独立行政法人理化学研究所 植物科学研究センター
代謝システム解析ユニット ユニットリーダー 平井 優美
アブラナ科野菜でがんを予防する新規遺伝子が発見された。本稿では、その研究の内容と今後の方向性を紹介する。
野菜の摂取は発がんのリスクを下げる
野菜や果実をたくさん食べると発がんのリスクが下がるということが、多くの疫学研究の結果から示されています。このため、野菜や果実に含まれるどの成分にどういった効果があるのかについて、世界中でさまざまな研究がなされています。がんを引き起こすメカニズムは単純ではなく、また各種の実験結果からは必ずしも統一的な見解が得られているわけではありませんが、例えば野菜や果物に含まれているフラボノイド(色素成分)やビタミンは、発がんのリスクを低減すると考えられています。
アブラナ科野菜のがん予防成分「スルフォラファン」
アメリカのタラレー博士らは、カリフラワーやからし菜、芽キャベツなどを含むアブラナ科野菜は、中でも特にがん予防効果が高いとして注目しました。そして1992年、同じくアブラナ科野菜であるブロッコリーから、発がん物質を解毒する効果が高い「スルフォラファン」という成分を見つけました。スルフォラファンは、ブロッコリーの芽生えにとりわけ多く含まれており、タラレー博士らの研究発表を受けて、アメリカではブロッコリースプラウトのブームが起こりました。スルフォラファン(図1)は芥子油(イソチオシアネート)と呼ばれる硫黄化合物の一種です。芥子油はその名の通り辛味成分であり、わさびやだいこんおろしなどの辛味の原因となっています。芥子油は、通常はブドウ糖が結合した芥子油配糖体(グルコシノレート)という形で蓄えられおり、これ自体に辛味はありません。配糖体を含む野菜はミロシナーゼという分解酵素を持っており、わさびやだいこんをすりおろすと配糖体とミロシナーゼとが混じりあって、配糖体は芥子油になります(図2下)。おろしたわさびやだいこんが特に辛いのはこのためです。自然界においては、芥子油は生体防御物質として機能します。アブラナ科植物が動物や昆虫による食害にあうと、それによって配糖体とミロシナーゼと混じりあって芥子油を生じ、動物や昆虫に食べられるのを防ぎます。
芥子油配糖体の種類と効果
植物界において、芥子油配糖体を含んでいるのは、ほぼアブラナ科の植物だけです。同じアブラナ科の野菜でも、わさび、ホースラディッシュ、和からし、洋からし、だいこんなどでそれぞれ辛味の種類や香りが違うのは、それぞれの野菜の持つ配糖体の種類が違うからです。1つの野菜は多種類の配糖体を含んでおり、その割合は野菜によってさまざまです。
芥子油配糖体には全部で120以上もの種類があり、化学構造から大きくいくつかの系統に分けることができます。ヒトに対する健康機能の面から見ると、スルフォラファンのようながん予防成分を生じる種類がある一方で、逆にがんを誘発すると報告されている種類もあります。
がん予防効果をより高くするには
野菜中のスルフォラファンの量を多くすれば、少量の野菜の摂取でより効果的にがん予防ができます。先のタラレー博士らは、ブロッコリーの中でも特定の品種の発芽後3日目の芽生えに、スルフォラファンが特に多く(成熟ブロッコリーよりも)含まれていることを見つけました。この研究結果は特許化されて、スルフォラファン含量が高く健康によいブロッコリースプラウトBroccoSprouts(R)としてアメリカのBrassica Protection Products社(1997年設立)により商品化されています(図3)。日本でも、ある会社がこれをライセンス生産しており、市場に出回っています。
では、他の野菜でスルフォラファン含量を高くすることは可能でしょうか?タラレー博士らは50種類以上のブロッコリーの品種をテストして、スルフォラファン含量の高いものを見つけたそうですが、同じように、ある野菜についてさまざまな栽培品種や野生種のスルフォラファン含量を調べることもできます。また、交配による育種も可能でしょう。いずれの場合も、スルフォラファン含量が高いことに加え、食味や生産性などさまざまな点を考慮して選抜することになるでしょう。これらは「たくさん作るものを探す」方法といえます。一方で、以下に述べるように、すでに利用されている品種を元にスルフォラファンを「たくさん作らせるようにする」こともできると思われます。
スルフォラファンは生合成酵素によって作られる
アブラナ科野菜は、スルフォラファンの元となる配糖体を葉や種子の中で作るわけですが、一般に、野菜やその他の植物が持つさまざまな成分は、生合成酵素の働きで作られます(図2上)。例えば、動物にとって不可欠な栄養素であるアミノ酸は、植物細胞中の何種類もの生合成酵素の働きで、二酸化炭素と土壌中の無機窒素、無機硫黄から作られます。スルフォラファンも同様に、数多くの生合成酵素の働きでアミノ酸から作られることが、他のグループの研究により明らかにされていました。しかし、これらの酵素がいつでも働いているというわけではありません。決まった条件でのみこれらの酵素が働くように制御する「何か」があるのですが、その制御の仕組みはまったくわかっていませんでした。ですが、この「何か」を見つけて作用を増強し、酵素の働きを強くすれば、スルフォラファンをたくさん作らせることができると考えられます。
モデル植物「シロイヌナズナ」を使った研究
生合成やその制御について研究するためには、数多くの植物個体を育てる必要があります。ですが野菜の場合、栽培は広い圃場を必要とすることが多く、また年単位の時間を要するため、研究は容易とはいえません。
植物の持つ基本的な性質の多くはどんな植物にも普遍的にあてはまると考えられるため、植物科学研究の世界では、「シロイヌナズナ」という植物が代表的な研究材料として、世界中で広く使われています(図4)。これはアブラナ科の「雑草」で、一般にはほとんどなじみのない植物ですが、1)植物体がきわめて小さく、栽培は気温22℃程度で容易にできるため、通常の実験室内で何万株も栽培することができる、2)種まきから次世代の種子の収穫までに数ヶ月しかかからないので、1年に何度も実験できる、3)ゲノム(その生物が持っている全遺伝子DNA)サイズが小さいので遺伝子研究に有利、などの特徴があるために、ここ20年ほど「モデル植物」として最も多く研究に使われてきた植物です。実際、シロイヌナズナで明らかにされた生物学的事実は、他の植物にもあてはまることが多いのです。もちろん、特定の種類の植物でしか見られない固有の現象もたくさんありますが、芥子油配糖体の生合成に関していえば、シロイヌナズナはアブラナ科の植物であり、ブロッコリーと同様にスルフォラファンの配糖体を含む10種類以上の配糖体を合成するため、優れた研究材料であるといえます。
スルフォラファン合成の制御遺伝子PMG1を発見
私たちの研究室では、シロイヌナズナを用いた研究により、世界で初めて、スルフォラファン配糖体の生合成酵素を制御する遺伝子「PMG1」を発見しました。シロイヌナズナの遺伝子に実験的に手を加えてPMG1が働かないようにすると、生合成酵素が減って、スルフォラファン配糖体の量は減少しました。また、通常は配糖体をまったく作らない培養細胞(シロイヌナズナの葉から細胞を取り出して試験管内で培養したもの)でPMG1の働きを強くしたところ、配糖体がたくさん作られるようになりました。PMG1は、多種類の配糖体のうち、スルフォラファン配糖体と同じ系統のものの合成にのみ作用します。ですからPMG1を利用すると、がん予防成分のみを増やし、望ましくない成分を増やさないというコントロールが可能となります。
健康機能性の高い野菜の開発へ
シロイヌナズナで見つかった仕組みは、他のアブラナ科野菜にも広く当てはまると考えられます。キャベツやカリフラワーなどいろいろなアブラナ科野菜にPMG1を入れることで、スルフォラファン含量の高いがん予防野菜ができるかもしれません。また、これらの野菜自身もPMG1に相当する遺伝子を持っている可能性が高く、相当遺伝子を見つけてその働きを強くすることによって、同様の効果が期待できます。
PMG1のような、植物の持つ「有用物質生産遺伝子」を見つけて、その働きを解明することは、付加価値の高い野菜や果物、穀物を生み出すことへとつながっているのです。
参考文献
Hirai, M. Y. et al. (2007)米国科学アカデミー紀要, 104巻, p.6478-6483