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台湾の野菜流通事情

台湾 東海大学 農学部
食品流通学教室 助教授 王 良原


はじめに

 台湾は北回帰線が通過する国の中では、最も農業が盛んな国であると言われ、特にお茶、砂糖、米、野菜、養豚、果物などの栽培が盛んで、古くから周辺諸国との国際貿易を通して地域交流に大きく貢献してきた。しかし、近年の産業構造の変貌や流通の国際化の進展に伴い、台湾の農業生産も完全市場自由化か国内生産基盤優先かという岐路に立たされ、一産業としての生産構造は転換を余儀なくされている。

 こうした中、これまでの台湾の農産物市場においては、卸売市場を中心とする流通構造が中軸的な役割を果たしてきた。特に、公正な取引方法とされてきたセリ取引に基づいて形成された価格は、小規模な生産者が大半を占める農産物生産構造と消費者の家計維持に大きく役立ち、流通構造におけるプライス・リーダーの役割をも担ってきたが、1980年代後半から始まった、いわゆる流通革命は台湾の生鮮食料品流通構造に大きな変化をもたらした。とりわけ、卸売市場経由の生鮮食料品の量的減少により、多くの卸売市場は経営危機に直面している。さらに、国際化がますます進展する中、食料品の輸入増大は国内の生産構造を弱体化するのみならず、卸売市場の流通構造における位置づけをいっそう矮小化する方向になるのではないかと危惧されつつある。

 本稿ではこのような情況に置かれている近年の台湾の野菜卸売市場を取り上げ、生産構造の変化と流通構造の再編を解明することとする。

1 野菜生産構造の変化


図1 台湾における総人口と農業人口の推移
 

 
資料:台湾農業統計年報
 
 

 人口調査によると、2001年の総人口は2300万人弱であったが、2003年には2300万人を超えた。しかし、図1が示すように、人口増加率の停滞が続いている中、総戸数は著しく伸びている。これは、若者の独身世帯の増加と少子化の傾向を表していると考えられる。一方、農業に従事している農家戸数は、1991年度824千戸から2001年度727千戸、農家人口も1991年度421万人から2001年度369万人とそれぞれ減少傾向にあるが、表1が示すように2001年度の1農家世帯当たりの世帯人員は5.07人で、全国平均の3.29人を上回っている。これは、少なくとも農家世帯人員が全国平均より多く、農家の生計を営むには多人数が有利であることを意味している。

 さらに、以上の人口調査を地域別から見ると、4割以上の国民が北部に住んでいるに対して、農家の7割以上は台湾の中心的な農業生産地である中部と南部に集中している。したがって、台湾北部が消費地で、中部と南部が生産地であること、4割以上の国民の食生活を他の地域にいる少人数の農家が支えていることが言えよう。


 図2に示されるように、野菜に限って見れば、1991年から2002年までの12年間において、野菜の栽培面積は1991年192,881haから2001年179,473haと減少気味となっているのに対して、生産量は気候などの影響による増減はあるものの、1991年290万トンから2002年346万トンと全体として増加の傾向にある。これは近年の生産技術の革新や、品種改良の成果が単収の向上につながったと言える。

図2 台湾における野菜栽培面積と野菜生産量の推移
 
図3 台湾の各行政自治体の位置

 

資料:台湾農業統計年報、行政院農業委員会、
各年版。


 

 産地別に見ると、農家人口の分布状況と同じように、上位10県のうちほとんどを中部と南部が占めている。表2からも分かるように、とりわけ、雲林県、彰化県、台南県、嘉義県、屏東県の5県は共に栽培面積および生産量の上位を占めており、野菜産地としての位置づけを確立している。その中でも、雲林県の栽培面積と生産量が突出している。地理的な立地については、図3からも確認できるように、雲林県はちょうど台灣の西海岸のほぼ真ん中に位置しており、平坦な野菜農園は北部の大消費地のみならず、中部と南部の中核都市である台中市、台南市と高雄市へも効率良くアクセスできるという立地条件を有している。


 表3で地域別に栽培面積および生産量を見ると、中部地域と南部地域を合わせれば、全国の8割以上を占めている。単位当たり収量は北部を除き、他の3地域はヘクタール当たりの収量が15トン以上になっている。なかでも東部と離島地域の栽培面積と収量は低いレベルにあるが、単収では主力産地である中部地域に次いでいる。この地域は産業発展と交通整備がやや遅れており、人口移出による労働力不足や、交通不便による営農指導不足などで、農業生産の実績は中部地域と南部地域に及ばないが、これほどの単収実績を出したのは、他の地域よりも優れた環境条件が寄与していると思われる。



 表4は、ここ7年間の主な野菜生産品目を生産量順に示したものである。主要な野菜としてはタケノコ、キャベツ、大根、ニンジン、白菜、葱、高菜、カリフラワーであるが、葉菜類ではキャベツ、白菜、高菜、しんとりの4種類だけである。各品目において生産量の変動が見られる中、葉菜類の量的変動が特に大きい。これは、根菜類と土もの野菜に比べると、葉菜類は天候に大きく影響されるためである。ただし、料理の薬味として使われている葱の量的増加は看過できない。筆者の実地調査によると、葱の生産量の増加は主として台湾の東北にある宜蘭県によるものであり、とくに県南地区は近年、高品質の葱生産に力を注いでおり、全国への販売が定着しているほか、海外市場への輸出も計画しているようである。


 

筆者が2004年9月上旬に現地調査の際に撮影したもの

2 卸売市場の設立背景

 台湾における生鮮食料品流通は、公的管理の下で設立された前期的な卸売市場が担っていたが、戦後、中国からの大量移入人口による社会混乱を経て、政府は農村経済の復興と急増した食料品の需要の増加などへの対策として、1950年代から生鮮食料品の卸売に関する法律と施設の整備施策を打ち出し、今日に至るまでの卸売市場を中心とする生鮮食料品流通構造が成り立っている。しかし、国内においても農産物流通構造の展開過程に関する画期的な研究がいまだに少ないため、卸売市場設立の背景と状況を把握し、次節で戦後の野菜流通構造の再編について、いくつかの段階に分けて整理しその動向をまとめることにしたい。

 卸売市場は「農産品卸売市場管理法」に基づき、生産条件や流通構造が著しく異なる水産物の卸売市場を含めて、70年代初期までに全国各地に200カ所にも上った卸売市場が設立された。また、政府は管理上の便宜性を図るために、表5のように年間取扱量の規模別で卸売市場に等級を付けた。畜産物卸売市場と青果物卸売市場の場合は、産地市場と消費地市場がそれぞれ開設され、生産者の委託販売による取引が原則となり、ある程度農村経済の安定と向上、そして農産物流通の近代化に成功したと思われる。


 台湾の経済発展の主役が農業から工業へと移り変わった過程において、卸売市場の数量と機能が集約されてきた。1991年度の統計には前述した「農産品卸売市場管理法」によって、花き市場のほかに158カ所の卸売市場が登録され、そのうち、青果物、畜産・食肉、水産物の卸売市場の数はそれぞれ70、24、64カ所であった。しかし、2002年度の統計になると、花き市場を除けば、登録された市場は138カ所となり、その内訳は同様に57、23、58カ所へと減少した。

 政府は卸売市場運営の中立性と自主性を持たせるため、場合により市場の敷地を提供することがあっても実際の経営に直接関与していない。従って、経営主体には、業者組織である農協または搬出業者任意組合、地方自治体による第3セクターの2種類がある。2002年現在の57カ所ある青果物市場に限って見ると、生産者組織経営と第3セクター経営はそれぞれ18、39カ所である。これは、生産者組織や搬出業者組織が単独に市場経営を担う経営基盤が弱く、地方自治体に支援を求める必要があることを示唆していると考えられる。

 青果物卸売市場の場合、立地条件によって市場の性格を消費地市場、消費地と産地の混合型市場、そして産地市場に区別するができる。2002年現在の57カ所の青果物卸売市場のうち、「基隆」、「台北」、「三重」、「桃園」、「新竹」、「台中」、「台南」、「高雄」、「鳳山」、「屏東」などの10市場が消費地市場に分類されているが、とくに北部地域にある「台北」と「三重」の卸売市場は人口の集中地域に立地しているため、最も主要な消費地市場と見なされている。

 また、台湾では「農産品市場交易法」の規定により、卸売市場の経営者は、農産物の搬入者と搬出者から、取引金額に応じて所定の比率で算出した手数料を徴収し卸売市場の運営経費に充てることができる。現段階では、折半して両方から徴収するのが一般的である。ただし、「農産品市場交易法」で決めた青果物の手数料は5%以下であることに対し、現時点の各青果物卸売市場における手数料はやや低い水準にとどまっている(表6)。


 取引の方法については、「セリ」、「相対」、「セリ・相対同時実施」という3つの方式が採用されている。2002年現在の全国138カ所の卸売市場を見ると、水産物市場の影響でセリ・相対同時実施の市場が過半数を占めているものの、青果物市場は57カ所のうち、セリが2カ所、相対が38カ所、セリ・相対同時実施が17カ所であり、畜産・食肉市場は23カ所のうち、セリが21カ所、相対が2カ所となっている。要するに、単価が高くて、品目が比較的少ない畜産・食肉の卸売市場では、セリによる取引が容易に導入されたのに対し、市場規模が不揃いで、単価が安く、多品目で入荷量の変動が激しい青果物の卸売市場では、セリよりも相対取引が広く行なわれている。

3 台湾の野菜流通構造の展開と再編過程

 台湾における生鮮食料品流通構造は前節で述べたように、卸売市場を中心として構築されてきた。青果物卸売市場を対象にこれまでの展開過程を次のように5つの段階に整理することができる。第1段階は1951年までの「前期的な青果物流通構造の展開期」、第2段階は1951年から1972年までの「青果物卸売市場の増設期」、第3段階は1973年から1980年までの「共販組織の促進期」、第4段階は1981年から1992年までの「産地直販体系の発展期」、そして第5段階は1993年以降の「青果物産直グループの結成期」である。以下では第2段階から第5段階までの展開過程について述べる。

(1)第2段階の「青果物卸売市場の増設期」

 戦後の農村復興対策の一環として、農産物の取引が公開、公平、公正に行なわれるように、政府は各地に農産物卸売市場を開設する計画を実施した。この計画を通して、生産規模を問わずに生産者は自ら生産した農産物を卸売市場へ搬入し、法律で定められた取引方法によって農産物を販売することができる。また、青果物卸売市場の普及によって、それまで産地商人に独占・支配されていた農産物の販売利権が解放され、生産者は自分の意思で販売ルートが選択できるようになった。

(2)第3段階の「共販組織の促進期」

 台湾の農村経済は卸売市場の増設に伴い販売ルートの拡充により、生産者所得が増加し、それが下支えとなり、1970年に至るまで高度成長を成し遂げた。また、政府は農業部門の高度成長を踏まえて、産業体質を農業中心から工業中心への転換を推進した。その結果、工業団地の造成や製品流通に係る商業活動が発達し、人口も次第に農村地域から都市地域へと移動した。そのため、本来の食料供給体制は、このように急増した都会部の需要を賄うことができない状況となった。

 このようなことから、政府は農政機関と農協組織を通じて食料品の増産技術および集約的生産を普及・奨励し、一方、農協や生産者任意組合は農家の共販組織の整備を推進した。

 このように、青果物産地形成の条件があらためて強化されたほか、生産者の収益がさらに集団的な価格交渉によって保証され、消費地卸売市場への効率的な出荷も安定的に維持されることとなった。

(3)第4段階の「産地直販体系の発展期」

 台湾での最初の高速道路は1970年末に開通したが、81年になってから、高速道路の利用者数がはじめて当初の予測値を上回るなど、青果物流通の関係業者も徐々に物理的に短縮された輸送距離にもたらされる商業魅力を感じるようになった。とりわけ、青果物の主力産地である台湾中部と南部の生産者は大規模消費地の高い相場を求め、高速道路を利用して最大消費地市場である台北市卸売市場へ出荷する意欲が高まった。一方、中間商人を介さずに都市地域で成長を著しく見せはじめた生鮮食料品の大規模小売店舗への直接取引の可能性をも模索した。

 高速道路は同時に台湾の商品流通構造における小売業者の位置付けの上昇に大きく寄与したと思われる。なぜなら、旧市街地に立地してきた零細規模な小売店舗のほとんどは、少量少品目の家族経営のうえ、既存の都市区画に制限されたため、店舗の規模拡大は不可能であったのに対し、高速道路のインターチェンジの周辺地域には新たに大規模店舗が続々と開発され、物流の大動脈である高速道路を生かした大規模量販店は強い集客能力を手にした。多品目かつ大量入荷による低価格販売手法が広く消費者に受け入れられたことから、このような大規模小売企業が流通構造の主導権をにぎった。しかし、これらの大規模な量販店は常に買い付け価格を最低水準に抑える戦略を繰り広げるため、卸売市場のみに頼らず高速道路を利用して全国各産地からの農産物の直接買い入れを主な集荷手段にした。言うまでもなく、これはいわゆる市場外流通の拡大につながる大きな要因である。(図4)

図4 台湾の野菜流通における市場内外の流通量の変化の推移(1992年~2002年)



資料:「農産品卸売り市場年報」および「台湾農業統計年報」、行政院農業委員会、各年版。

 こうしたなか、フランスをはじめとする海外資本が台湾の量販店業界に多く進出した。 

 このため政府は、当時の重要な国家政策であった農産物流通近代化を適切に推進するため、45.52%の公的資本と54.48%の民間資本1による「台北農産運銷公司」を経営母体として1974年に台北市卸売市場を開設した。その後、政府はさらに小売段階の近代化を図りながら、商的資本の適切な競争関係を維持するため、1980年より卸売市場の経営母体による生鮮食料品直営スーパーの開設を推進した。以降、18店舗体制のチェーン店方式になるまでに業務を拡大している。このようなチェーンスーパーの経営者は、各店舗の毎日の青果物仕入れを良好な品質かつ安定的に調達するため、契約生産を通して産地からも直接買い入れている。

1「台北農産運銷公司」の資本構成は、45.52%を占める公的資本のうち、国と台北市がそれぞれ22.76%を拠出し、54.48%を占める民間資本のうちは、農協連合会が23.04%、卸商人が22.05%、共販組合が9.58%、その他が1.81%の出資となっている。民間資本が若干多くても卸商人のシェアが5分の1強にとどまることは、政府介入のイメージを払拭しながら、卸商人による前期的市場支配力をけん制するためである。

(4)第5段階の「青果物産直グループの結成期」

 日本と同じように、台湾でも90年代以降に農家の農協離れが発生した。その原因について議論するのは多大な紙面を要するが、主に、農業生産構造の弱体化、台湾のバブル経済の破綻による農協信用事業の不振、農産物市場の自由化による輸入品増加の3つが大きな要因であった。

 農家の農協離れが生じるなか、生産意欲のある複数農家は、有志グループを結成し自ら販売先の開拓を始め、全国的な農協系共販組織の離脱ブームを引き起こすこととなった。

 政府はこのような状況に対し、有志グループを青果物産直グループへと地域ごとに編成し、農政機関はそれまでの農協系共販組織のみを助成する原則を捨て、直ちに助成計画を開始した。こうした青果物産直グループを自らの管理下に移して、組織的に青果物共販事業ができるようにサポートしたのである。ただ、青果物産直グループのほとんどは高品質の農産物の生産を目指しているため、卸売市場へは出荷しないで直接小売業へ出荷するケースが圧倒的に多い。このことから、近年の青果物卸売市場において質的な低下傾向を招いている。

4 野菜流通構造の現状と変貌の示唆

 本節では代表的な消費地である台北市を取り上げ、現時点の野菜流通構造を分析する。

 台北市を含む北部地域における日々の青果物の需要量は多いことは言うまでもないが、この地域への青果物供給量のほとんどは台湾中部か南部の遠隔産地から搬入されており、そのほとんどは商人、または、農協の共販組織を通して台北地域へ出荷しているのが現状である。

 近代的な小売店舗であるスーパー、百貨店、ディスカウントストアーの場合は、競合相手との差別化を図る必要があることから、産地との契約により農産物の量と質の安定を図っているが、一方で、いまでもなお消費者の主な青果物の購入先である伝統市場(いちば)では、青果物小売商の経営規模が小さく、大量に産地から直接入荷するのが難しいため、依然として台北市卸売市場を利用して品物を調達している。表7に示すように、タイプの違う小売形態はそれぞれの特質を持って集客を図っているが、野菜の販売高が総売上に占める割合が極めて高い伝統市場が主な生鮮食材の購入先となっている。生活レベルが高い台北市でさえ、近代的な小売店舗ではなく、時代遅れの象徴と言われている伝統市場が優位に立っている。そこで吟味すべきなのは、たとえ伝統市場が衛生管理や産地標示などが徹底できないとしても、スーパー、百貨店、ディスカウントストアーなどが、現在野菜流通の主体を占めている伝統市場に取って替わることが可能かどうかである。


 表8で示されるのは、1992年から2002年までの台北市卸売市場の野菜取扱量と、全国の卸売市場経由の野菜取扱量、それに全国の野菜生産量を用いて試算したものである。この3つの数字は政府によって常時公表されている信頼できるものである。図4と同じように、全国の野菜生産量から全国の卸売市場経由の野菜取扱量を引くと、大まかに野菜の市場外流通量を表すことができるため、台北市卸売市場が占める割合と市場内外別の流通量の割合が推定できる。

 すでに述べたように、スーパー、百貨店、ディスカウントストアーの場合は産地との契約により野菜の量と品質を確保するのに対し、伝統市場の小売商人は卸売市場を経由して調達している。全国生産量が増加傾向であり、市場内流通は安定して推移しているなか、台北市卸売市場の取扱量の市場流通量と全国生産量に占める割合が低下傾向となっている。したがって、緩やかながらも野菜流通構造における伝統的市場従来の位置づけが変化しており、いままでの伝統市場の優位性は弱まると推測される。今後、図5に示す現時点の台北市の野菜流通経路がどの様に変貌するかは注目されるところである。

図4 台湾の野菜流通における市場内外の流通量変化の推移(1992年~2002年)

資料:「農産品卸売市場年報」および「台湾農業統計年報」、行政院農業委員会、各年版。


図5 台北農産運銷公司が経営する卸売市場における青果物の流通経路




資料:「農産品卸売市場年報」、行政院農業委員会、2000年版および台北農産運銷公司の資料(2002年)より作成。
 注:数字は重量ベースの構成比を表す。

5 おわりに

 台湾における野菜流通構造の変貌について論じてきたが、紙面の制限の関係でその要因を詳しく分析することを割愛せざるを得ない。いくつか挙げようとすれば、(1)チェーン店方式の大規模小売店舗の台頭、(2)フードサービス業の進化、(3)外食・中食市場の拡大、(4)食料品生産構造の変化、(5)消費者の生活形態の変貌、(6)市場の自由化・国際化などがある。もちろん、卸売市場の農産物の流通構造における役割は大きいと確信しているが、卸売市場が自身を取り巻く経営環境の変化にどのように対応して行くかは、卸売市場を中心とする農産物流通構造を抱えている東アジア諸国の共通な課題であろう。

 2002年より台湾はWTOに正式加盟した。それは台湾が国内の生鮮食料品市場をいっそう自由化に向かわせるほかに、台湾産生鮮食料品の海外市場への進出を強く後押しする意味をも持ち合わせている。90年代に入ってから、大きく発展してきた台湾のIT産業とバイオテクノロジー産業の波及効果で、農業市場への応用が盛んに研究されている。とくにブランドの確立、ポストハーベスト処理の効率の向上、流通の情報化などが実用化へ向けて着実に進められている。これによって、生産履歴、正確な格付け、トレサビリティー、品質保証などが実現できると考えられる。実際に、台湾では既にグローバル基準にまで適用できるように食品品質管理システムの開発が試みられている。他方、日本では財団法人食品流通構造改善促進機構のもとで生鮮JANやネットカタログの開発が、韓国では環境保全を意識した食料品に関する内容開示などがそれぞれなされている。これらの成果が期待される中、いかに東アジア諸国が結束し、これらの研究成果を生かして今後の農産物流通構造の再編構想を共有するかは、急務であり、大きな可能性を秘めている。



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