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ニューファーマーとまと農園に見る新しい農業の担い手

総括理事 和田 宗利


 3月2~3日にかけ、静岡県下で農政ジャーナリストの会と(財)農村開発企画委員会との合同の現地調査に参加する機会を得、伊豆の国市韮山町で農外からの新規就農者(新規参入者)だけで作るミニトマト団地の実態を見ることができたので、その概要について報告する。

1 静岡県ニューファーマー養成制度
(1) 制度の概要
 静岡県では平成5年度から「ニューファーマー養成制度」を立ち上げている。平成17年度からは「がんばる新農業人支援事業」に衣替えしているが、その概要は次のとおりである。
 本制度では、他産業から農業を志す青年等を、県内の地域が原則として1年間(従前は2年間)研修生として受け入れ、農業技術や経営ノウハウの習得、そして就農(就農した青年等をニューファーマーと呼ぶ)までを支援することとしており、応募資格として

 (1) 年齢がおおむね40歳未満
 (2) 非農家または第2種兼業農家の出身者
 (3) 就農意欲が高く、研修地域に就農することが確実な者
としている。

 具体的な事業の内容は「農地の確保・斡旋」、「研修手当て(研修中の1年間は月額10万円)の支給」、「地域ごとの受け入れ支援のための組織の整備」となっている。希望者に対しては、受け入れ農家も入った面接が行われるが、その際のポイントは、(1)技術の習得、(2)営農・生活資金の準備、(3)厳しい農業に耐えられる資質、(4)集落住民との人間関係の構築ができる人等となっている。

(2) ニューファーマーとまと農園の概要
 今回調査した伊豆の国市韮山町はJA伊豆の国管内にあり、いちご、トマト、きゅうり等の施設園芸が盛んな地域である。当地域は肥沃な土地に恵まれ、基盤整備も行われていたが、他産業の就業機会も多いことから、新規就農者が減少し、一時は新規就農ゼロという年が10年も続いたとのことであった。

 整備された農地があるにもかかわらず高齢化の進行、生産の縮小という厳しい現実に直面し、何とかしなければという地域の気持ちが県の制度を利用した、ニューファーマーの受け入れに向かわせた。

 最初の受け入れは、平成7年であり、以降ほぼ毎年1人の割合で受け入れてきている。

 研修の受け入れ農家は、ミニトマト、いちご、ワサビの生産者1名ずつの3名で、これまでに本制度を利用して13人が就農している。

 昨年9月、ミニトマトのニューファーマー5人(後で2人が加わり、現在は7人)で始めたのが、表題にある「ニューファーマーとまと農園」である。

 ミニトマトのハウス団地で、敷地面積110アール、経営は個別であるが、機械の共同利用等団地化の利点を生かした経営に取り組んでいる。

 なぜ、新規参入者だけの団地かということになるが、周りとの交流にも積極的なことから、新規参入者だけで固めると言う排他的な印象はなく、研修生の受け入れ農家であり、かつ、彼らの指導者である鈴木氏のもとにまとまったことが結果的に新規参入者だけの団地になったのではないかと思う。ただ鈴木氏は、もともとこの地に団地を造ろうという構想を持っており、地権者との間での用地確保の話もついていたそうで、その担い手として、しがらみの無いニューファーマーに着目したということからすれば、何がしかの必然性があったと見ることもできよう。

 いずれにしても全国的に見て、新規参入者だけのハウス団地は珍しく、各方面から注目を浴びている。今回は新規参入者の受け入れを定着させた背景について調査した。

2 ニューファーマーとまと農園成立の背景 
(1) 研修生の受け入れ農家の熱意
 研修生の受け入れはミニトマト、いちご、ワサビの三部門で行われているが、今回お会いした受け入れ農家は、前述したミニトマト部門の鈴木氏である。


受け入れ農家の鈴木氏(写真中央)

 鈴木氏自身はミニトマト栽培農家として、技術・経営の面で地域を代表する農家であるが、お話を伺っていると、ニューファーマーにかける情熱が、ひしひしと感じられた。

 鈴木氏の指導の基本は、研修生を単に技術習得のための研修生と見ていない点にある。
 当然のことではあるが、新規参入者は一定の年齢を超えており、家族もあり、かつ、それまで生業としてきた仕事を捨てて農業に飛び込んできた人達であり、家族との生活を守りながら、人生の転換に挑んで来ている。このため研修を終了すれば、直ちに自立しなければならないという厳しい事情は、すべての研修生に共通することである。

 鈴木氏はこのことをよく踏まえ、技術もさることながら、むしろ経営に重点置いた指導をされているとのことであった。また、最初のころは個人的に農地、住宅の斡旋にも取り組んでおられたとの話であった。

 団地のメンバーの話でも、鈴木氏に対し、師としての尊敬の念が強く、指導者としての鈴木氏の存在がいかに大きいかが覗われた。

(2) 地域の支援体制
 JA伊豆の国では、平成14年に県下他地域に先駆けて「ニューファーマー地域連絡会」を設立している。
 連絡会では、ニューファーマーの受け入れ支援、就農支援(農地の確保・斡旋、就農計画作成支援等)、就農後のアフターケアーを行っており、特に、年に2回、研修生と就農したニューファーマーも参加する意見交換会を実施し、現実に抱える問題点の解決のための支援の場としての機能も持たせている。

(連絡会の構成)
ニューファーマー、研修生、受け入れ農家、県青年農業者等育成センター、東部農林事務所、伊豆の国市、JA伊豆の国

 支援の中で筆者が感じたのは、農地の確保・斡旋への取り組みがしっかりしていることである。

 こうした斡旋は最初の頃は、鈴木氏が個人で行っていたが(このあたりのことは真に頭の下がる思いがする)、現在では、JAが農地保有合理化事業を活用して支援を行っており、研修生となった段階で既に農地の手当てが終了している。このことは、新規に参入しようとする者にとって、まことに心強いことであって、ニューファーマー本人に聞いても、農地探しで苦労したことは無かったとのことであった。

 当地域では連年新規参入者を確保している。ニューファーマーに、就農に当たって何か苦労したことがあるかと聞いてみたが、特にないとの返事で、こうした安定した受け入れ体制が、参入希望者の信頼を得ているのではないかと推察された。

3 新規参入者の受け入れの効果
 受け入れの効果としてJA伊豆の国が強調していたのは、生産の活性化である。トマト・ミニトマト・きゅうりの生産農家で構成されるJA伊豆の国果菜委員会のベースで見ると、生産額は平成12年で2億2千万円であったのが、平成17年で2億6千5百万円と20%の伸びを示している。

 前述したように、この地域では生産者の高齢化、産地規模の縮小が進んでいたが、ニューファーマーの受け入れを機に、生産額・作付面積ともに持ち直し、特にミニトマトは、ロットの増加によって市場での評価も高まり、今では大玉トマトからミニトマトへ転換する既存農家も出現してきている。

 さらに、数字の上では確認できなかったが、地域の農家子弟にも刺激を与え、就農意欲が高まってきている模様とのことであった。

4 まとめ
 筆者は平成2年から4年余り、農林水産省で農業後継者対策室長(途中、青年農業者対策室に名称変更)を勤めた経験がある。当時は新規就農者が激減し、後継者の確保が農政の重要課題で、連日、国会で取り上げられるような状態であった。

 当時の対策は農業後継者たる農村青少年に対する研修教育を根幹としており、各県の農業大学校の整備を進めるとともに、農業改良普及事業との連携のもとに実施する4Hクラブの育成、農業大学校・農家・海外における実践教育が主たる内容で、あくまでも農家子弟の中から後継者を育成しようとするものであった。

 ただ、この流れとは別に、その少し前から農業会議所の系統で、農地の情報の提供という観点から、新規参入者に対する就農相談が行われていた。数の面では、農家子弟のほうが圧倒的に多いのは今日でも変わりは無いが、非農家に目を向けたと言う新規性が注目された。

 一方で、農家子弟からは後継者と呼ばれることに抵抗を感じると言った様な話も聞こえて来た。

 農家の子弟故に農業を継いだという消極的なイメージが嫌われたようで、農家の子弟であっても、農業を職業として選択したのだというのが彼らの主張であった。
 こうした意見や新しい取り組みを眺めながら思い至ったのが「農業も職業の一つである」というキャッチフレーズでる。

 対策としては、農家子弟に対する研修教育を主体とした農業後継者対策から、希望する青年の就農支援のための対策への転換ということになるが、対策の構成を農業経営の3要素に擬えて「土地」、「技術」、「資金」とし、「土地」は農業会議所系統の就農相談、「技術」は従来の研修教育を充て、残る「資金」について、無利子の農業改良資金の中に経営開始資金(後に就農支援資金に発展)を設けることとした。農業改良資金の中には、従来から部門経営開始資金等類似の資金もあったが、親の指導のもと、親と違った部門(例えば花卉部門)を担当させることを通じて実践的な技術・経営能力を習得させようという様なもので、貸付限度額もさほどの金額では無かったように記憶している。

 新しく設けた資金のキーワードは「起業」で、資金の借り入れ、即自立できる経営の開始を狙いとした。従って借り入れ限度額も当時としては千二百万円とかなり思い切った金額にした。
 「土地」等の3要素を組み合わせた出来上がりの姿を就農支援システムと名づけようと思っていたが、残念ながらこの名称はあまり定着しなかったように思う。

 調査する中で鈴木氏の次の言葉が強く印象的に残った。
 「経営者として自立できるように、経営面での指導を重視している」、「農家、非農家を問わず、農業はやりたい人がやればよい。自分にも息子がいるが、自分の経営もふさわしい人がいれば、他人が継いでもかまわないと思っている」

 今回の事例では、ニューファーマーだけの団地というところに目を奪われがちであるが、評価すべきは、「土地」、「技術」、「資金」、の3つの要素を組み合わせた支援体制が安定的に機能していることである。

 また、農業の担い手を、農家という固定的な観念から脱し、非農家を含めた農業者と認識するようになった地域の環境も評価すべき点ではないかと思う。

 10数年前、筆者の意図したことが、現場に根付いているのを目の当たりすることができ、筆者も意を強くし、また、感慨深い調査であった。

 新規参入者は平成3年で79名であったのが、平成13年で530名となっている。数の上では右肩上がりと言えるが、良好な農地が放置されている実態を見るにつけ、韮山町のような事例を今後どの様に普及させていくのかが、担い手確保の上での課題ではないかと感じた。



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