなりの種類の野菜種子を購入した。皆に分配しようと粗末な種子袋を開けて一同が唖然、「こんな種子を売るの」、「こんな種子を買う人がいるの」という状態であった。種子は選別されてお
らず大小様々・粃だけでなく枯葉・枯枝の屑まで混じっていた。野菜については種子検査も名のみで、検査の主体は穀物が中心、それすらかなりいい加減なものであった。

(6) 実需者への供給
 かつては野菜の種子は全国に張り巡らされたSSOの組織のみを通じて供給されていた。しかしここにはサービスという観念が全く無く、前述のとおりの品質であった。1990年代後半に入って市場経済化に伴う混乱もおさまり、市場経済とはどういうものであるかということも理解されてきた。サービスらしき観念も浸透し始め、野菜種子では美しい絵袋に入った高品質の外国産のものとの競争にさらされ、SSOのみならず種苗を扱う店舗も一応綺麗になってきている。(写真7、8)。


写真7 SSOのシンボルマークが屋上にかかげられている
(かつてはこんな思考もなかった)


写真8 SSOの種子の売店
国営企業ソルトセムオオボシチ
CEMEHA(SEMENA:セメナア)=種子

 現在のロシアで野菜生産を行うのは大規模な農業組織(カンパニーと呼ぶ会社組織や、かつてのコルホーズ・ソホーズから転換した集団経営)、小規模の市民菜園・付属菜園、そして独立自営農民である。前の二つは社会主義時代から似たものがあったが、最後の独立自営農民は市場経済になって出てきたもので、市場経済化の初期にはその発展が大いに期待されたもの。少しずつ増加してきてはいるが、現在も遅々として進展していないというのが現状である。社会主義時代から同様であるが、穀物・工芸作物、飼料作物の大部分は大規模な農業組織で生産されているのに対し、ばれいしょ・野菜はその主要部分が小規模な市民菜園・付属菜園から供給されている。したがって野菜種子の供給も大規模農業組織のみでなく、(写真9)、小規模な市民菜園(写真10)・付属菜園の占める比重が極めて高い。



写真9 国営企業の畑(にんじん)
すべて機械化

写真10 市民菜園の小区画の畑
ダーチャ(別荘)奥はトイレ すべて手作り

 市民菜園は都市住民に郊外の土地を提供し、ここに別荘(ダーチャ)と呼ぶ小屋を建て週末を過ごすと共に、そこでばれいしょ・野菜・果物などを栽培して主として自家消費し、余剰なものを市場で販売するもの。1区画(一家用)の基準が600m2なので、ロシア語でそれを意味するシェスチソートクと愛称されている。実際の面積は地域・土地条件によってかなり異なり、200~2,000m2ぐらいまである。付属菜園は農業組織に属する農民・勤務員に組織から宅地の用地が貸与され、そこに住宅を建て、その周囲を菜園としたものの呼称で、かつては自留地ともいわれた。ここでもばれいしょ・野菜・果物を栽培し、自家用とするのみでなく、生産物は出荷・販売される。一家当たり平均4,000m2とかなり広く、家畜(採卵鶏、搾乳用乳牛、採毛用羊など)の飼養も行われている。前述のとおりこの市民菜園・付属菜園からの生産物がばれいしょや野菜の供給に重要な役割を果たしている(表)。したがってこれらは、野菜種子消費の一翼どころか 主体であり、これを目標とした育種・採種が行われている。

表 主要農産物の経営形態別シェア

 2005年に登録された品種が「ばれいしょと野菜誌2006-3・付録」に掲載されている。それによると農業組織(大規模生産)用としてなす、トマト、ピーマン、すいか、メロン、きゅうり、キャベツ、エンドウ、たまねぎ、にんじん、ビートの11種類・64品種があがっている。これらのなかに普通の品種のみでなく、F1(雑種第一代)も含まれており、またロシアで育成されたもののほか、外国から導入したものもかなり含まれている。

 それとは別に市民菜園・付属菜園用として45種類・135品種が登録されている。この中には大物野菜のみでなく、コリアンダー、ディル・フェンネル・チャービル・バジルのような香辛野菜、ルッコラ、ヤーコン、だいこん、ロボ、ごぼう、ハンブルグパセリー、スープセルリー、オクラなどの小物野菜や新野菜が含まれている。


3 おわりに
 ロシアの現状は野菜種子生産の育種素材、育種、採種そして諸々の検査においては国家機関の占める比重が極めて大きいが、種子供給では民間・私的機関の占める比重が漸次増大している。いずれは民間・私的機関が力を蓄え、育種・採種部門にも進出し、現在の市場経済諸国と同様にその主体となり、国家機関が行うのは遺伝資源の導入・保存、育種・採種の基礎研究、そして諸々の検査ということになろう。その日はそう遠くない将来と推定される。




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