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視点



現代によみがえる善政

元 武庫川女子大学 教授  大塚 滋



 歴史上3人目の女性天皇である持統天皇は万葉集(小倉百人一首にも)の歌(春過ぎて夏来たるらし〈来にけらし〉白妙の衣ほしたり〈ほすてふ〉天の香具山)のおおらかな歌で知られている。

 一方、日本書記には即位7年目の春、次のような記事がある。
 「詔して天の下をして桑、紵、梨、栗、蕪菁等の草木を勧め殖(う)ゑて、以て五穀を助けしめたまひき」
 桑は生糸をつくる蚕の飼育用、紵(からむし)は皮の繊維を使う製糸用、蕪菁(あおな)はカブのことと考えられ、民衆の衣食の両方に目配りした、女性らしいこまやかな施策といえるだろう。それにしても、なぜカブなのか。

 奈良時代の文書などに現れる野菜は多いが、栽培されていたものと野生のものとがあり、葉菜類では蕪菁のほか、チサ、ククタチ(蕪菁の苗か?)、アザミ、ギシギシ、フキ、アオイ、セリ、ナギ(ミズアオイ)などが栽培されていたか、あるいは栽培されることもあったらしく、さらに野生のワラビ、ウハギ(ヨナメ)、ジュンサイ、タラ、カワホネ(コウホネ)、アサザ、クズ、イタドリ、ヒユなどが食べられていた。今日では野生や自生しているものや、食べ物としては用いられていないものが多いことに驚く。

 そんな中で、緻密な根と豊かで柔らかい葉をもつカブは、栄養的に優れているし、相当なごちそうとみなされていたと推測されている。そのように考えてくると、カブの奨励は、つまりは総じて野菜類の栽培促進の方針と考えることができよう。

 その22年前、彼女の亡夫、天武天皇は肉食禁止の詔令を出している。それ以来、千数百年間、日本では肉食は断たれてきた。そして菜食の習慣が定着して来た。そのことを思えば、明治までの日本の食の文化は天武と持統の夫婦の天皇によって道を開かれたということになる。そのようにして定着していた魚食と菜食を主とする日本の食生活は、理想に近い食生活として諸外国の注目を浴びている。

 しかし、日本も豊かになり、西洋化するにつれて欧米型の食生活に対する反省が説かれ、野菜をたくさん食べることが推奨されるようになって久しい。

 為政者、権力者による庶民生活に関する口出しは、嗜好や文化に対する顧慮が少ない分だけ、あまり好結果を生まないことが多い。ことに特定の食物禁止の規制は国民栄養的に不合理なタブーを生むこともある。
 その点、千数百年前のあの野菜奨励は現代によみがえる善政だったといえようか。



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