福島大学 経済経営学類 教授 菅沼 圭輔
野菜輸出企業が直営農場を設立することは、食の安全性等のリスクを軽減する上で、ベターな仕組みであるが、まとまった耕地を確保するには政府の仲介や財政的支援が必要になる場合があるうえ、地代負担がネックになっている。
ここでは、企業が耕地を集めるときに農村の土地制度に関わる政治的・社会的リスクに直面していることを考察し、あわせて地代がどのように決まっているのかについて検討する。
1.中国の農地制度と“村の論理”
1.農地制度の特徴
中国の農地制度は実にあいまいかつ複雑である。『憲法』(第10条)と『土地管理法』(第8条)では、農村の土地は「農民の集団所有」であるとされており、集団とは集団経済組織の構成員であり、集団経済組織とは実際には、村民委員会やその下の村民小組といった自治組あるいは同じレベルで設置された経済組織(名称は「○×合作社」、協同組合の意)である。ただ、これらは『管理法』では所有者ではなく運営・管理者であるとされている(第10条)。農民は集団の下で耕地の利用権を無償で分配されて耕作しているが、そのことは2003年施行の『農村土地請負法』でも定められ、現在、農民の利用権の期限は30年間とされている。
法令では「農民の集団所有」と規定されていながら、農民一人一人は所有者ではなく利用権を保有しているに過ぎず、集団に属していることが所有者の証であるきわめて整理されていない規定しか与えられていないのである。
これは法律の欠陥であるが、1950年代から80年代初頭まで続いた人民公社時代とその後の農村改革の所産でもある。
人民公社の下でも耕地は「集団所有」であったが、計画経済体制の下で農業生産の内容は国家計画によって規制され、農作業も村を単位に設置された生産隊という管理機構の命令下で集団的に行われ、収穫物の分配も生産隊が決定していた。こうした状況の下では、農民はあらゆる権利を剥奪されていたから、農民の意識の上では耕地の所有権は国家のものと同じであった。
しかし、80年代前半に行われた農村改革では、集団所有という前提を明確に規定しなおすこと無しにそのまま維持し、その時点で村に住んでいる農民に利用権を分配して耕作の自由を与えた。多くの村では、各世帯の人口数に応じて平等に利用権を分配する方法を採用した。農民にとって自分が分配された耕地は他人に干渉されること無く耕作し、自家消費用の飯米や野菜を生産し、さらに余剰を販売して現金所得を得ることのできる重要な生活基盤であるから、利用権の分配は農民に新たな権利意識を芽生えさせた。特に利用権が平等に分配されているかどうかは重要な点である。そこで、中央政府としてはなんら指導していないにもかかわらず、少なからぬ村で人口変動に応じて3年あるいは5年おきに利用権の分配をやり直す「調整」という方法が導入されてきた。
所有に関する法的な権利関係はあいまいで、さらに利用権の分配方式については中央政府が干渉しなかったが、農民は利用権の分配が平等に行われていることを監視し、不満があれば「集団」のリーダー(村民委員会の主任、村民小組の組長といった幹部)に意見をする権利を行使しているようである。特に耕地を専業戸や企業に貸し出すことは、自分達が耕作できる耕地面積が減ることになるから、公共事業などで耕地が収用される場合と同様に農民にとっては大きな関心事である。
集団所有の耕地を貸し出す方法には二つある。一つは、農民に無償で分配していた利用権を回収して、集団が企業・専業戸に有償で利用権を移譲する方法である。この地代収入は集団の収入になるが、それを農民に分配するかどうかは個々のケースによって違う。この場合、農民は利用権を回収された耕地に対する権利を完全に失うことになる。
もう一つは、農民の利用権を維持したまま集団経済組織が仲介して企業や専業戸に貸し出す方法である。この場合、地代は農民に分配されることになる。農民は耕作する耕地を失うが、地代という収入を得ることになる。
いずれの場合であっても、農民が耕作地を失うことになるので、政府は農民の利益を保護する観点から貸し出しには慎重な立場を取ってはきた。しかし、法整備が立ち遅れていたことから、利用権の分配や外部のへの耕地貸し付けの決定や地代収入の分配方法は、村のリーダーの手腕や地方政府の指導、さらには農民と村のリーダーの力関係に依存して決まるという“村の論理”が支配する“無法”空間が創出された。
2003年に制定された『農村土地請負法』は、こうした法律の空白を農民の権利保護を強調する立場から埋めることになった。そこでは、農民の利用権の期限30年の間、農民の保有している利用権を強制的に回収することは禁じているし(第26条)、第三者に貸し出すときは村民の同意が必要であり、強制的に農民の権利を侵してはならないと定めている(第33条)。
われわれがインタビューを行った野菜輸出企業は、農民や村のリーダーから見れば“よそ者”であることを自覚し、“村の論理”や地元政府といかにして衝突せず借地関係を結ぶかに心を砕いているようであった。
2.借地契約相手の選択とその意味
筆者が調査した企業や専業戸が借地をしている相手には村民小組、村民委員会といった集団経済組織と郷・鎮政府があり、様々である。
(1)集団経済組織を窓口とするケース
陝西省のKZ社がある西安市下の農村地域では1997年からイチゴの産地として地域農業の振興を進めている。KZ社は日本向けににんじんを輸出しているが、国内向けにイチゴを自社農場で栽培し、冷凍イチゴとイチゴ果汁を輸出している。直営農場の面積は6.7haであるが、それは村民小組の運営費を確保するために農民に分配されない耕地(中国語は「機動地」)である
(2004年調査)。この地域では、耕地所有を司る集団経済組織が村民小組であることから、同社はそこと直接契約している。
中国一般で見ると、20~30戸の農家で構成される村民小組が実際の耕地所有の単位となっていても、利用権分配に関する事務機能は一つ上の村民委員会が集約して担当している場合が多いため、村民委員会と契約する場合が多い。その意味で、KZ社は制度的な所有者ではなく、実質的な所有者と契約したことになる。
他方、同じ地域にある香港企業、YT社は、香港市場をターゲットとしてイチゴ産地の育成を行っているが、ある村民小組の「機動地」1.4haの畑を借りて試験的栽培を行っている。同社は村民委員会を契約相手としているが、それは二つの理由による。一つは直営農場の管理担当者が村民委員会の主任であり、党支部の副書記であることである。共産党支部の副書記は書記に次ぐ農村地域のナンバー2である。実は借地契約の名義はYT社ではなく、この主任・副書記が専業戸として契約しているのである。つまり、借り手の代表者と貸し手の代表者が同一人物なのである。もう一つの理由は村民委員会が公的な権威のある耕地の“所有者”であると考えたからである(2004年調査)。
二つのケースから伺えるのは、企業が農村の耕地を借りる場合に、農村で実質的な権限・権力を持つ当事者に接近しようとしている点である。
(2)郷・鎮政府を窓口とするケース
このケースの多くは、地元政府が「農業構造調整」政策の一環として耕地の団地的利用を進めていたり、基盤整備事業を進めていたりしている場合である。
・浙江省・杭州市のNM社
区画整理を進めている地元の区政府の仲介により2003年に330haを、2004年には最大670haを借地することを計画していた。政府が集団から集積したのは、農民に最低限の飯米生産用耕地(「口糧田」)として分配した水田以外の耕地である(2002年調査)。
・福建省のZL社
直営農場方式と専業戸との契約方式を併用している。直営農場400haのうち30haは基盤整備事業を行った耕地で鎮政府から借りており、370haは村民委員会との契約である。二つのタイプが混在しているのは、村民委員会によって直接契約することを望む場合と、鎮政府と契約する間接的方式を望む場合との両方があるからである(2002年調査)。
他方、同社と契約栽培をしている専業戸は、地元の気象条件、土壌、水源についてよく理解しており、彼らは栽培する作物によっていつ、どこの圃場を借りるか決定しているという。専業戸は栽培している作目が決まっているいるので、連作障害を避けるため一年ごとに借りる圃場を変えているという(2002年調査)。
全体としてみると、企業は専業戸と違って“よそ者”であるから専業戸のように小回りの利く方法をとることはできないし、まとまった耕地を確保することが難しくなる。さらに、一つ一つの村民小組と交渉するのは大変労力と時間がかかる。むしろ、郷・鎮政府や村民委員会がその政治的権威・権力を背景に農民から集積してくれた耕地について借地契約を結ぶ方が容易であるため、そうしたケースがおのずと多くなっているようである。先の陝西省のKZ社が村民小組と契約したのは借地面積が小さいためであると考えられる。
最後に、地元の人間が野菜輸出企業を設立した事例を紹介しておこう。
吉林省のCR社は、スイートコーン、インゲン、なす、穀物(米、コウリャン)、豆類(緑豆、大豆、エダマメ)、花卉を栽培し、調査当時は輸出向けのスイートコーンの試験栽培を行っていた。産地のほとんどが自社直営農場であり、2002年には緑色食品の認証を受けた。2003年時点で借地は30haあり、2004年にはさらに50ha拡大する計画であった。
CR社の社長(中国語は「総経理」)は、地元の農家出身で、アパレル、標識・プレートの製造企業として起業し、「全国労働模範」となり、地元の長春市人民代表(市会議員に相当)である。つまり、野菜生産を行うCR社はグループ企業の一事業部門として位置づけられている。同社では、3つの村民委員会から耕地を借りているが、耕地を貸し付けた農民の中から希望者を雇用している。農民労働者は、グループ全体で雇用し、農閑期には他の工場で就業させている。
現地の農民は平均して1戸当り2haの耕地の利用権を分配されているので、CR社に貸し付けているのは経営耕地のすべてではない。だが、それでも耕地面積が減るので、同社に就職できることは賃金所得と地代収入の両方を得られるので大きなメリットがある。直営農場を持つ野菜輸出企業の多くは、耕地を貸した農民を農場の臨時労働者として雇用しているが、同社の特色は、耕地を貸した農民を正規職員として雇用していることである。
同社は村民委員会と個別に交渉して借地をしているが、数十haという大きな面積を借りることができるのは、第1に東北地方という人口密度の低い畑作地帯にあること、第2に同社が耕地を貸し付けた農民の就業場所というメリットを提供してくれること、第3に社長自身が地元の農民であり、市会議員という有力者であることが大きな要素であると考えられる(2003年調査)。
このように、野菜輸出企業が借地契約を結ぶ場合には、農村社会における自らの立場を前提に、必要とする面積の耕地を農民から集積できる権威と権限のある相手を選択していることが分かる。
3.借地契約と政治的リスク
すでに紹介したように「集団所有」の耕地を貸し出す方法には二つある。一つは、農民に無償で分配していた利用権を回収して、「集団」が企業・専業戸に有償で利用権を移譲する方法で、中国語では「反租倒包」と呼ばれる。もう一つは、農民の利用権を維持したまま、集団が仲介して企業や専業戸に貸し出す方法である。
『農村土地請負法』が2003年に施行されて以降、中央政府は外部の経営者に耕地を貸し出すのは、農民の耕作地を減らすことになるので慎重な態度を強調するようになった。特に二つの方法のうち前者の方法について政府は否定的である。
その理由は以下のように整理できる。まず、農民が耕作地を失うことで、仮に現在働いている工場が人員削減をしたり倒産したりした場合、農民は生計を立てる術がなくなってしまうからである。もう一つは、一般に村の幹部と農民の関係において個々の農民の方の立場が弱いので、強制的に耕地の貸し出しを承諾させられている場合があることである。
政府は、集団内部で紛争が発生したり、泣き寝入りした農民が生活の手段が無くなってしまったりするなど深刻な社会問題を引き起こすことを心配しているのである。
われわれが調査した企業や専業戸はいずれも農民の耕作地全部を借り入れているのではなく、集団内部で農民の飯米生産用の耕地を留保した残りを借りていた。しかし、こうした政治的状況の下で野菜輸出企業が借地契約を結ぶことは一種の政治的リスクを負うことになる。
『農村土地請負法』(第37条)は、耕地の貸出を禁止していないが、書面で借地契約をすること、貸し手の側の同意が必要であること、そして以下7項目の記載を義務付けている。
(1)当事者双方の姓名と住所
(2)貸借される土地の地籍、面積、等級
(3)貸付期限と開始日、終了日
(4)貸出された土地の用途
(5)当事者双方の権利と義務
(6)地代とその支払方法
(7)契約違反の場合の罰則
同法第38条では契約書は県段階以上の政府機関に申請・登録して初めて善意の第三者に対して効力を発揮すると定めている。
(1) GF社(山東省)
GF社が地元の村民委員会から借地している耕地の契約書の前文には「党委員会の野菜拡大・食糧圧縮により野菜生産を拡大するという指導と、わが村の実情に基づいて、元の請負地を回収し、あらためて野菜栽培地を分離して請負を行い、野菜地の規範化、ブロック化を実現するために、村民委員会と請負者は特にここに契約を締結する」と記載されている。つまり、農民の耕地利用権を回収して貸し出す方法を採用している。契約書では前文に続いて、法で定められた項目が7番目の契約違反の場合の罰則を除いて記載され、最後に村民委員会の公印と主任のサインと私印及びGF社の担当者のサインと私印が記されている(2004年調査)。
この契約書の問題点は二つある。一つは企業の側の公印が無い点であり、もう一つは書類が便箋に手書きされており、政府機関での登録を経ていない点である。なぜ、こうした状況が起きるのか?理由として考えられるのは、農民から耕地の利用権を回収する方式は違法ではないものの中央政府が否定的な態度を示しているため、公然とした手続を故意に避けているということである。しかし、いったん耕地の貸付に同意した農民が心変わりして異議を申し立てるなど何らかの紛争が起きた場合に、借地契約自体が無効になってしまう大きな問題点をはらんでいる。
(2) ST社(山東省)
ST社は農民の利用権を維持したまま借り入れる方法を採用し、村民委員会と借地契約書を取り交わしている。借地契約書は、ST社の顧問弁護士が原案を作成しており、その内容は法律が定めた項目すべてを網羅しており、村民委員会とST社の公印が押されることになっている。
さらに、添付書類として鎮政府の批准証書と村民大会決議書がある。中国において鎮政府または郷政府は県政府の下にある最末端の政府機関であるが、鎮政府が批准するのは、最も現場に近い『農村土地請負法』の執行機関であるからである。村民大会決議書は、借地契約が村民(戸主)全員の参加する総会で3分の2以上の同意を得て議決されたことを証明するもので、そこには戸主全員のサインが書かれる。
これを、県政府に申請して登録すれば、正式に発効するわけであるが、契約書本体には末尾に監督執行機関の押印、署名欄がある。法の第51条では耕地に関わる紛争は、まず当事者間の協議によるものとするが、次いで村民委員会や郷・鎮政府が仲裁し、最終的に司法にゆだねるとしている。そこで、契約書には最末端の行政機関として地元の鎮政府が公印と政府のトップである鎮長のサインをする欄が設けてあるのである。しかし、実際にST社の契約書では、この欄は空白になっている。その理由としてST社では鎮政府が面倒を恐れてサインしたがらないからとしていた(2005年調査)。その意味は、地元の鎮政府が契約書本体に署名すると、紛争が起きた場合に法的にも無視できなくなり、仲裁者として巻き込まれ、政治的責任を問われるということである。
こうした借地を巡る政治的リスクは、直営農場を持つ野菜輸出企業の中で強弱の差はあれ共通認識になっている。例えば、福建省のDM社は、中央政府の農地政策が変わる可能性があり不確定要因が大きく、政治的・社会的リスクが大きすぎるので、借地を進めて直営農場を大々的に拡大することに対して非常に消極的であった(2002年調査)。
2.地代の決定を巡る諸問題
1.農民の就業構造と耕地貸借の動向
では、地代の金額はどのような根拠に基づいて、どのような要因に影響されて決まっているのであろうか。
村の外部の企業や専業戸が耕地を借りるにはまず農民の側からの耕地の供給が無ければならない。一般的に言えば、農業以外の就業機会が増えれば兼業化したり離農したりする農家が増大し、その分、余った耕地が貸し出される余地が大きくなる。そして、企業や専業戸が必要とする以上の耕地が供給されれば、地代も安くなるはずである。こうした仮説に基づいて耕地の需給関係を見てみよう。
ただ、東部地域の中にも地域差があることが分かる。上海、江蘇、浙江、福建では兼業世帯が5割を超えているが、耕地を貸し出す可能性の最も高い非農業を主とする兼業世帯割合は上海で48%と5割近くに達しているが、他の三つの省では3割程度にとどまっている。さらに、山東省では兼業農家の割合は全国平均値よりも低くなっている。
このことは決して不思議なことではない。なぜなら、企業や専業戸が借地を行っているケースは各省ですべての地域で行われているわけではないし、山東省のように野菜栽培が盛んな地域は、逆に農業に専念する専業農家が多いことも十分想定できるからである。したがって、兼業化が進んでいる東部地域であっても、企業や専業戸は地方政府の支援を受けて借地が可能な地域を探索し産地を拡大することが必要になるのである。
野菜輸出企業へのインタビュー記録から、野菜産地の耕地の貸借状況について見てみよう。そこからは、耕地の需要と供給には、すでに述べた地元政府の支援のほかに、兼業化の進展状況、農民の耕作需要、さらにその背景として地域固有の事情が作用していることを見ることができる。
福建省での調査によると、同じように兼業化が進んでいても村ごとに異なる耕作習慣が借地の難易度や地代水準を決定するという。例えば、従来から男女とも耕作をする習慣のある村では、兼業化が進んで男子労働力が離農しても女性が農業にとどまって自給用の穀物を生産し続けるので、借地が難しく、地代も自ずと高くなる。また、従来から男子のみが耕作し、女性は農業を行わない習慣のある村では、兼業化が進んで男子が離農すると耕作する人がいなくなるので、借地が容易で、地代は安くなるという(福建省・ZL社による、2002年調査)。
福建省のDM社が福州市内で鎮政府の仲介で借地をして設立した農場の213haは在外華僑と血縁関係にある村にある。地元の農民は多くが華僑のつてで海外へ出稼ぎしているため、まとまった耕地が借りられたという。他方で同じ福建省でも浦県や連江県は、兼業化が進んでいるものの完全に離農する農民が少ないので大面積での集積は困難であるという(2003年調査)。筆者の調査した企業のうち、福建省の企業は借地1件当りの面積が小さいものが多い。特に浦県では、ZL社のように防風林の開墾をしないと大面積(400ha)の直営農場を設立することは難しいようである。
山東省・WS社でのインタビューによると、山東省の坊市では、土壌、水利条件の良い畑の地代は1ha当り9,000~10,500元であるが、農民自身が野菜生産を行えば1ha当り15,000~30,000元の収入が得られるので良い土地を借りることはできないという。さらに2003年から中央政府が穀物生産に対して直接支払いを始めたため、農民は価格が低迷ししかもリスクの大きい野菜を作りたがらなくなり、小麦やとうもろこしの生産意欲が強まったため借地が一層難しくなった(2005年調査)。
また、山東省・煙台市のLD社での調査によると、同社は専業戸との契約栽培地を含めて2002年には370haであったのが2004年には530haまで規模を拡大してきた。
しかし、当地は野菜生産が盛んであるため借地が年々困難になってきており、1998年には1ha当り7,500元であった地代も2004年には10,500元まで上昇してきたという。中には1ha当り30,000元の地代を要求する村もあるという。他方で、専業戸は地元の農民なので村の信用があり企業よりも地代交渉がうまくいくという。同社にとってこれ以上の地代は負担できないため、専業戸との契約栽培で規模を拡大しようとしているが、近年では専業戸でもまとまった耕地の確保が難しくなってきたという。LD社の表現では、野菜生産のための借地拡大は一巡したという状況であるという(2004年調査)。
兼業化と野菜生産の動向により地代が左右される福建省や山東省の産地と違って、大都市近郊の典型である上海市では別の状況が見られる。
上海市のJS社は1999年に地元の区政府が設立した国営企業であるが、産地との関係は極めて特異である。区内の農村は計画経済の時代から都市向けの配給用野菜を生産していたこともあり、調査を行った2002年時点で野菜販売量30万トンのうち輸出は生鮮のブロッコリーやレタスなど30%のみであり、主として上海市内向けの大口需要者相手に生鮮野菜を取引している。
同社の傘下には56の農場、1,400haがあるが、これは区政府が設立したもので、JS社との関係は契約栽培・買い取り方式になる。地元の農民はほとんど離農して農地を貸付けているため(区全体では労働人口の3分の2が工場勤務や自営業者であるという)、農場の作業者のみならず農場経営者には他の省出身者を雇用して当てている。
農場の耕地は区内の各鎮政府が直接個々の農民と借地交渉をして集積している。当地では2001年以降、水稲や裏作の菜種の価格が暴落したことによりそれまで農業に従事していた農民も離農したため、農場規模も急速に拡大した。
56ある農場のそれぞれの規模は4haから100haと幅があるが、農民から借り入れた水田を畦畔を取り払って3ha程度の区画に整備して使っている。
区政府及びJS社では、2002年から2005年までの間に、農場の総面積を2,000haに拡大し、既存の農場の統廃合により一農場30ha以上の規模に拡大しようと計画している。
しかし、現時点でなお農業に残っている農民から耕地を借り入れるのは困難であるという。その理由は以下の三つである。
第一は、現在耕作している農民は老人が多く、彼らは飯米を作るよりも“小遣い稼ぎ”のために耕作を希望しているという点である。この背景には、上海農村特有の耕地利用権の分配方式がある。本論で見てきた多くの地域では、村の中で飯米生産用の耕地を別に区分し、それ以外の部分を貸し出していたが、上海ではこのように区分せずに利用権を分配しているため、自分の耕作地を貸し出すことはイコール耕作地のすべてを失うことになってしまうのである。それゆえ、借りるのがより難しくなるのである。
第二は“転用期待”による貸し惜しみという点である。中国の土地制度では、集団所有の耕地を転用しようとする場合は、民間の用途の場合であっても、まず政府が収用して所有を国有化し、その利用権を開発業者に販売するという形態をとる。現行制度では、農民が耕地を収用される場合、政府から経済的損害に対する補償金を受け取るだけで、土地の代金を受け取るわけではない。
『土地管理法』で国家収用による補償を規定した第46条と第47条では借地を想定しておらず耕作者である農民が補償を受け取る条文になっているが、実際の制度運用として上海では農民であっても耕作していなければ補償金を受け取れず、貸付けていれば補償金は借地をしている企業や専業戸が受け取ってしまうことになっているようである。そのため、貸し惜しみが発生するのである。
第三は地代水準の問題である。当地の地代は1ha当り6,000元であったが、農民は現行の地代が安いという不満を持っているという(2002年調査)。
以上のケースから、農民の就業状況と耕作に対する需要、さらに大都市郊外では転用補償に対する期待が耕地の需給関係を規定し、それが借地の難易度ばかりでなく、地代水準にも影響していることが分かる。
2.地代決定の根拠
では、次に実際に地代がどのような根拠によって決められているのかみてみよう。この点について野菜輸出企業の調査を通じて得られた情報は極めて断片的である。
多くの企業は、当地の“相場”で契約していると認識している。ただ、中には吉林省のCG社のように、グループ本社のある上海の地代1ha当り3,750元が念頭にあって、吉林省の実際の相場が2,250元であることを知らずに15haの耕地を上海と同じ割高な地代で借りてしまって後悔している例もあった(2003年調査)。
福建省のZL社での調査によると、福州市での地代水準は1ha当り9,000~12,000元であるが、それは土地条件、排水・灌漑条件、交通条件(道路)、地形(平坦地か否か)によって異なり、水田稲作の年間収入3,000元に対して3倍から4倍の水準になっているという。
陝西省のYT社が借りている畑の地代は1ha当り7,500元であるが、その地代はとうもろこし・冬小麦二作の収入4,500元と「農業税」225元プラスアルファであるという(2004年調査)。
前出の吉林省・CG社によると、現地の地代の相場は1ha当り4,000元であるが、これは年一作のとうもろこしの収入3,000元との比較で決まるという(2003年調査)。
以上のケースから分かるのは、地代水準は田畑を貸し出すことで農民が得られなくなった農業所得を基準としているのであるが、それと同額で決まるのではなくそれ以上の金額で決まっているということである。ここで問題になるのは、何ゆえ農民の農業所得以上の金額で決まるのか。高い部分は何を意味しているのか。という点である。
筆者の行った調査を通じてこのことに対する明確な答えを得るにいたっていないが次の三つの点を指摘しておきたい。
(1)農民と企業の間の貸借を仲介する集団のリーダーなどの中間マージンの存在
中国のある論文では、農民が個人的関係を通じて貸し出す場合には当事者の合意に基づいて無償で貸し出されることが多いが、集団が村内の耕地をまとめて外部の経営者に貸し出そうとするのは集団のリーダーが地代の一部を中間マージンとして控除してしまい農民に全額は分配しなかったり、こうしたマージン収入を見込んで個々の農民の意思を無視して強制的に耕地を集積したりする現象が発生することがあると指摘している。つまり、この中間マージンが地代を押し上げているというのである(李海偉「両種類型的農地使用権流転分析」『現代経済探討』2005年3号、36~40ページ)。
(2)貸し手となる農民が飯米あるいは
飯米相当額を求める要因の存在
筆者が調査した、農民の個人的関係を通じた地代の決まり方について紹介する。
筆者らが2002年に貴州省・貴定県で行った調査では、一部の農民が親戚や知人に農地の一部を貸すケースに出会ったが、期限を明確に定めない口頭での契約が一般的である。地代は無償になるケースもあるが、相手が親戚であっても有償になる場合もある。
ある理髪店を営む農民が知人に約20aの水田を1ha当り5,750kgの籾で、別の約7aを1ha当り6,750kgで貸し付けたケースと、雑貨屋経営の農民が,22aの水田を親戚に1ha当り4,490kgの籾で貸し付けたケースが見られた。調査対象農家92世帯の1ha当り水稲平均収穫量は5,998kgであるが、それと比較すると水田を借りた農民には全くメリットが無いことになってしまう。
だが、この地域では水稲は二期作が可能であるし、さらに裏作で野菜を作ることができるので、一年間のことを考えれば借り手には利益があることになるし、農業税の負担も両者で折半になっているという。
このケースでは、まず貸し手側に稲作一回分の収穫物を飯米として支払うことを前提に地代が決められていると思われる。ちなみに、調査地の一部の村民小組では、離村した農民から回収した利用権を「集団」が主催して入札を行い、村内の農民に分配しているが、その地代は1ha当り1,200元から1,350元と低い金額でコントロールされている(菅沼圭輔「〈農業の産業化〉と土地利用再編」、田島俊雄編著『構造調整下の中国農村経済』東京大学出版会,
2005年,57~89ページ)。その理由として考えられるのは「集団」という組織自体は飯米を必要としていないことと、村民という部内者へのサービス的な意図の存在である。
(3)貸し手の農民が従事する非農業部門の所得が不安定であるため、借り手の企業と同じ野菜を作った場合の労働費込みの収益を要求するという要因の存在
表2に示した2002年に実施された各種生産費調査のデータを比較して検討する。
以上のことはいずれも調査によって得た情報ではなく、間接的情報や仮説に基づくものであることから、本稿で取り上げた個々の企業が実際に払っている地代がどのように決まっているかを直接示すものではない。しかし、後の二つの点に見たように、地代の決定には、農民が耕地を手放すことによって生じる生活・労働の不安定を埋め合わすような要因が作用しているものと筆者は考えている。
3.耕地貸借市場システム整備の課題
これまでの分析を通じて、野菜輸出企業やそこと契約している専業戸が残留農薬問題を解決するために借地を進めている裏側には中国農村の様々な事情が存在していることが分かった。しかし、同時に、農民以外の者が耕地を借りる上で多くの障害が存在していることも明らかになった。
それらの障害は、中国の農村に耕地貸借市場システムがいまだ整備されていないことを表している。
ここで言う耕地貸借市場システムとは、耕地を貸したい農民、借りたい農民・企業・専業戸が、適正な手数料負担で、自由に取引に参加し、借り手や貸し手に関する十分な情報を収集でき、透明性を持った公正な取引が実現できる、そして合理的な水準の地代が形成されるの仕組みという意味である。
その点から見た問題の一つ目は、農地を貸し出す際に農民が求める地代水準が、それまでの農業生産で得られた純収益にとどまらず、それを上回る飯米需要まで含んでいるという点である。理論的に言えば、耕地を貸し出す農民は、農業以外の仕事で所得を得ているのであるから、農業以外の仕事で得た所得で穀物を購入するなどして生計を立てるべきである。しかし、現状では、農業以外の収入が安定していないこと、農村で穀物を購入する習慣が定着していないなどの状況があり、地代を高くしているのである。ただ、こうした状況が変わるにはまだ一定の時間が必要であろう。
二つ目は、耕地を貸し出す場合に「集団」のリーダーが中間マージンを取得するという問題点である。筆者の調査では中間マージンの存在は確認できなかったが、これは農民の側から見ると、中間搾取があるということになる。だが、筆者は「集団」のリーダーが耕地の貸し借りを仲介する手数料として正当な所得として認める必要があるのではないかと考える。もちろん、農民の意思を無視して貸付を進めたり、無断で農民の取り分をかすめとったりすることは禁止するべきであろう。
「集団」のリーダーは企業や郷・鎮政府の要請を受けて農民の同意を取り付け、交渉相手となり、契約当事者となる役割を果たしており、企業・専業戸などの借り手から見れば、一戸一戸の農民を訪問して交渉するコストを節約する意味があるからである。そこで透明性を高めるために、「集団」のリーダーが地代の一部を引き抜くのではなく、企業・専業戸は地代とは別に「集団」のリーダーに一定額の手数料を支払う仕組みにするべきである。
三つ目は、農民や企業・専業戸に借地交渉の過程や、各地の地代相場を公開するような情報システムが必要であるという点である。先に吉林省のCG社が、当地の相場を知らなかったために割高な水準で契約してしまったケースを紹介した。こうした現地の情報を公表することは、貸し手の利益を減らすのではなく、メリットになると考える。
四つ目は、政府が『農村土地請負法』の施行に当たって、「集団」単位の貸し付けに否定的な態度を示すことの問題点である。これまで紹介した借地契約の事例では、農民から利用権を回収する山東省・GF社のケースで企業がアンダーグラウンドの契約を結んでいたり、同省・ST社の借地契約で地元政府が関与を忌避したりする状況があった。こうした事態は地方が中央政府の意思を考慮した結果であるが、逆に借地契約自体を危ういものにしてしまっている。むしろ、地元政府が積極的に関わって耕地の貸付に関わる農民の合意形成や企業との交渉を支援するべきではあるまいか。そうすることが真の農民の権利の保護に結びつくし、市場システムの発展に寄与できると考える。
五つ目は、法に定められた農民の所有権や村民委員会や村民小組の農地の管理者としての権限を具体化する仕組みが欠如している点である。集団が行う村内での耕地利用権の分配は農民の生活基盤を分配する平等原理が支配する分野で、これまでも広く存在した。他方で、離農者の耕作地を集積して耕地を外部に貸し付けるというのは市場経済の原理が支配する領域であるが、この点について集団が村民の共有財産たる耕地を運用する機能は規範化されてこなかった。そのため、現状ではこの部分がケース・バイ・ケースで曖昧に処理されているため上記のような様々な問題も発生するのである。そして耕地の貸し借りの社会的ルールが確立していないため、中央政府が危惧するような様々な紛争が発生するのである。
法整備の問題点としていえば、現行の『農村土地請負法』はあくまでも集団が農民に利用権を分配しているという既成事実を前提としているに過ぎないのであるから、農民や集団経済組織の権限や役割を定義した“農地法”の制定が課題となっているのである。
(補論)「農業の産業化」と安全性確保のネットワーク
本文でも指摘したように、『農業白書』に込められている中国農政当局の食の安全性に関する考え方の中には、無公害野菜の普及に代表されるような社会的規範の確立と、有機栽培のような高い付加価値を実現する「農業の産業化」とが区分されていないため、営利企業に過度に期待し、政府はその基準作りと業界指導に徹するシステムを一足飛びに実現しようとしているように感じる。
次に紹介する論文もこうした混乱した認識を体現している。その論文では、市場ニーズに適応できる高品質の生鮮・加工農産物を供給する農業生産体制の構築を意味する「農業産業化」の事例の50%近くが流通・加工企業が産地と契約して技術指導を行い、収穫物を買い取るタイプであるという。しかし、企業が産地の発展を牽引するこのタイプについて6つの問題点を指摘している。
(1)資金的・技術的制約により純粋な民間企業は多くなく、地元政府が企業を設立・育成するケースが多い。そのため、政府担当者の主観によって必ずしも競争力のある業種が選択されるわけではなく、融資面でも優遇されるため企業経営・財務管理がルーズになりやすい。
(2)企業が管理・指導できる産地の規模は限られているのに対して、農業生産者である農家の数は極めて多く、産地全体の発展を育成・牽引する力が弱い。
(3)企業が農民をコントロールするのは難しく、そのため栽培契約を締結してもその実行率は20%程度しかないこと。つまり、農民が技術指導の受け入れや収穫物の売り渡しの面で契約を履行しないケースが多いのである。
(4)地元政府は、当該企業と企業が指導する特定の産地の育成のみに注意を払い、関連産業の振興やインフラの整備、さらに技術普及組織の整備が軽視されている。
(5)地方政府が市場動向を調査することなく、主観的に支援する品目や作物を決定し、普及することから、結果的に販売できずに産地過剰をもたらしてしまう。
(6)企業と契約する農民は、契約相手が一つしかないため従属的な地位しか得られず、契約の条件(例えば、買い取り価格)の決定においても不利益をこうむっている。
これらの指摘は本稿で分析してきた野菜輸出企業の例にも当てはまる部分があり、農村で一般的に見られる問題点をほぼもれなく列挙している点で重要な現状批判である。しかし、この論文の筆者は、これらの問題点を克服するためには、政府が介入して特定の企業が特定の産地だけと閉鎖的に結びつく単一の体制を作るのではなく、一つの産地で流通・加工企業が複数並存し、場合によっては流通と加工それぞれに専門化した企業が複数存在して競争しつつ産地を育成し、生産者である農民も複数の取引相手を選択できることで企業と対等な地位を築けるような開放的な体制を育成することが、産地内の技術水準の向上と標準化と市場競争力のある産地の育成にとって有利であると提起している(鄭風田、程郁(中国人民大学)「従農業産業化到農業産業区―競争型農業産業化発展的可行性分析」『管理世界』(国務院発展研究中心編)2005年、第7号、64~73ページ)。
こうした議論は一つの理想論ではあるが、これまで本文で指摘してきた現状に対する認識がそっくり抜け落ちている。特定の企業が特定の産地と結びつくことの問題点は確かの指摘のとおりであるかもしれないが、野菜輸出企業が特定の産地と結びつく閉鎖的な体制を作っているのは、不特定の産地、農民と契約を結ぶことが、品質、必要数量の確保、安全性確保の面でリスクが大きいからであり、言い換えれば既存の公的な普及組織が果たすべき役割を果たしていないからである。
ここからも、あらためて公的な機関あるいはルールによる、産地の支援・育成が必要であることが言えるし、このことは企業が産地開発を進める上での基盤を準備する上でも必要なのである。