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視点



食と環境そして施設園芸・ 養液栽培

千葉大学園芸学部                         
教授 篠 原  温



 その昔、農業は自ら耕作し自ら消費する「自給自足」から始まった。村・町が形成されるにつれて、不足する農産物を知り合いの注文によって作るようになった(オーダーメイド)。そして国家・都市が形成されるにつれて、不特定多数の消費者に向けて需要を予想して作られるようになった(レディメイド)。

 今は「食と環境」の時代だそうであり、農業行政も「食の安心・安全」、「環境保全型農業」などを重点的に取り上げ、これに呼応するようにマスコミなども「有機栽培」、「スローフード」などを大きく取り上げることが多い。農業の現場でもこれらに呼応する様々な試みが行われている。本誌10月号視点の著者である和郷園代表理事の木内博一氏は、「対称軸」という言葉で自然回帰と新しい価値観の創造を提唱している。これらの動向には「オーダーメイド」のよき時代への回帰願望が感じられる。「家庭菜園」、「市民農園」などの活動も含め、私もこれらの価値の転換、物質循環の場としての農業の見直しには大いに賛同するものである。ただし条件付きである。

 施設園芸は今や5万haに達し、主要な野菜の中にはほとんどが施設内で生産されるものも多い。また近代的な装備を備え、大規模企業的な経営をする生産者も出てきている(レディメイド)。そんな大規模な生産施設では、養液栽培が行われ、化学肥料のみが使われる。このような栽培を水と肥料の過剰使用による危険なものとして排除しようとする風潮がある。全くの誤解である!養液栽培は典型的な節水・節肥料型農業なのであり、これからも健全に発展すべき栽培技術なのである。産業の一つである以上、情報による需要予測をして、効率的に安全な野菜を生産する意味は大きい。

 日本は経済不況を克服するために、アメリカの手法を追随し「競争的環境」を作り上げてきた。企業は、「リストラ」、「合理化」、「生産コストの削減」などによって、身を削りながら生存競争を勝ち抜いてきた。おかげで全体的には景気は回復基調だそうである。しかし、企業ばかりか人をも「勝ち組・負け組」と区別(差別)し、勝ち組人間をもてはやす風潮すら生まれ、ただでさえ希薄になりつつあった人間関係は、ますますギスギスしたものになってきている。私は優劣とか勝ち負けによる価値観が嫌いである。このままでは日本に古くから培われていたはずの独特の文化が朽ち果ててしまうのではないか?このあたりにも最初にあげた3段階すべてに農業の果たす役割は大きいと私は感じる。

 有機栽培と化学肥料による栽培による生産物の品質には今のところ何ら差は見られていない。例えこれが明らかになったとしても化学肥料の適切な使用による生産物を排除する理由になり得ない。私の主張としては、「有機栽培にもっと科学の目を向けよ!」、「無機肥料による栽培にももっと正当な目を向けよ!」「両者が正当に共存できる社会を作れ!」ということである。「環境に優しい作り方で、おいしくて安全な野菜を消費者にとどける」ことは、有機無機にかかわらない、すべての農業人共通の願いであるのだから。



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