勝間南瓜(こつまなんきん)
(野菜情報 2013年8月号)
調査情報部
江戸時代末期、勝間村(現在の大阪市西成区玉出町)の農家が、天満の青物市場問屋年行司あてに「立ち売り許可願」を申し出ました。その中に「南京瓜」と記載されていたことから、このかぼちゃを勝間南瓜と呼んだと考えられています。
勝間南瓜は、勝間村の特産品となりましたが、都市化の影響と明治時代に日本に伝わった西洋かぼちゃの普及により、1930年代に栽培が途絶えてしまいました。
勝間南瓜は、重さは900グラムほどで、形状は小ぶりで縦溝とこぶがあり、果肉はねっとりとして水分が多い日本かぼちゃの一種です。当初の果皮は緑色ですが、熟すと赤茶色になり甘みが増します。西洋かぼちゃと比べて甘みはさっぱりとしており、果皮も柔らかく、味付けがしやすいかぼちゃです。
勝間南瓜の栽培が途絶えてから60年以上経った2000年7月に、大阪市住吉区の漬物業者が、和歌山市の農家で勝間南瓜の種子を偶然発見し、その種子を譲り受けました。その後、大阪府立食とみどりの総合技術センターで試作および鑑定を行い、種子の増殖を図る一方で、展示ほ場の設置とそれによる生産技術の普及啓発を開始しました。また、2000年に勝間南瓜発祥の地である大阪市西成区の生根神社で開催された冬至にかぼちゃを振る舞う神事である「こつま南瓜祭」において、参拝者に振る舞う蒸しかぼちゃの一部に勝間南瓜を利用したことから話題になりました。
このような中、府内でほとんど栽培されなくなった伝統のある野菜をもう一度味わってもらえるよう、大阪府は、2005年に「なにわの伝統野菜認証制度」を設けました。これは、約100年前から府内で栽培されてきた府独自の品種で、種苗確保が可能な勝間南瓜など17種類の野菜を認証するもので、産官学が連携して啓蒙活動や生産振興を行っています。また、大阪市においても、「なにわの伝統野菜復活フェスタ」や小学校等で食農教育の機会を設けるなど、積極的な普及活動が行われてきました。
これらの普及活動により、「なにわの伝統野菜認証制度」を受けた野菜のうち、代表的な勝間南瓜、
勝間南瓜の栽培面積は、2013年3月現在で約0.8ヘクタールで、そのほとんどが府内南河内地域の河南町で栽培されています。河南町は大阪市中心部から25キロメートル圏に位置し、金剛・葛城山脈を抱えた起伏に富んだ地形で、冬春なすが指定産地(南河内東部)となっているなど、農業が盛んな町です。河南町における勝間南瓜栽培の特徴は、播種期の分散や露地・ハウスなどの複数作型による栽培のほか、起伏に富んだ地形を活かしたほ場選定により、初夏から冬至までの長期間収穫を可能としていることです。
勝間南瓜は、一般的な西洋かぼちゃの品種と同様の技術で栽培しますが、河南町では特に、有機物による土作りを励行し、生育と結実に最も効果が上がる施肥とかん水を行うことを心掛けています。
収穫された勝間南瓜は、道の駅かなんを販売拠点として、JA大阪南などと連携し、直売のほか、近隣の学校給食や外食事業者などに供給されています。また、形状の悪いものについては、ペーストなどの用途向けとして加工業者に供給するなど、余すことなく有利販売がされています。
河南町を管内とするJA大阪南で営農指導課長を務めて定年退職した後、道の駅かなんの駅長を努めている阪上さんは、各栽培農家と供給先の連絡調整を行うとともに、自身も勝間南瓜を栽培しています。また、伝統野菜復活の取り組みについて、ほかの産地との意見交換を行う他、消費者や実需者との交流も積極的に行っています。
勝間南瓜は、市場流通している西洋かぼちゃよりも耐病性に劣り、手間がかかるかぼちゃです。このため、一度は産地から姿を消した野菜ですが、勝間南瓜にゆかりのある神事が現代も実施されているなど、勝間南瓜は人々の生活に密着した野菜で、後世に伝承すべき伝統野菜です。また、学校給食や外食事業者への供給や、道の駅を活用した一般消費者への直売など、生産者が実需者や一般消費者に対して直接対応することにより、両者の「知産知消(生産者と消費者が、互いを知り、理解し合うこと)」も進んでいます。これらのことから、勝間南瓜は、生産者と消費者をつなぐ架け橋であると考えています。
このため、栽培面積を増やし、後継者を育てるためにも、勝間南瓜の消費拡大を図っていくことが課題です。多くの消費者に勝間南瓜を食べてもらえるよう、煮物やサラダなどの料理のほか、フリーズドライ技術によるチップス加工など、料理提案や加工品企画販売も行っています。
お問い合わせ先:
道の駅かなん(農事組合法人かなん)
(TEL:0721-90-3911)
南河内農と緑の総合事務所 農の普及課
(TEL:0721-25-1131)