農林水産省 消費・安全局 農産安全管理課
農薬対策室 東野 昭浩
本年5月29日から食品衛生法に基づく農薬等の残留基準について、ポジティブリスト制度が施行されます。本稿ではポジティブリスト制度の導入にあたり、国内の農業生産現場でどのような取組みが必要とされるのかについて考えてみたいと思います。
1.農薬の種類や使用方法は変わるのか?
国内で使用する農薬について、農林水産大臣への登録を義務付けるとともに、適用農作物、使用時期、総使用回数などの農薬使用基準を定めて、全ての農薬使用者にその遵守の義務を課しているのは農薬取締法という法律です。食品衛生法の改正によりポジティブリスト制度が施行されても、農薬取締法は変わりません。また、現在設定されている残留農薬基準は、ポジティブリスト制度が施行されても原則としてそのまま維持されます。したがって、農業生産現場では、これまでどおり、農薬取締法に基づいて、
(1) 登録された農薬を、
(2) ラベルに表示された適用農作物に対して、
(3) 農薬使用基準(総使用回数、濃度、使用時期等)を守って
適切に使用すれば、問題が生じることはありません。
一方、ポジティブリスト制度の施行に伴って、これまで残留農薬基準が設定されていなかった「農薬×農作物」の組合せにも、新たに多くの残留基準が設定されます。
ただし、新たに残留基準が設定されたからといって、我が国で無登録の農薬や適用農作物以外の農作物への使用など、農薬取締法により認められていない農薬の使用をしてもよいということにはなりません。
2.農薬の飛散(ドリフト)防止対策
このように、ポジティブリスト制度が施行されても、農業生産現場では、これまでどおり適正な農薬使用に努めていただくことが対応の基本となります。
ただし、ポジティブリスト制度が施行されると、残留農薬基準が定められていない「農薬×農作物」の組合せに対し、0.01ppmという一律に低い基準が用いられることとなります。このため、これまで以上に農薬散布時の飛散(ドリフト)に気を配っていただく必要が生じます。
農林水産省では、国、都道府県及び関係団体で構成する「農薬の飛散防止対策協議会」を設けて、ドリフトを防止するための対策の強化を図っているところです。
また、農家向けの手引きを作成し、農林水産省ホームページの農薬コーナー(http://www. maff.go.jp/nouyaku/)に掲載しています。さらに、ドリフト防止の技術的な対策をまとめた「地上防除ドリフト対策マニュアル」を(社)日本植物防疫協会が発行しています。これについても同ホームページでご覧いただけます。
ドリフト対策を進める上で特に注意が必要となる農作物は野菜類です。中でも葉菜類は、表面積が大きいといった形態的な特徴や軽量であることなどから、ドリフトにより付着した農薬が一律基準を超えるおそれが高い作物のタイプといえるでしょう。このため、葉菜類を栽培する場合や葉菜類を作付けしているほ場の近接地で農薬を使用する場合には、周辺の農家と協力して、以下に示したドリフト防止対策を徹底することが重要です。
3 販売先に安心を届ける
「ポジティブリスト制度が施行されたら、800種類の農薬について、全て残留分析を行う必要があるのですか。」ときどき、こんな質問を受けます。現在、農薬取締法に基づいて、国内で食用の農作物に使用が認められている農薬は約350種類です。さらに、農作物によって使用できる農薬が限られているため、地域全体を見回しても、実際に使用されている農薬は限られています。それにもかかわらず、すべての農薬について分析を行う必要があるのでしょうか。また、分析する農薬を限定したとして、全ての出荷ロットについて分析する必要があるのでしょうか。残留農薬の分析には当然のことながら、多額の分析費用がかかりますので、全ての農薬や全ての出荷ロットの分析などは現実的な方法ではありません。
一方、食品事業者や消費者からは、ポジティブリスト制度の施行以降、産地に対し、残留農薬基準に適合していることについて厳しい確認が求められることが想定されます。産地としてはこのような要請にきちんと応えていかなければなりません。ただし、その際に使用してもいない農薬を含めて膨大な数の残留分析をしていては経費はかさむばかりです。
農薬は食中毒菌などとは異なり、食品中で増加することがないため、分析することで、安全性を証明できると錯覚しがちです。しかし、現実にはコストなどの問題があるため、残留分析だけで安全性を証明するのは現実的な方法ではありません。残留農薬に対するリスク管理も食中毒の場合と同様、生産工程を一つずつ適切に管理することが最も有効であり重要なことなのです。
生産工程の適切な管理について、農家ごとの具体的な取組みとしては、農薬使用基準を遵守した適切な農薬の使用、農薬の使用状況の記帳、ドリフト防止対策の徹底があります。しかし、さらに重要なことはこのような農家ごとの取組みを産地としてまとまった取組みに展開することです。産地単位の取組みとしては、個々の農家の農薬使用状況、記帳内容の確認、共同出荷に際しての生産物の仕分保管・管理の徹底、必要最小限の残留農薬のモニタリング検査、農薬の適正使用のための農家向け研修会の実施などが考えられます。
さらに近年、食品の安全性を確保するため、農業生産現場で有効な手法として普及が進みつつある食品安全GAP(Good Agricaltural
Practice)の考え方に基づく対応策を進めてみてはどうでしょうか。食品安全GAPとは、農作物の生産工程ごとに想定される危害要因とその管理手段をあらかじめリスト化し、リストを基に着実に実施した上でそれを記録として残すという取組のことです。残留農薬をはじめ、病原微生物や異物混入など様々な危害要因によるリスクを総合的に管理する手法として注目されています。残留農薬の場合は、下記を毎年きっちり実践すればよい、ということになります。
(生産現場における生産工程管理の例)
(1) 作付ける農作物ごとにあらかじめ使用する農薬とその使用方法を定めておく。(すでに防除暦として作成されたものが使えます)
(2) (1)を基に適正に農薬を使用する。(使用する際にはラベルで使用方法を再確認するとともにドリフト防止対策も徹底しましょう)
(3) 農薬の使用状況を記録する。
(JAなどが進めている農薬使用の記帳運動ですでに取り組まれています)
これにより、農薬を使用する時に農薬使用基準に従った適正使用が着実に行えるとともに、後日、使用した農薬についての食品事業者や消費者からの問い合わせに対しても正確に回答することができます。わざわざ分析をしなくても残留農薬が基準を超えていないことの説明も可能となります。
産地としては以上のような取組を着実に実施するとともに、さらには、このような対策により、その産地の農作物が適切に生産管理されたものであることを食品事業者や消費者に積極的に説明・アピールしていくことが重要です。
4.ポジティブリスト制度の施行をチャンスに
平成14年の農薬取締法改正により、今や我が国の農薬取締制度は世界で最も厳しい内容となっています。このため、残留農薬基準のポジティブリスト制度の導入・施行といっても必要以上に恐れることはありません。農薬使用基準を遵守し、ドリフト防止に努めるなど、農業生産現場の取組の基本は、これまでとなんら変わることはないのです。しかしながら、一律基準の設定によって、食品事業者や消費者の残留基準に対するチェックの目は、より一層厳しくなるのは確実です。生産現場は、こうした厳しい目に適切に応えていくことが求められます。加えてドリフト問題は農薬を使用した当事者のみならず、周辺の農家にも及ぼすおそれを含んでいます。したがって、この機会にぜひ、これまでの農薬散布のあり方を見直してみてください。
そしてさらに、この機会を利用して、これまでは主として農家ごとに実施してきた農薬使用基準の遵守や記帳といった取組を、産地全体での取組に拡大し、産地全体で安全な農作物を供給していることを食品事業者や消費者に説明・アピールしていきましょう。このような取組が全国で継続して着実に実施され、食品事業者や消費者の理解が得られることとなるならば、ポジティブリスト制度の施行は国内の農家にとってむしろ販路拡大の大きなチャンスとなるはずです。