福島大学 経済経営学類 教授 菅沼 圭輔
1.はじめに
2.残留農薬問題の発生と政府の対応
1.野菜生産の発展と輸出増大の経緯
2.残留農薬問題の発生と政府・産地の対応
3.輸出向け野菜産地における企業の対応と問題点
4.野菜調達方式の相互比較と野菜調達の課題
(補論1)耕地の貸借市場と問題点
(補論2)「農業の産業化」と安全性確保のネットワーク
1.はじめに
2002年に中国から輸入された冷凍ほうれんそうからわが国の基準を上回った農薬が検出されたことを機に、輸入野菜の安全性に対する不安感が高まった。筆者の地元のスーパーでも、中国産のごぼう、たまねぎ、にんにく、いんげん、絹さやなどの生鮮品が安い価格で並んでいるものの、担当者に聞くと売れ行きはかんばしくないという。また、近年においても残留農薬の検出された中国産野菜があるとも聞く。
国内市場において熾烈な競争に直面しているわが国の外食産業、食品メーカーが価格、品質、供給量の安定した輸入野菜に依存せざるを得ない今日、中国から野菜を輸入する商社、メーカーも手をこまねいているわけではない。
では、中国側の輸出会社は日本側のユーザーと連携して残留農薬問題の発生防止にどのように取り組んでいるのであろうか。
本稿では、筆者が2002年以降に行った企業調査の結果を利用して中国国内における取り組みについてケース・スタディを行い、そのバック・グラウンドとなる農村の事情に迫り、日中間の野菜貿易の背景に横たわる問題と課題の一端を明らかにしたい。
本稿は食品の安全性などの用語を頻繁に使うが、この言葉は一般市民、消費者と農業・食品関係者でも、また人によって様々なイメージを抱かせる。だが本稿で使用する場合は、中国あるいは日本が定めた食品や農薬使用に関する基準を満たすことであることを予め断っておきたい。また、品質という用語は輸入業者が求める規格などを指す。
なお、本稿においては、1月号で残留農薬問題の発生と政府の対応を、2月号で輸出向け野菜産地における企業の対応と問題点と野菜調達方式の相互比較と野菜調達の課題を、3月号で耕地の貸借市場と問題点、「農業の産業化」と安全性確保のネットワークと3回に分けて連載することにする。
2.残留農薬問題の発生と政府の対応
1.野菜生産の発展と輸出増大の経緯
(1) 改革開放後の農業・農村政策の転換
中国では小平氏が政治的主導権を確立した1978年が「改革開放元年」とされているが、その改革でまず着手されたのが農村改革である。その後の中国農政の特徴は次の2点に要約できる。
(1)農業の「産業化」への転換
一つ目は、農産物流通の自由化の進展および増産から農業構造調整・「産業化」への転換である。野菜、果物、食肉、水産物の流通は1985年以降、主食である穀物などは1993年以降、それまでの政府統制が徐々に廃止された。その背景には80年代以降の増産のおかげで食糧不足が解決され、さらに所得が増大したことで90年代に入ってから都市消費者の志向も「量より質」へと変化してきた事情がある。
そこで、中国の農政も90年代後半になって流通統制を前提とした増産と安定供給を追求する方針から消費需要に適合した農業構造の調整を強調する方向に転換した。穀物の流通統制の廃止は、農民の土地利用の自由化を意味し、政府も穀物中心の土地利用構造を他の作物や果樹などに転換することを奨励し、さらに産地に加工業を育成するなど付加価値を高めることを「農業の産業化」と称して推奨するようになった。
(2)都市と農村の格差の解消
二つ目は、農村工業化等を通じて農民の所得を増やし、都市と農村の格差・「過剰就業人口」問題を解消する方向である。80年代以降には「一人っ子」政策が強化されたものの、人口は依然として増えている。逆に耕地資源の拡大がほとんど見込まれないため、農業だけでは所得増大が見込めない状況の下で、政府はこうした農村の「過剰就業人口」に新たな就業機会を与えて、耕地に制約されない他の産業に就業させる方向を追求してきた。 この点で、80年代には、農民が運輸業、商業、建設業など農村で自営業を展開すること、「郷鎮企業(ごうちん・きぎょう)」と呼ばれる農村工業を技術面や資金面で支援して育成することなどが目玉とされた。90年代以降もこの方向は引き続き強調されて、加えて農村労働力を地方の小都市へ誘導する施策も進められている。90年代後半からは山間僻地に居住する貧困農民の支援対策である「貧困解消プロジェクト」にも着手された。
(2) 改革開放後の野菜生産と流通システムの発展
(1)野菜作付面積の増大
改革開放後の野菜生産の発展も、こうした農政の流れと共にあった。表1に示した農作物の作付面積の動向に見るように、2003年までの10年間に作付面積は全体としてほとんど増えなかったが、穀物を中心とする食糧作物の作付面積が漸減し、一方で野菜の作付面積は茶園・果樹園面積とともに順調に増大した。野菜の作付面積が全体に占める割合も、1990年には4.3%に過ぎなかったが、2003年には11.8%に増大した。
計画経済の時代には、野菜生産は都市の近郊など特定の地域に割り当てられ、他の地域は農民の自給用野菜の栽培を除くと穀物生産が強制され、野菜の省を超えた広域流通もほとんど無かった。80年代後半に野菜の流通統制が後退したことは、穀物の供出制度が緩和されることとあいまって、農民が耕地を自由に利用する余地を徐々に拡大していった。また都市住民の所得が増えたことで、都市市場に向けた野菜の市場取引活動を活発化させた。かくして、野菜生産が農民の所得増大を図る一つの道となったのである。
(3) 国内向け産地を土台とした輸出産地システムの発展
(1)独自の野菜供給ネットワークの構築
他方で、輸出向け野菜産地は、表2に見るように国内向け産地の展開を土台として展開している。野菜輸出の担い手は外資企業や外資系の合弁企業もあるが、中国国内資本が主流である。また、これらの野菜輸出企業には、海外市場の多様なニーズを見込んで、単に地元の産地で生産された野菜を輸出するだけではなく、全国各地で産地を開拓し、独自のネットワークを構築しているものも少なくない。
例えば、山東省・煙台市にあるLD社は、同社の資料によると45種類もの野菜の生鮮・冷蔵品、冷凍品及び加工品を扱っているが、こうした多様な需要に対応して、省内では葉ものを調達しているが、キャベツ、ごぼう、にんじんは浙江省、内蒙古、湖北省・武漢市から、れんこんは江蘇省・宝応市から調達している(2004年調査)。
また、江蘇省北部にあるHF社は、主にごぼう、たまねぎなどを輸出しているが、ごぼうを江蘇省北部、山東省、北京市、湖北省、雲南省という広範囲にわたる地域から調達することで、一年のうち1月から3月を除くほとんどの時期に安定的にごぼうを供給できる体制をつくっている(2005年)。
同じく、山東省・坊市にあるST社は、キムチ用白菜や浅漬け用大根を扱っているが、はくさいは河北省、山東省のほかに冬場は福建省から調達することで、原料の周年調達を確保している(2004年調査)。
(2)広域的な野菜供給ネットワークの課題
野菜輸出企業が作る広域的な野菜供給ネットワークは、各社が抱える様々な事情を反映している。
例えば、次の2社の状況はまとまった圃場の確保に苦心しているという事情を反映している。
浙江省北部にあるHT社は、浙江省内の9ヵ所の直営農場や契約農場でほうれんそう、いんげん、ブロッコリーをはじめ葉もの野菜を調達しているが、そのほかに安徽省にさつまいも産地、山東省ににんじん産地、遼寧省にかんぴょう産地、福建省にたけのこ、干しいたけ産地、甘粛省にたまねぎ産地を持っている。浙江省以外の産地はいずれもそれぞれの野菜の栽培に適した産地として選ばれたものである。だが、浙江省内に9つもの産地があるのは、輸出需要に見合っただけの団地的栽培が行える産地を本社周辺では確保できないという事情があるためである(2003年調査)。しかし、こうした産地の分散は、近年のように原油高によって輸送コストが上昇する状況においては、見直しを迫られるかもしれない。
福建省・州市のDL社は、長ねぎ、にんじん、たまねぎ等の生鮮品を中心に輸出しているが、その産地はすべて一つの県にある。しかし、一つの場所に必要な栽培圃場を確保することが困難であることから、栽培圃場がある場所の加工処理場に加えて、他の数箇所に栽培地を開拓すると同時に新たに加工場を1ヶ所ずつ建設し、収穫期における産地内での物流の効率化を図ろうとしている(2003年調査)。
また、中国特有の行政的体質が、企業の正常なシステムの体系をゆがめているケースもある。
前出の山東省・ST社は、山東省内の5つの地域でだいこんやはくさいを調達し、生鮮品・冷蔵品として輸出しているが、すべてを本社工場に輸送して冷蔵するのではなく、輸送コスト節約のために栽培圃場近くの同業他社の冷蔵庫を借用して貯蔵し本社工場を経由せずに青島港から輸出する体制を作っている。他方、河北省の産地で収穫した野菜は、本来であれば天津港から輸出するのが効率的であるにも関わらず、輸出港の所在地に本社を置かない「よそ者」の企業は税関や検疫所から不利な扱いを受けることがあるので、山東省の青島港まで運んで輸出しているという。同じ状況に対処するため、福建省の産地で収穫した野菜をアモイ港からスムーズに輸出するため現地子会社を設立した(2005年調査)。
全体としてみると中国の野菜生産はその規模が拡大しただけではなく、官民の努力により産地から消費者を結ぶサプライチェーンが徐々に形成されつつある段階にある。ただ、農業協同組合や卸売市場制度といった中間組織が発達したわが国と異なり、中国では個々の生産者や商人、営利企業を主体とした生産・流通体制が構築されている。
2.残留農薬問題の発生と政府・産地の対応
(1) 国内消費市場の動向と野菜の安全性問題
(1)残留農薬問題の発生
中国産野菜を巡り、ここ数年注目を集めているのは残留農薬問題である。わが国においては、2002年春に山東省産の冷凍ほうれんそうから基準値を超える残留農薬が検出されたことから、大きな関心を集めることになったが、中国国内では2001年に中国国内紙等で“毒菜”問題が報道されたことで大きな問題となった。中国で報道された内容は、食品中の残留農薬や化学添加物により年間10万人の消費者が中毒被害を受けているというショッキングなものであった。筆者が翌2002年に訪中した際に、消費者が野菜を購入する際に安全性に気を遣うようになったり、食べる前によく洗浄するようになったりしたということを聞いた。
食の安全性に注目が集まる背景には、まず都市消費者の所得水準の向上による消費ニーズの高度化があり、もう一つは小売市場における粗悪品の増大という問題がある。
(2)野菜の消費の変化
野菜消費の変化を公式統計から読み取ることは難しい。例えば、都市の一人当たり野菜野菜消費量については都市家計調査による購入量しかデータが無く、それによると1990年の138.7kgが2003年には118.3kgに減っている(『中国統計年鑑2004』中国統計出版社)。
そこで、筆者の経験に基づいて整理しよう。大都市の野菜消費は概ね次のような段階を経て変化してきた。80年代は、野菜の通年供給が実現しつつある段階にあった。例えば、北京郊外やその周辺の河北省や山東省などで温室野菜の生産が増えはじめ、消費のピークになる旧正月(春節)を含む冬場も新鮮な野菜が供給されるようになってきた。しかし、温室野菜の供給も十分とは言えず、年末になると当時まだ配給されていたはくさいが住宅地の道路に山積みされている計画経済時代の風景も残っていた。
90年代前半になると、周年供給の課題はほぼ満たされ、新しい野菜の消費が始まる。一つは政府の計画統制もあって広域流通しなかった地方固有の野菜が入り始めたこと、特に山菜、野草(中国語では「野菜」と呼ばれる)が珍味あるいは“健康”というイメージとも結びついて好んで消費されるようになったことがあげられる。もう一つは洋食消費の増加である。これはレストランやマクドナルド、ケンタッキーフライドチキンといった外資系ファストフードの展開によりサラダなどの生野菜が90年代末から徐々に消費されるようになったことである。
(3)消費生活スタイルの変化
こうした野菜消費の変化は消費生活スタイルの変化と並行して生じた。例えば、経済活動が活発化するにつれて出張や交際、さらに個人旅行といった人の交流や移動が増えたり、テレビの普及などによって食生活に対する情報が豊かになったりしたことが一つである。もう一つは外食の機会の増加である。外食費が食費に占める割合は1994年には北京市、上海市では12%と11%であったが、10年後の2003年には24%と22%と増えている。全国平均も13%から18%へと増えている(注:『中国統計年鑑2004』中国統計出版社による)。この数字から北京市、上海市が全国平均値より飛びぬけて高いわけではないことに気づくであろう。それは中国の都市部では共働きが普通で、昼食を学校や職場でとることはもちろん、朝食も通勤・通学途上にとることが少なくないからである。外食に見られる変化は、金額面よりも、こうした外食の中身が屋台や町の個人食堂から繁華街のファミリーレストラン風の飲食店に変わってきたということであろう。「一人っ子」政策がもたらした子供中心の家族生活の中で外食は不可欠な“イベント”として位置づけられているとも言えよう。
(4)食の安全を脅かす背景
他方で経済活動が自由化されたものの、新たな市場ルールが整備されておらず、浸透もしていないため、様々な欠陥品や偽物、粗悪品が都市住民の生活を脅かしている。ブランド商品の偽者や日用品・家電製品の粗悪品も問題であるが、食品の偽物には直接生命の危険を及ぼすものがある。例えば、河北省糧食局でのインタビューによると、河北省の省都の石家庄市では、スーパーや自由市場で売られている小麦粉の中に重量を水増しするために滑石(ロウ石)の粉が混入される事件が発生していたという。スーパーは多くの顧客を獲得しつつある小売チャネルである。また、伝統的な自由市場は、住宅地に設置されていることが多く便利であり、多数の屋台から値段交渉をして納得したものを買えるので地方都市では根強い人気がある。しかし、これらの小売チャネルは、販売される商品の多くが卸売市場で仕入れられ、商品の出自・来歴が不透明であるという弱点がある(2001年調査)。
良い面も悪い面も含め、以上のことは食料不足と計画経済の時代が終わりを告げる象徴的な現象である。都市住民が残留農薬問題に極めて敏感に反応したのはこうした食の安全を脅かす事態が背景にあったからである。
(2) 国内市場における安全性対策の動向と問題点
中国政府は、90年代から野菜の安全性に関する措置を初歩的に講じてはいたが、こうした食品事件の多発という事態を受けて、様々な措置を本格的に講じ始めた。現行の制度を列挙して整理したのが表3である。
表3 食用農畜産物及び食品の安全性に関わる現行の制度
(1)有機食品と緑色食品
最初に示した有機食品と緑色食品は、生鮮農畜産物に限らず加工食品、清涼飲料水・酒類も対象とされている。いずれも栽培過程のみならず加工過程も認証機関のチェックを受けて合格してはじめて認証を受けることができる。このうち有機食品と緑色食品AA級の青果物はわが国の有機栽培に相当するものである。緑色食品A級は、有機ではないが減農薬に相当する。
(2)無公害農産品
有機食品と緑色食品が差別化された高付加価値商品として流通しているのに対して、次に述べる無公害食品と「放心菜」は、食品の安全性に関わる社会的規範、つまり最低限のルールとして普及されているものである。
2001年に始まった「無公害農産品行動計画」というアクションプログラムには、無公害農産品産地の認定制度と卸売市場を含む流通過程における安全性チェックの体制、「市場准入制度」が含まれる。
「無公害農産品」のうち無公害野菜の生産は、土壌、大気、水質や圃場付近の工場・道路等汚染源の有無等に関する栽培圃場の環境検査にパスすることを前提に、禁止された農薬を使用しないことはもちろん収穫前一定期間には農薬散布を停止するといった農薬の使用方法に関する技術の実践が義務付けられる。ちなみに、これらの認証を受けている主体には、郷・鎮あるいは村といった地域あるいは一定規模の栽培圃場をインテグレートする企業が多いようである。
流通過程における「市場准入制度」は、実際の運用を見ると卸売市場において商人が上場する野菜を、その入荷時に農薬残留の簡易サンプル調査を行って、合格したもののみを販売させ、検査結果を公表しようとする制度である。
この措置は、まず北京市、天津市、上海市、深市で試験的に実施され、2003年から全国の31の省・市・自治区の省都と6つの計画単列都市(わが国の政令指定都市のイメージに近い)に実施範囲が拡大された。
2003年時点で、これらの都市で行われた農薬残留検査の平均合格率は91.1%であったという。また、同年までに全国で480の省レベルの各種検査施設を設置し、3分の1の市と5分の1の県に農産物検査施設を整備したという。また、関連法規の整備も進められている(注:『中国農業年鑑2004』中国農業出版社、2004年、70~71ページによる)。
(3)無公害野菜の普及動向
その具体的状況を上海市、武漢市(湖北省)および大連市(遼寧省)のケースで紹介しよう。
(ア)上海市
上海市当局(蔬菜工作領導小組公室)によると、上海市の年間の野菜消費量は300万トン弱(推計値)で、そのうち卸売市場を経由するのが50%で、郊外の産地から市内のスーパーなどの大口需要者への直接販売が30%、残り20%は農民が自由市場に直接持ち込んで小売する部分であるという。
上海市内の消費地卸売市場のうち、曹安市場は年間取引量50万トンに達する市内でも規模の大きい市場である。取引量のうち20%は上海市近郊産地から、80%は他の産地から持ち込まれる。取引方法は一般的な卸売市場と同じである。通常、夜7時から翌朝5時までの間に、大型トラックに積まれた野菜が搬入され、屋根付の取引場に山積みされた野菜の前で小売業者等が交渉して買い取っていく。市場の入り口には管理事務所に併設した検査室があり、入荷時にトラック一台毎に抜き取り検査を行い、その結果を門前に掲示すると同時に、市内のスーパー、レストラン等の大口需要者に配布することになっている。検査結果の内容は、野菜品目、産地名、検査項目、合否の4項目からなるが、産地名は県名までである。産地名が県名までしか把握できないのは、商人が産地市場において、バラ荷の状態で複数の農民や産地ブローカーから買い集めているためであると思われる。不合格になった商品は、そのまま持ち帰らせるという(2002年調査)。
(イ)武漢市(湖北省)
湖北省・武漢市で筆者は、郊外の産地における無公害野菜の栽培指導体制と市内の卸売市場における農薬検査体制の整備状況について調査した。同市郊外にある国営農場のDX農場では、無公害野菜の産地整備を進めようとしており、また農場に併設されている慈恵無公害蔬菜卸売市場では、出荷段階の農薬検査を上海市と同じ方法で行っている。市街地の消費地卸売市場でも同様の検査をしている。例えば、武漢市内への供給量の3分の1を取り扱う皇経堂蔬菜卸売市場では、サンプル検査は根菜類を除く全品目を対象としており、入場車両1台ごとにサンプリングし、15分間かけて第一次定性検査を行っている。そこで使う試薬は、中央政府の定めた基準値の半分に設定されている。この試薬検査で陽性反応の出たものについては、第二次検査を行っている(2003年調査)。 また、GT社は武漢市内と市外に合計21の店舗を展開する会員制スーパーチェーンであるが、郊外の国営農場や他の地域に仕入れ担当者を派遣して産地から直接入荷している。同社の野菜は卸売市場を経由せずに仕入れるので産地の圃場段階と店舗到着時の二回、卸売市場と同じ試薬を使用して独自の検査を実施している。そして、圃場段階で農薬が検出された場合には、収穫期を遅らせて、もう一度検査してから買い付けるという。また、産地段階で合格しても店舗入荷段階で検出された場合には、焼却処分するという。さらに、2002年4月からは、店頭でも希望する買い物客に対して購入したい野菜の検査を無償サービスで行い、顧客の安心感を高める取り組みをはじめている(2003年調査)。
こうした、中央政府の動きに即した主要都市での動きがある一方で地方独自の動きもある。
(ウ)大連市(遼寧省)
遼寧省・大連市では、2002年にサンプル検査が開始されたことを皮切りに「市場准入制度」の整備が始まったが、2003年7月からはウォールマートやスーパー「華聯」さらに2つの卸売市場、10の自由市場を対象として「市場准入制度」が本格実施された。しかし、現段階では、急に厳しいチェックを行うと不合格が続出して、その結果供給不足になることが懸念されることから全面導入はされておらず、その運用は厳密ではなかった。また大連市独自で、残留農薬基準のみを定めた安全食品認証制度があった。これは、表3に示した「放心菜」の概念に属するものである(2003年調査調査)。
(4)国内市場における安全性対策の問題点
これら三つの都市の状況から現行の野菜の安全性対策について三つの問題点が指摘できる。
まず、上海市の曹安市場の例にも見るように、「市場准入制度」が実施される中で、検査に不合格となった商品は、どのように処分されるかという問題である。
大都市の卸売市場に野菜を持ち込んだ商人は、すでに産地において野菜を買い取って代金を払っているため、不合格になった商品をそのまま廃棄処分するとは思えない。
都市部の消費者は大都市の区部のほかに全国2000を超える県に分布しているが、現状では全国の5分の1の県でしか「市場准入制度」は整備されておらず、残りの5分の4の県は制度の空白地域となっている。大都市の農薬検査で不合格となった野菜がこの空白地域の市場で売却処分する可能性があるのである。
もちろん他の地域に輸送することで新たな費用がかかるし、さらに住民の購買力の低い地方では高値で販売できることは期待できないが、それでも幾らかは損失を減らすことは出来るであろう。しかし、その結果「市場准入制度」が整備されていない地域の住民が危険にさらされることになってしまう。この点は、今後も調査をして確認する必要がある。
次に、無公害野菜の認定を受けられない産地が多数存在する中で「市場准入制度」が厳格かつ広範囲に実施された場合に大連市の例で触れたような供給不足という事態は回避できるのかという点である。
中央政府としては2003年以降、「放心菜」のような地方基準が存在する状況に対して、「無公害野菜」の認証を統一的に行う方向に転換しようとしている。確かに、こうした中央政府主導の制度整備は、社会的規範として野菜の安全性を高める体制を確立する上では良いことではある。また、無公害野菜の認証を受ける産地も今後増えていくであろう。
しかし、そうしたレベルの高い産地はそう簡単には増えていかないのではないかと考えられる。山西省・陽泉市は、太行山脈に位置する炭鉱都市であるが、同市では市内の農村に冬季の温室野菜栽培を普及して近年になってようやく域内での野菜自給を達成しつつあり、農民の所得増大も図られるようになった。そのため、市当局は食品の安全性問題に対して極めて消極的であった。おそらく、それは、せっかく育った産地に規制を加え農民の生産意欲をそぐことになりかねないと認識しているからであろう(2004年調査)。
安全性の確保された野菜の供給が社会的に求められている中で産地の対応は極めて緩やかにしか進んでいないのである。
以上の二点を踏まえると無公害野菜の生産・流通システムは、現時点では大都市の消費者だけを残留農薬の危険から守る役割しか果たしていないということになる。
三つ目の問題は、食品の安全性に関わるトレーサビリティをどのように確保するのかという点である。産地の生産者とその栽培技術に関する情報が、卸売市場や流通業者の段階においても確実に伝達され、消費者が遡及できるようにすることは至難の技であると思われる。
現在、卸売市場では多数の商人と多数の零細な出荷者(農民や産地商人)が出会って取引しており、取引相手も毎回同じであるとは限らない。消費地の卸売市場においても全国各地から商人が荷を持ち込み、これまた多数の小売業者や大小の飲食店がそこで商品を仕入れている。
また、輸送の便や買い手のニーズを考慮して段ボールやネットなどで梱包することはあっても、それは生産者ごと、圃場ごとに明確に区分され表示がある訳ではなく、本質的にはバラ荷と同じである。
そのため、生産者ごとあるいはロットごとにトレースすることは不可能に近い。先にあげたスーパーマーケットのように、産地から直接買い入れる場合は、多少ましかもしれないが、それでも多数の零細農民から買い付ける場合には、同じ問題が付きまとう。
無公害野菜の産地認証は、産地を組織している郷政府・鎮政府や村といった地域組織、さらに企業で行われるが、トレーサビリティの確保という点からも利点があるといえよう。しかし、こうした無公害野菜の産地が、不特定多数の商人に荷を売り渡してしまえば、トレースは不可能である。
つまり、現状では、産地段階と市場という限られたポイントでのチェック体制の整備は進んでいるが、流通過程に踏み込んだ措置が講じられていないため、システムとしてトレーサビリティを実現するにはまだ相当の時間と労力を費やすことが必要となるであろう。
(3) 輸出向け野菜の安全性対策の動向
国内の野菜市場において以上のような状況がある一方で、輸出向け野菜の安全性については、表3に示したような輸出向け野菜の産地登録制度及び産地・商品の検査体制の整備が進んでいる。
その詳細は独立行政法人農畜産業振興機構『中国における主要野菜の生産・流通等の動向』(以下『動向』と略す。平成16年3月、18~19ページ)に詳しいが、その概要を示しておこう。
日本向け野菜から基準を超える農薬が検出されたことで、産地段階の農薬の使用に対する管理を強化する体制を整備した。
2002年8月に施行された「輸出入野菜検査検疫管理弁法」では、生鮮・加工用の輸出向け野菜の栽培圃場を作付け前に国家質量監督検査検疫総局の指定する関係当局に届け出ることが義務付けられている。その届出を行えるのは企業に限られており、そして、企業には借地や栽培契約といった法的手続きにより栽培圃場を確保すること、生産過程の農薬保管・使用などの管理能力と体制を有することなどが義務付けられている。
そして、輸出向け野菜の栽培圃場は、付近に工場などの土壌、水、大気の汚染源が無いこと、一団地が20ヘクタール(300畝)以上あること、農学、防除、農薬使用の基礎知識を有する専門教育を受けた管理者が1人以上いること、農薬の安全確保や使用などについて統一的な管理を行うこと、農薬の専門管理者がいて農薬の使用・保管さらに病虫害の発生、防除に関する記録をしていることなどの条件を満たすことが義務付けられている。
圃場の登録申請について、例えば山東省・坊市のST社は冷凍用ほうれんそうの自社農場を地元の国家質量監督検査検疫総局に対して登録しているが、その申請書類には農場の地籍、土壌成分・農薬残留・水質・その他の環境に関する調査結果、ほうれんそう作付け前の輪作方式と作目、ほうれんそうの栽培圃場の輪作方式などが盛り込まれている。
上掲『動向』では、こうした制度の導入により、企業を中心とした輸出管理体制が構築されることになり、したがって、従来のような、農民や卸売市場、産地商人からの買付け、同業者からの安易な買付け等による輸出野菜、輸出原料の購入は厳しく制限されることとなる、と指摘している。
ただ、当該法規の中で規定されている、20ヘクタール以上の野菜栽培基地を確保することについては、各地で「柔軟な」運用が行われているようである。『動向』では、山東省では2003年時点で7ヘクタール弱(100畝以上)という基準を暫定的に適応・運用しており、20ヘクタール(300畝)という基準は2004年から適用される予定されてと紹介されている。先に紹介した浙江省のHT社が圃場の確保に苦心し、省内に複数の栽培圃場を確保していたのは、実はこうした大面積の栽培基地を確保するという義務を果たすためでもある。
また、『動向』によると2003年6月に山東省品質技術監督局は農薬残留管理の地方基準である「輸出野菜農薬残留監督管理規範」を施行した。そこでは前出の「管理弁法」の内容に加えて自社の生産拠点以外から原料を購買する場合は、その拠点に対して禁止農薬を使用していないことの証明を提出することも義務付けているという。
このように、残留農薬問題の再発防止のために講じられた政府の措置は、これまでと違って野菜輸出企業の原料野菜の調達方法を厳しく制約することになる。もちろん、この変化は、生鮮・加工野菜の輸出を行っている企業にとっても野菜貿易をトラブル無くスムーズに行う上でメリットがある。
しかし、実際には企業は作付け前、栽培過程、収穫段階、加工・出荷段階で当局のサンプル検査を受けねばならず、その一部の費用を負担することが求められ、また日本側のユーザーからの要請で検査設備の購入などトレーサビリティシステムの構築を自費で行うこと必要になることもある。
さらに、次月号以降で後述するように、大面積の圃場を確保するために地代を支払って耕地を借り集めることが必要になる場合もあり、これまで以上に多くの費用負担が企業に降りかかるという問題も存在する。