早稲田大学社会システム工学研究所
食と地域環境研究室 室長・客員研究員 平山 一政
1.はじめに
筆者は「低温スチーム技術」を専門とする極めて珍しい存在である。食品加工における熱技術を専門とし30年以上の経験を持つが、当初は石油ショックを契機とした省エネルギー活動を主体に取り組み、多くの食品分野の現場を見る機会を得た。
食品を加工する現場には熱水を利用した加工をするものが大変多く、農産物は洗浄し、ボイル加工を行い、加工品の殺菌工程に熱水を利用する等、水を利用した工程が多くある。熱利用を効率的にする最初の疑問は「なぜ熱水加工なのか、なぜ水を使用しなければならないのか」と言うことであった。熱媒体である水をスチームに変更し、同じ温度の熱を与えるシステムにすれば、トータルで使用するエネルギーの節減が達成できる。
そう思って試したところ、加工品の品質(美味しさ)が向上し、エネルギーの驚異的な節減以上のメリットが生じたのである。茹でていた野菜をスチームで蒸すと驚くほど美味しくなり、さらに温度を下げると味が凝縮する現象に気づくことになった。加工品が美味しくなることは売上げが伸びることにつながるのである。
低温スチーム加工技術とはどんなものなのか、野菜を低温スチーム加工することで生じる効果、野菜を美味しく食べる方法の工夫をすれば野菜の消費拡大に期待できることなど、本稿では紹介をしたい。
2.なぜ野菜を食べなくなったのか消費減少の要因
野菜を料理して食べるには、調理前の洗浄、皮むき、カットなどの下処理が必要となる。材料により本調理の前にアク抜きのための下茹でを必要とするなど、面倒な作業が多い。とくに加熱調理の場合、加熱の上手、下手が美味しさに影響する。野菜の美味しさは、野菜の持つ特有な歯切れのよい食感が大事な要素であり、手際良く加熱することで、香りの良い美味しさを味わうことができるといっても過言ではない。安全を重視する過剰気味な加熱は香りを失い、柔らかくなり過ぎまずくなる。
野菜は収穫後、時間が経過するほど酸化しアクは増え、生臭みが多くなる。鮮度を要求される所以である。アクは苦味、エグ味の成分でもあり、野菜を食べる上でその生臭み青味の味は食欲を著しく減退させる。特に幼年期にこの香り、嫌な味を知ることが、野菜嫌いの大きな要因となる。アクは野菜の防御成分であり、触ればかゆみやアレルギーも原因にもなるが、野菜にとって自然の中で成長するための必要な成分である。それほどでないアクは美味しさの一要素ともなるが、アクを上手に取り、減らすことが野菜を美味しく調理するコツとなる。
最近の野菜料理と言えば第一にサラダを挙げるが、生野菜は嵩が減らないことから、上手に作っても食べる量は少なくなる。また、野菜には独特の香りがあることから、生野菜をたくさん食べるには調理方法について特別な工夫を要す。美味しく食べるにはこうした面倒な作業を必要とし、コツや調理技術も学ぶ必要があるのである。
近年、主婦の就業が多くなり、生活様式も変化し、市販の総菜の利用や外食の増加により、家庭での面倒な調理が敬遠される傾向がある。野菜を食べるよりも他の手軽に食べる食材を選択してしまい、当人に野菜を食べる必然性を強く意識していない限り、食べる量は少なくなってきている。
外食産業では野菜を主体としたメニューは単価が安く、売り上げに貢献しないとして肉や魚の添え物的に扱われる。こうした傾向は食品会社のあらゆる調査でも明らかな結果が出ている。
野菜消費における大きな割合を占める大量調理の現場では、人件費抑制のために手間の掛かる作業は敬遠され、野菜は下処理作業の済んだカット野菜を導入する。美味しさよりもコストが重要であり、コストの安い輸入野菜や冷凍野菜などに目が向けられ、野菜本来の味よりも調味による味付けが進められてきた。野菜本来の美味しさを活かすことは置き去りにされてきた。
3.野菜を美味しくする低温スチーム加工技術
野菜の多くは何らかの方法で加熱して食べる。加熱の上手、下手は品種、農法の違いを超える美味しさの違いを生じさせる。又、生で食べる野菜はその食感や香りを味わうために、生のままであることを常識としているが、上手な加熱は生の食感を失わず、さらに香りを良くすることも可能なのである。上手に低温スチーム加工したものは、例えばにんじんやピーマンの嫌いな子供も、一度その美味しさを知ると喜んで食べるようになる。またきゅうりやモヤシは時間が経過すると生臭みを感じるが、その臭みを完全になくすことができ、甘みが向上する。
低温スチームした野菜は、子供はもちろん大人でも野菜嫌いが直り、野菜嫌いが嘘であったように好んで食べるようになった話を聞く。
プロは本調理の前に、手間を掛け、下処理をした食材を準備し、本調理は短時間に簡単に仕上げる。このような加工処理を行う量産技術がすでに確立されており、消費者ニーズも生まれている。
冷蔵庫の中にプロの料理人と同様の下処理した各種の野菜材料があり、その野菜は本来の風味を活かしたまま火が通り、生の食感が十分残り、ほど良い柔らかさに仕上がって安全に保存してあれば、野菜を食べたいと思った時に、極めて簡単に調理できる。サラダ風に、また炒めても良く、だし汁を入れ一煮立ちすれば煮物ができ上がり、汁物はカットして入れ、温めるだけで美味しく、自然に多く食べることができる。
現在野菜の売場には本来の風味を活かし、美味しい下処理した野菜材料や加熱済みの商品は殆ど売られていない。一部の野菜はカット野菜として売り場に並ぶようになってはいるが、美味しさの視点からは程遠いものである。プロ同様の下処理した野菜食材の販売は可能ではあるが、今は微々たる動きである。
だが、今一部の商社では、この加工技術を利用して野菜ビジネスの今後のあり方に注目し、良質な加熱済みの野菜食材の販売準備を進めている。
4.低温スチームの仕組みと効果
野菜を加熱する場合、多くは茹で、煮る方法が採られて来た。料理の内容により焼いたり、炒めたり、揚げ物に、又、蒸す方法、さらに電子レンジ加熱が採られる。
科学的に考えれば基本的な物性が最も大きく変化するところは熱工程であり、美味しさを最も大きく左右する工程なのである。
低温スチームで加熱すれば野菜料理、生の食感を楽しむサラダ料理や漬物においても、全ての材料に火を通すことが可能であり、火の通し加減が最も重要な作業となる。
蒸気により食材を包み、熱を浸透させれば、食材の水分やエキスの流出は少なく、旨み成分を多く閉じ込めた状態で火を通すことができる。
蒸気温度を下げ、野菜の特性に合せた温度を選択すると、加熱時間を長くしても生の食感を残した硬さや鮮やかな色彩を保持でき、不思議な美味しさが生まれるのである。野菜の持つ組織や成分にとって最善となる加熱温度は殆ど100℃以下の温度である。蒸す方法も、適切な蒸気システムを構成すれば蒸気温度も調節でき100℃以下のスチーム空間を自在に作ることができる。100℃より低い飽和蒸気空間(湿度100%)を低温スチームと呼び、95~40℃の温度を利用する。
図1は低温スチーム空間の仕組みを表しているが、容器を逆さの状態した空間に蒸気を緩やかに注入し、一定の温度になるようにコントロールする。中にあった空気は比重差で下方に移動し、任意に設定する温度に安定する。構造やスチームシステムがよければ内部の温度はどの部分でも均一にすることができる。
その蒸気空間であらゆる野菜をスチーム加熱すると、従来の調理概念になかった現象が生まれてくるのである。
ほうれんそうの多くは茹でて食べるが、低温スチームすると、旨みが閉じ込められ香りがでて甘くなる。試食された多くの方々はその美味しさに驚く。以下に低温スチームによる効果を説明する。
①野菜の硬さ柔らかさは自在になり、硬い感じがしても歯切れの良い、腰のあるこなれの良い食感が得られ、繊維質は柔らかく、歯切れよく変化している。成分の熱による破壊も少なく、場合により一部の栄養素は増加するのである。
②素材の旨みを凝縮する現象が生じ、素材の状態からは信じられないような美味しさが生まれてくるのである。熟成現象、酵素活性化とも言われ、果物の保管中に生じる追熟と同様な現象である。成分の内、糖度の変化は無くとも酸の成分がまろやかになり甘味が増したような現象が生じる。
③野菜に含まれるアクを生成する成分は加熱により外に出て酸素と結合しアクとなるが、蒸気中には酸素が少なくアクの生成、酸化現象は極めて少なくなる。野菜特有の生臭みはほぼ完全に除去されるのである。適切な温度を選べばその野菜の美味しい香りを多くすることもできる。アクの成分はスチームの中で放散し、茹でなければ取れないとする考えは誤りである。
④野菜を何らかの方法で加熱すれば水分やエキス、種々の成分は流出や蒸発放散し、当初の重量は減少する。野菜の美味しさを邪魔するなどの、有害な成分は流出し、野菜の組織自身で保持する水分やエキスはできるだけ多いほうが良く、低温スチーム加熱は驚くほどその歩留まりが向上する。
⑤殺菌効果が生じる。殺菌効果を高めるために加熱温度を高くすることが一般的。しかし美味しさを最大限に活かす加熱を選択するだけでも、調理段階における初発菌数を極めて低く抑えることができるのである。安全性を考えるあまり殺菌を優先した調理が行われているケースが多く、大量調理の現場では、美味しい新鮮野菜を過剰加熱し本来の美味しさが失われた状態にして供していることが多いのである。
⑥メリットは加熱段階に水を殆ど使用しないことである。欧米では野菜の大量処理におけるブランチング(茹で作業)では熱効率が悪く、水の大量使用、排水処理、環境悪化などから「ブランチング問題」として長い間の検討課題となっている。
⑦素材の状態を最大限活かした加熱は、従来、冷凍が不可能とされた野菜でも可能となり、さらに採りたての鮮度維持期間を長くすることも可能となる。
きゅうりやレタスはサラダやサンドイッチ、すしの巻物に多く用いられるが、低温スチーム加熱は生の色、食感をそのまま残すことができる。薬味として使用するねぎにおいても可能である。残念ながら、こうした技術研究は殆ど行われてなく情報も大半の加工、流通、生産者にもその情報は知られていない。
しかしながら、この技術を活用し地域の野菜を加工する工場が既に稼動している。産学連携事業として設立された株式会社T.M.L.とよはしである。当学研究所の技術指導により東三河の野菜を加工し、新しい野菜の加工品を生産しているのである。
《食品産業と農業の連携》として東海農政局のホームページ( http://www.tokai. maff.go.jp/somu/joho/genchi/2006/jikyu/j200609-15.html)に紹介されているので、興味のある方はご覧いただきたい。
5.低温スチーム技術の開発の経緯
ここでは、筆者が関わった低温スチームの技術の開発の経緯を簡単に述べる。
低温スチームというとヨーロッパで開発されたスチームコンベクションによる低温スチーミングと思われる人が多いが、日本で開発された低温スチームは、言葉は同じでも技術的には基本的に異なる。
日本の低温スチーム技術の発展のきっかけは食品の量産加工における連続式熱水型低温殺菌装置の省エネルギー型の開発の段階に生まれたものである。
前述したとおり、当時、筆者は、この省エネルギーの開発に深く関わった。昭和50年以前の低温殺菌方式は殆どが熱水に包装後の食品を浸漬し一定時間加熱する方法を採っていた。エネルギー効率は悪く、水を多く使用し大量の湯気を放出するなど環境を悪化させ、熱分布も悪く改善を求められていたのである。
まず、熱水タンクから湯気の放出を止める技術開発のため、原料の出入り口を工夫し、湯気の放出を完全に止めることに成功した。
装置を密閉すること無く空間の内部に物の入れ方や、出す方法など、その位置や構造の工夫をすることで、供給した蒸気の漏れを完全に止めることができ、驚異的な省エネルギー効果が得られ、その成果は従来の50~90%もの低減が出来、大きなメリットを生じることになった。熱水式や密閉式に比較し製造コストも低減することにもなった。
今や多くの食品工業分野で使用する低温殺菌システムは低温蒸気システムが常識であるが、低温殺菌装置は包装後の食品であるのに対し低温スチーミングは裸の食品材料を加熱することであり、装置は殆ど同様の方式と考えて良い。すでに大量の野菜を低温スチーム加工する技術は確立しているのである。
野菜は季節的要因があり、加工の効率化を図るため、多種類の野菜に対応する工夫を要する。
また、蒸気技術を基にした家庭用低温スチーミング電気鍋も開発され発売されている。この器具は食品開発のテスト用としても十分機能を果たすことができる。
おわりに
美味しい商品を作るには良い原料を使用することが第一の条件とされてきた。入手した食材が調理や加工の方法で一ランク上の美味しさが生まれる考えは無かったのである。
低温スチーム加工した食材や加工品を食べた方々の感想は今までの既成概念を変える技術と評価し始めているのである。
野菜を販売される方々が、仕入れておいた野菜を販売する際に、最も販売量の多い品種や根菜類からでも低温スチームした野菜をお客様に試食して頂けば、その美味しさを実感して貰える。美味しさを感じたお客様はその野菜を必ず欲しいと思うはずである。
野菜を生鮮のままに販売する考えを一歩進めて、家庭で簡単に調理し易く、しかも今迄よりも美味しく感じて貰える工夫をする必要がある。美味しく食べる一人一人の消費を増やし、販売量を増やす努力を積み重ねれば、やがて全体の消費も自然に増えて行くと思うのである。
マーケッティングの基本は消費の問題から流通のあり方を考え、生産をどのように進め、組み立てることが良いのかと考える。もし生産の都合から消費を考える施策であれば、現在のあらゆる状況に対応できないものになる。日本農業を活性化させるために野菜の消費を増やす施策は欠かせないものであるが、日本で開発された低温スチーム技術は一つの役割を果たすと考える。
野菜の生産や流通を担う方々、野菜に関心のある方々に低温スチームした野菜をぜひ食べてみて欲しいのである。美味しさを言葉で表すことは極めて困難であるが、改めて野菜の美味しさを実感すると思うのである。
低温スチーム技術は産地や流通段階の鮮度維持応用や従来冷凍ができないとされた野菜の冷凍化も可能になる。
さらに産地における市場に出せない廃棄野菜でも高品質な食品材料にする技術応用ができるのである。
現状では、残念なことに低温スチーム技術や機器は広く普及されていない。当掲載を始め、様々な機会を利用してこの技術に対して理解を深めていただければ、さらなる野菜の消費拡大、日本の農業振興に役立つのでないかと考える。